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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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01 南部遠征


 空を仰ぐと雪が降っていた。

 しんしんと降り続く白い雪を見つめていると、森から冷たい風が吹いて(ほほ)を撫でていく。アリエルは幽鬼に斬られた頬に鈍い痛みを感じて、思わず顔をしかめてみせた。もちろん、それが錯覚なのは分かっていた。頬には傷痕(きずあと)すら残っていなかったのだから。


 幽鬼との遭遇から数日、アリエルは〈空間転移〉を可能にする呪術器を使用して、首長が治める〈(かげ)(ふち)〉と呼ばれる城郭都市(じょうかくとし)にやってきていた。


 かつて偉大な守人たちが混沌の脅威に立ち向かうため建設したとされる要塞は、混沌から()い出た怪物すらも近寄らない廃墟になっていたが、首長が治めるようになってからは、数千の人口を抱える都市に変わっていた。


 アリエルはその都市を囲む城壁の外にある戦士たちの野営地を歩いていた。雪が積もる野営地では、部族に関係なく多くの戦士が見られた。豹人や蜥蜴人、それに昆虫種族の傭兵。年齢や性別に関係なく女性や子ども、いかにも浮浪者といった格好の男たちもいる。


 その美しさに思わず見惚れてしまう女性や、裸足にボロ布を身に付けた(みにく)娼婦(しょうふ)(いくさ)で手足を失った男娼(だんしょう)が野営地の戦士たちを相手に仕事をしていた。誰もが一様に疲れた顔をしていたが、それでも黒装束を(まと)う守人の姿を見ると、警戒の表情を顔に浮かべていた。


 黒衣のアリエルが近づくと、彼らは武器を手にじろじろと青年を(にら)んだが、守人に(かか)わる気がないのか、結局なにもせずに道をあけた。多種多様な種族で構成される首長の軍でも、アリエルは余所者(よそもの)として扱われていたが、彼はまるで気にしていなかった。


 雪の所為(せい)なのか、しばらく歩くと彼は方向感覚を失い、広大な野営地で迷いそうになった。だが(あせ)らず記憶を頼りに歩き続けると、樹木(じゅもく)の根に(おお)われた岩の間に小ぢんまりした天幕を見つけることができた。風よけとしての役割を充分に果たしていた布をめくり、なかを覗くと、草臥(くたび)れた毛布とボサボサの毛皮が敷き詰められているのが見えた。


 その毛皮と毛布の下に赤い(うろこ)を持つ蜥蜴人が埋まっているのが見えた。しかしそれは驚くようなことではない。寒さに耐性のない蜥蜴人にとって毛皮は必需品だ。とくに雪の日には手放せないモノなのだろう。アリエルは毛皮のマントについた雪を落としてから天幕に入る。


 すると毛布の丸い山から蜥蜴人が顔を出すのが見えた。

「ぎたが(きたか)」彼はそう言うと、よろよろと毛布の間から()い出してきた。

 やはり寒さが苦手なのか、毛布の山から毛皮を引っ張り出して(くる)まる。

「づいでごい(ついてこい)」

 大柄の蜥蜴人は厚くて大きな毛皮のマントを羽織る。


 風は冷たく、(あた)り一面に雪が積もっていて歩きにくい。けれど文句を言う相手はいない。蜥蜴人の戦士に案内されたのは〝イン〟の天幕だった。久しぶりの再会だったが、簡単な挨拶をすませるなり、彼はアリエルが参加することになる〈戦果報告会議〉についてのおさらいを始めた。


「さきの(いくさ)で首長の軍が相手にしたのは反乱部族ですが、この(いくさ)に参加している多くの味方も、かつては首長の軍と敵対していた部族の出身者で構成されています。現在では首長の部族〈ジャヴァシ〉の名のもとに集い戦っていますが、それぞれの部族が別々の思惑を持って(いくさ)に参加するのは当然のことであり、戦後に首長から得られる恩賞にも差が出てきます」


 過去にはその恩賞が原因で軍団同士の衝突も起きていた。二度と同じ(あやま)ちが繰り返されないために〈戦果報告会議〉という場が(もう)けられることになった。


「そこではそれぞれの軍団の長、つまり将軍たちによって話し合いが行われます。戦果や手柄を主張して、その食い違いや虚偽を正し、それでも問題が生じた場合、解決のための話し合いが行われることになっています。そしてそれが会議の目的でもあります」


