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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 すべてを()てつかせるような冷気が立ち込め、(うず)を巻いて(もつ)れている。その空間のなかを浮遊するように、黒いマントを(まと)った幽鬼が徘徊している。近くにいるだけで周囲の者に言い知れない恐怖を与え、生きる気力を奪う存在、それが〈ウルク〉からやってきた幽鬼だ。


「エル、どうするの?」

 ラライアが耳元で(ささや)く声に反応して、アリエルは森の奥に視線を向ける。

(やつ)に見つからないように、静かに草陰を移動する」

「まだ偵察を続けるの?」

「ああ、まだ〈先兵の風穴〉を偵察していないからな」


 ラライアは白い息を吐き出すと、アリエルから離れないように彼の手を取って森を進む。ふたりの(かす)かな気配を感じ取っているのか、幽鬼は(せわ)しなく動き回っている。しかし角灯(ランタン)の呪術器は想定していたよりも高い効果を発揮していて、ふたりの存在を幽鬼の眼から隠してくれていた。


 けれど安心することはできない、森を移動すれば必ず痕跡(こんせき)を残すことになる。そしてウルクの先兵は、その(かす)かな痕跡も見逃さない。


 時間をかけながら慎重に進み、幽鬼の姿が見えなくなるころ、前方に古代遺跡の残骸があらわれる。苔生(こけむ)した石壁には()()りの彫刻が施されているが、風化していて何が描かれているのかは分からなかった。しかしそれが知的に進化した種族の手によるモノなのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


 遺跡を見回すと、あちこちに石畳(いしだたみ)()かれていることが分かる。しかし地中に埋まる構造物に(おお)(かぶ)さるように大樹(たいじゅ)()が張り巡らされている所為(せい)で、足場は不安定で歩くのにも苦労する。


「このまま遺跡に侵入するの?」

 不安そうな表情を見せるラライアにうなずいたあと、アリエルは角灯(ランタン)(かか)げながら遺跡に足を踏み入れる。


 その瞬間、得体の知れない気配を感じ取り首筋に鳥肌が立つのが分かった。混沌に属する何者かによって、遺跡に侵入したことが察知(さっち)されたのだろう。森の(いた)るところから殺気を含んだ視線を浴びることになったが、ふたりの正確な居場所を把握していないからなのか、遺跡を徘徊している幽鬼がやってくることはなかった。


 ふたりは植物に(おお)われた高い石壁に残された浮き彫り(レリーフ)を横目に見ながら歩いた。彫刻のなかには保存状態が良く、古代文字のような記号や動物、それに無数の龍の姿が確認できるモノも残されていた。


 まるで実際の情景を写したかのように精緻(せいち)()られている彫刻や巨大な彫像を見ていると、どこか(おごそ)かで、畏怖(いふ)(ねん)すら覚えるような気がしたが、そんな気持ちに(ひた)っている余裕はなかった。ふたりは幽鬼が徘徊する遺跡の真只中にいて、角灯(ランタン)の淡い光によって、かろうじて現世に命を(つな)ぎとめていた。


 数十メートルの高さがある石柱に四方を囲まれた小さな祭壇(さいだん)が見えてくる。時間の流れとともに風化して()ちていく遺跡と異なり、その場所だけが当時の姿を維持しているかのように見えた。それは誰の目から見ても異様な光景だった。


 巨大な黒曜石から削り出されて作られたようにも見える石柱には、まるで余白を嫌う彫刻家の手によって隙間なく文字が彫られていて、抽象的(ちゅうしょうてき)、あるいは幾何学的(きかがくてき)装飾模様(そうしょくもよう)(たぐい)は見られなかった。


 祭壇が鎮座する床にも柱と同様のツルリとした石材が使われ、風化の痕跡は見られない。遺跡の至るところに()(しげ)っていた植物や(こけ)も、ここでは確認できない。寒々とした場所に、無機質な構造物が(そび)えているだけだ。


 暗黒を(まと)ったかのような長方形の祭壇の(かど)は、磨き上げられた黄金で縁取られていたが、祭具や供物(くもつ)は確認できない。しかし祭壇のすぐ背後には地下に続く風穴(ふうけつ)が開いていて、その先に〈ウルク〉に続く〝門〟があるとされている。もっとも、数十年もの間、その門を直接目にした守人はいない。風が吹き荒ぶ暗い竪穴からは時折(ときおり)、悲鳴にも似た甲高い叫び声が聞こえ、幽鬼が出入りしていた。


