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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
62/500

02


 城壁近くの食堂で湯気を立てる蜂蜜酒(はちみつしゅ)と一緒に腸詰の昼食を取っていると、すぐとなりの長椅子に赤い(うろこ)の蜥蜴人がドスンと腰を下ろした。「じがんだ(時間だ)」彼はそう言うと、蜥蜴人の特徴でもある縦長の瞳孔を細くする。「インがまっでいる(待っている)」


 アリエルは木製の食器に視線を落として、それから蜥蜴人に視線を戻した。

「こいつを片付ける時間くらいはあるんだろ?」

「ある」彼は大きくうなずくと、給仕が運んできた皿を受け取る。


 木製の器には大人の前腕ほどの大きさのイモムシにも似た昆虫の胴体が入っていて、彼はソレを手づかみにして口に入れる。茹でてあったのだろう、ぷっくりと太った薄赤色のイモムシは湯気を立てていて、彼が(かじ)り付くと得体の知れない汁が飛び散る。


 もともと乳白色に近い半透明の昆虫は、煮ても焼いても美味しく食べられると言うが、人間や豹人の命に関わるような致命的な毒を含んでいるため、アリエルは食べたことがなかった。


 ブヨブヨとした肉質で可食部も多い昆虫だと知られていて、硬い外骨格で(おお)われているのが頭部だけなので、首を切り落とすだけで比較的簡単に調理できるので食べてみたかったが、さすがに苦しんで死ぬことになると分かっていたので手は出していなかった。


 黙々と食事を続ける蜥蜴人を横目に見ながら、アリエルは食堂を見回した。野営地でもそうだったが、人間以外の種族も多く見かけ、それぞれが食事を楽しんだり雑談したりして思い思いの時間を過ごしていた。


 (いくさ)がなく人々が(まず)しくなければ、森の同胞(はらから)は種族を越えた平和な暮らしができるはずだ。ここではその姿を垣間見(かいまみ)ることができた。しかし実際には種族間の争いは絶えないし、略奪も日常的に行われている。


 アリエルは溜息をつくと、食器を下げるためにやってきた給仕に感謝してから食堂を出た。先ほどまでイモムシを頬張っていた蜥蜴人も、すでに外で待っていてくれていた。彼は厚い毛皮のマントに(くる)まり、白い息を吐きながら空を見上げていた。


「いまがら、じろにいぐ」

「城に行く……? やはり会議は城で行われるのか」

「ぞうだ」と、彼はうなずく。


 それからふたりは、かつて〈(かげ)(ふち)〉と呼ばれた都市の中心にある城に向かうため野営地を離れた。アリエルは、多くの人々に罪人の集団だと認識されている守人だった――実際に現在の守人の多くは罪人だった――ので、都市に入るときには面倒なことになるかもしれないと、彼は必要以上に警戒していたが、それはまったくの杞憂(きゆう)であったことが分かった。


 大門を警備していた首長の戦士たちは通行人をいちいち調べていたが、インから預かっていた金の短槍を見せると、途端に丁寧な態度になり門を通してくれた。部族の会議に参加することは、彼が考えていた以上に名誉なことなのだろう。


 アリエルはホッとすると、中心街に向かう数台の荷車を見ながら要塞集落に残してきた豹人の姉妹やクラウディアたちのことを考えていた。村には照月家の武者がいて、戦狼(いくさおおかみ)のラライアにも頼んで村の近くに待機してもらっていた。彼女たちに何かあれば助けになってくれることになっていたが、それでも龍の幼生のことがあるので安心できない。


 結局、屋敷を襲った傭兵団についても手掛かりが得られなかった。もしも傭兵団を雇った者が龍のことを知っていたら大変なことになる。心配事が尽きないが、今はどうすることもできなかった。さっさと会議とやらを終わらせて境界の砦に帰ろう。アリエルは溜息をつくと、目の前の問題に集中することにした。


 城に近づくにつれて武装した戦士の数が多くなっていった。戦士たちは城に向かうふたりとは真逆の方角に向かって歩いていた。野営地に戻るのだろう、戦士たちの顔には疲れが見て取れた。昼夜を問わず、厳戒態勢で城を警備する部隊の戦士なのかもしれない。