「その話は覚えているよ」と、アリエルは天幕内を見回しながら言う。

「それで、俺は何のために呼ばれたんだ?」


 インは細く切れ長の目でアリエルを見つめる。

「味方同士で争わないための会議でしたが、それでも流血事件が起きてしまった。それを阻止するため、軍団から優れた戦士を会議の場に連れてくるようになった。それが何度も繰り返されていくうちに、いつしか習慣になりました」


「儀式めいた習慣か……その戦士として招待されたのか?」

「ええ。その会議で戦士たちが行う作法があるので、今から説明します」

「作法?」


「ちょっとした余興(よきょう)のようなモノです。モリャル・タンガ、短槍をこちらに」

 モリャル・タンガ、古の言葉で〈()れたガマ〉を意味する言葉。その名を持つ赤い(うろこ)の蜥蜴人が近くにやってくると、机に短槍をドカリとのせた。


「ちょっと待ってくれ」

 アリエルは思わず質問する。

「ガマって確か、湿原や沼地の水辺に自生している植物だったような気がするけど、彼の名前は本当にモリャル・タンガであっているのか?」


「そうですが、何か問題が?」インは目を細めた。

「いや、問題はない。ただ彼のような勇敢な戦士に〝濡れたガマ〟なんて名前が与えられているなんて思わなかったから、なにかの悪い冗談(じょうだん)だと」

(いにしえ)の言葉が分かるのですか?」


「ああ、幼いころに少し教わったんだ」

「そうですか……。驚く気持ちは理解できます。さすがに〝ヤァカの糞〟と呼ばれている蜥蜴人に会ったときは、私も驚きましたから」

 インはその時のことを思い出したのか、口元を隠すようにクスクスと笑った。


「さて」彼は場の空気を引き締めた。

「目の前の短槍を御覧ください」


 アリエルは短槍を手に取る。ずしりと重く、間近に見ると、より一層その美しさが際立つ。金色の刃には古代文字の華やかで流れるような書体が、装飾模様にまじり合い溶け込むように彫られている。


 時折(ときおり)、短槍の持ち手に淡い光が(にじ)むように浮かび上がるのが見えた。まるで短槍の鼓動のようだとアリエルは思った。けれども、この短槍は戦闘に使用するものではない。美術品、あるいは装飾品の(たぐい)なのだろう。


「その短槍は戦いを目的とした道具ではありません。しかし会議に参加することが許される戦士のなかには、それを武器として扱える者がいるかもしれない。ですが神々の血を継ぐ能力者によって、武器として使用されたさいに短槍が自壊する(まじな)いが付与されています。だから会議の場で所持することが許されています。短槍の石突を見てください」


 アリエルは誰もいない空間に短槍の穂先を向けたあと、石突を確認する。

「会議が始まると、各軍団の(おさ)が名乗りを上げてから、自軍の戦果や手柄を報告することになります。そのすぐあと、軍団長の後ろに並んでいる戦士たちが二度、石突を地面に突き立てます」


 アリエルが石突を地面に突き立てようとすると、インは(あわ)てながらそれを止めた。

「それは会議の場で行ってください。ミジェ・ノイル閣下が名乗りを上げ、聖地での戦果を報告したあと、あの(いくさ)に参加した戦士たちと一緒に短槍の石突を地面に突き立ててください。すべての軍団の報告が済んだら、また地面に石突を突き立てることになります。その場にいる戦士たちと同じタイミングで短槍を突き立てるだけでいいです。ただし、一度だけです。それで貴方の役目は終わりです。そのまま会議の場から退出してください」


 理解はできた。けれど――。

「一体全体なんのために、そんなことをやるんだ」


「力の誇示(こじ)など理由は色々ありますが、動物が唸り声を上げ、周囲を威嚇するのと同じです。我々はこれだけの手柄を挙げた。文句があるのならかかってこい。(いくさ)の準備は出来ている。そんな感じです」

「そんな感じって……」


「本来の目的を見失い形骸化(けいがいか)した風習や伝統なんてモノに、たいして深い意味はないのです。しかし、続けることに意味はある。不思議なものです」

 本来、戦士たちの役目は将軍を護衛することだったが、いつしか他の軍団を威圧し、従わせることに目的が変わり、今では部族の武威(ぶい)を示す行事に変わった。それだけのことなのかもしれない。


「ところで、着替えは持ってきましたか?」

 インの言葉に、アリエルは「やれやれ」と溜息をついた。

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