 ふたりは倒壊した石柱の陰に隠れるようにして、遠くにある祭壇の状態を確認する。普段は〈遠見〉の効果が備わる呪術器を使用して離れた場所から偵察しているので、ここまで祭壇に近づいたのは初めてのことだった。しかし数か月前に確認したときから変化した様子は見られない。幽鬼が砦の近くを徘徊していると言っていた兄弟は、別の何かと見間違いをしたのかもしれない。いずれにせよ、この場所に長居することはできない。


「……ここまでだな」

 祭壇に接近する幽鬼の姿が見えると、アリエルはラライアと手をつなぎ、角灯(ランタン)(かか)げるようにしてゆっくりと遺跡の出口に向かう。任務は順調に進行している。呪術器の性能も確認できたし、混沌から()い出た怪物とも戦闘になっていなかった。あとは無事に遺跡を脱出できれば、完璧に目的を達成することができる。


「大丈夫か、ラライア」

 凍えるほど寒いにも(かか)わらず、彼女は(ひたい)に薄っすらと汗をかいていた。

「……ちょっと気分が悪いかも」

「遺跡に立ち込めている瘴気と、幽鬼たちの気配の所為(せい)だ。遺跡から離れれば、徐々に気分が良くなると思う」


「エルは平気なの?」

 彼女の紅い眸に見つめられた青年は、しばらく黙り込んで考える。

「これくらいの瘴気には慣れてるんだ」


 それに、と彼は思う。自身の血に流れている力を使うとき、彼は邪悪な気配に満ち満ちた空間に意識を沈める。そこでは混沌の瘴気よりもずっと(おぞ)ましいモノたちの力や視線に(さら)されることになる。それでも気が狂いそうになるほどの恐怖に耐えながら、何度も何度も能力を使っているのだ。遺跡に立ち込めている薄い瘴気なら、すでに耐性ができていた。


 けれど遺跡を徘徊している幽鬼の気配には慣れることがない。ふたりは足を止めると、進行方向にいる幽鬼を見つめる。遠目から見れば黒いマントだけが意識を持って動いているかのように見えるが、注意深く観察すると、幽霊のように朧気(おぼろげ)な人の輪郭(りんかく)を目にすることができる。そこに黒い装束を身に付けた幽鬼がやってくるのが見える。


 あの衣装には見覚えがあった。黒い羊毛の衣類に使い込まれた革鎧を重ね着して、その上に(つや)のない黒い鎖帷子(くさりかたびら)を上着のように身に付けて毛皮を(まと)っている。それは一般的な守人の戦闘装束であり、これまでに幽鬼が殺してきた守人から剥ぎ取られたモノだった。


「マズいな」アリエルは物陰に隠れると、他の幽鬼に指示を出しているようにも見える黒装束の個体を(にら)んだ。「あれは〈ウルクの猟犬〉だ」

 猟犬の名で知られた幽鬼は、斥候(せっこう)のような役割を持つ特殊な個体で、移動範囲が広く、狩りを得意としていた。これまでにも多くの守人が犠牲になっていることからも、その個体がどれほど危険な存在なのか認識できた。


「あれがいなくなるまで待つの?」

 ラライアの言葉を否定するように、アリエルは頭を振る。

角灯(ランタン)が不安定になっていて、連中がいなくなるまで動いてくれるのか分からない」

「なら強行突破するの?」

「ああ、遺跡の出口も近い。ラライアが全速力で走れば、さすがに連中も追いつけない」


 彼女はうなずいて、それから悪戯(いたずら)っぽい表情を見せる。

「それならさ、あの綺麗な剣も奪っちゃおうよ」

 アリエルは猟犬が腰に差していた白銀の(つるぎ)に視線を向けた。それは他の幽鬼が手にしている武器に似ていたが、猟犬が所持していたのは両刃の剣ではなく、守人が使い慣れていた片刃の剣だった。


「あんな化け物から、どうやって剣を奪うつもりなんだ?」

 アリエルの問いに彼女は苦笑いを浮かべる。

「あいつの腰から落としてくれたら、走って通り過ぎるときに私が(くわ)えて逃げるよ」

「どうやって腰から落とすんだ?」

「それはエルが考えて」


 幽鬼をじっと見つめたあと、青年は口を開いた。

「考えがある」

「教えてくれる?」と、彼女は満面の笑みを浮かべた。

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