 遠くに見える黒い石壁を持つ城は半壊していた。かつては、聖地〈霞山(かすみやま)〉で見られる神殿よりも美しかった城は見る影もなかった。大通りには城の残骸が散乱し、人よりも大きな瓦礫(がれき)があちこちに転がり放置されていた。それでも住人の手で片付けられたのか、数年前まで遺跡だったとは思えないほど人の往来(おうらい)があり、城に続く大通りは(にぎ)わいをみせていた。


 呪術師たちが使役する人型(ゴーレム)の数も多く、周囲を見渡すだけでも数十体の人形が目についた。城の整備を行う人形の(そば)には何人かの技術者たちが集まり何かを話し合っていた。

「あれが噂に聞く〝赤頭巾(あかずきん)〟なのか?」

 アリエルの質問に蜥蜴人はコクリとうなずく。


 呪術の研究を行う機関に所属する人々は〈赤頭巾(あかずきん)〉の名で呼ばれ、研究員や技術者たちは濃紅色(こいくれないいろ)外套(がいとう)(まと)うことで知られていた。基本的に部族間の(いくさ)には中立的だと言われていたが、首長に肩入れしているのは誰の目から見ても明らかだった。その赤頭巾のひとりがアリエルに視線を向ける。昆虫種族なのか、フードの濃い影のなかに(あや)しく発光する複眼が見えた。


 大通りの石畳には激しい戦闘の痕跡が見られた。あちこちに穿(うが)たれた穴があり、足を取られないように注意して歩く必要があった。それらは混沌の勢力との攻防の痕なのだろう。一体どんな能力を使えば、巨大な都市を破壊し廃墟にしてしまうのか分からないが、それがどれほど過酷な戦場だったのかは安易に想像することができた。


 戦士たちが警備する城門を越えると、城まで真っ直ぐな道が続いているのが見えた。破壊を逃れた列柱の間を歩いていると獣の息遣いが聞こえてくる。城に(かか)げられていたであろう部族の巨大な旗が無造作に地面に敷かれ、戦狼ほどの体長を持つ猫科の獣が寝そべっているのが見えた。


 食事をとっていたのか、口の周りを赤い血液で染めた獣は、ゆったりと寝そべったままアリエルに冷たい視線を向ける。なにか気になることがあったのだろう、碧い瞳で青年のことを見つめていたが、やがて何事もなかったかのように毛繕(けづくろ)いを始める。


 アリエルは獣の美しい姿の(とりこ)にされてしまい立ち止まる。

「北部から流れてきた〈魔獣〉ですよ」

 迎えに来てくれていたインがアリエルの疑問に答える。

「すべての猫科の獣がそうであるように、彼女も気分屋です。餌にされてしまう前に、この場から離れましょう」


「〈魔獣〉って、呪術を操る獣のことだよな……」アリエルは顔をしかめる。「あの獣が(めす)だって、どうして分かるんだ」

「北部の魔獣には詳しくないですが、彼女が教えてくれたので確かな情報ですよ」

「教えてくれたって……あの獣は話ができるのか?」

 インは何も言わず肩をすくめた。


 すると魔獣の唸り声が聞こえた。ふたりの会話を聞いていたのか、アリエルのことをギロリと(にら)んだ。簡単に人を()み殺しそうな口からは、粘度の高い血液が糸を引いていた。

 ふたりは早足でその場をあとにする。


 戦狼のラライアとも普通に会話ができるので、今さら驚くようなことではないのかもしれないが、アリエルは気になっていたことを質問することにした。

「どの魔獣も言葉が理解できるのか?」

「それは分かりませんが、彼女は言葉が理解できるみたいですよ」

「他にもいるのか?」

「少なくとも、この都市にはいません」


 しかし、とインは語りだした。

「豹人たちによってその場所が秘匿されているため、それが正確に何処(どこ)にあるのかは分かりませんが、北部では魔獣と意思疎通ができる能力者が誕生する地域があるそうです。かれらは命を共有して、その生涯のすべてを魔獣と共に生きるそうですよ」


「それなら、さっきの魔獣にも命を共有する相手がいるのか?」

 アリエルの質問にインは苦笑した。

「いいえ、彼女は特別です。会話をするため特別な能力者は必要ないそうです。彼女は自分自身の頭で考えて言葉を口にして、そして行動します」


「それは恐ろしいな」

 インは肩をすくめると、赤い蜥蜴人と並んで城に向かって歩いた。

「魔獣が恐ろしくなかったことなんて一度もありませんでしたよ」

「たしかに……」

 アリエルは振り返ると、その美しい獣を見つめた。

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