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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 日の光すらも(さえぎ)られる深い森で、アリエルはじっと草陰(くさかげ)に身を隠しながら上空にいるカラスの眼を使い戦狼(いくさおおかみ)の姿を探す。


 かれは〈獣の森〉を偵察する巡回部隊と共に〈境界の砦〉を出発していたが、今はひとりで森の奥地に足を踏み入れていた。それは命取りになりかねない危険な行動だったが、同行していた守人たちは何も言わない。アリエルが単独行動することに慣れてしまっている所為(せい)でもあるが、彼らは深紅(しんく)の瞳を持つ青年のことを恐れていた。


 あるいは、他種族に対する嫌悪感(けんおかん)だったのかもしれない。辺境の集落から砦に送られてきた人間の多くは、これまで他種族と関わることなく生きてきた。だからなのだろう、白い髪に赤い眼を持つアリエルは得体の知れない存在として嫌われ避けられる傾向があった。


 だが、当の本人は(すず)しい顔をして、まるで兄弟たちのことを相手にしようとしなかった。彼にはやるべきことがあり、その貴重な時間を使ってまで自分のことを毛嫌いする人々の相手をする理由がないと考えていた。結局のところ、砦にいる兄弟たちは赤の他人であり、相容(あいい)れない存在なのだと彼自身も心のどこかで感じていた。


 目的の戦狼を見つけると、アリエルは念話が届く距離まで移動して、ラライア=イルヴァと連絡を取る。彼女は()れからひとり離れ、青年を迎えに来てくれた。

『今日はどこまで偵察に行くんだ?』

 アリエルに会えたことが嬉しいのか、ラライアは長い尾を左右に大きく振る。その姿に青年は思わず微笑(ほほえ)んでしまうが、すぐに気を引き締める。


「〈先兵の風穴〉だ。幽鬼が砦の近くで徘徊しているのを兄弟が見たんだ」

 混沌の領域に接近しなければいけないと知ったからなのか、ラライアは低い声で(うな)る。

『死人の相手はできないぞ』

「戦う必要はない。あの場所で何が起きているのか偵察するだけだ」

『偵察だけで済んだことなんて、今まで一度もなかったでしょ?』


 アリエルが肩をすくめると、白銀のオオカミは溜息をついてみせた。

「ところで話は変わるけど、ラライアに贈り物があるんだ。気に入ってくれると嬉しいんだけど――」

『贈り物!』と、彼女の声は(はず)む。『でも、どうして贈り物なの?』

「いつも世話になっているからな」


 青年はそう言うと、収納の腕輪から〈胸飾り〉と〈腰巻き〉を取り出す。それらの装身具は蝋引(ろうび)され革紐で丁寧に編まれたモノで、恐鳥(きょうちょう)の羽で美しく装飾されていた。ひどく簡素な作りだが〈伸縮〉と〈保護〉の言葉が刻まれているため、下手な防具を身に付けるより、よほど安心感のある装備になっていた。


 アリエルが装身具について説明すると、彼女はソワソワしながら彼の周囲を歩いた。

「身に付けてみてくれないか?」

 青年が背中をみせると、彼女はすぐに人の姿になり、彼の背中に抱き着いた。

「嬉しい! 本当に私がもらっていいの!?」

「もちろん。それはラライアに身に付けてもらうために、クルフィンに頼んで神々の言葉を刻んでもらったんだ」


「そっか。ちょっと待っててね……」彼女はそそくさと着替えようとするが、何かを身に付けること自体に慣れていないからなのか、胸飾りを身に付けるのに手間取ってしまう。

「手伝うよ」

 アリエルが振り向こうとすると、彼女は慌てながら彼を止める。

「ううん、ひとりで大丈夫! だから動かないで待ってて」


 しばらくすると、彼女の緊張した声が聞こえる。

「もう……いいよ」

 青年が振り向くと、装身具を身に付けたラライアが恥ずかしそうに立っているのが見えた。その胸飾りでは、彼女の大きな乳房を(おお)い隠すことはできなかったが、少なくとも隠すべき場所は見えないようになっていた。それは腰巻きも同様だ。


 装身具を身に付けたことで、(かえ)って露出している肌が目につくようになったが、なにも身に付けていないよりかはいいだろう。辺境で暮らす部族の人々も同じような恰好なので、彼女に(いや)らしい眼を向ける者も減るだろう。


「すごく似合ってるよ」何故(なぜ)かアリエルも緊張して顔を赤くしたが、素直に彼女の容姿を()めて、それから(たず)ねた。「違和感はないか? 動きの邪魔になるとか」

「ううん。これでいい」彼女も笑顔で答える。


「良かった。……それなら、伸縮(しんしゅく)の言葉が機能してるか確認しよう」

「ねぇ、本当に身に付けたまま姿を変えてもいいのかな?」

「大丈夫だと思う」

 ラライアは紅い眸で青年のことをじっと見つめて、それから複雑そうな表情でうなずく。


 オオカミの姿に戻ったラライアが不満を口にすることはなかった。装身具が身体(からだ)()め付けることはなく、動きの邪魔になるようなこともなかった。〈伸縮〉の言葉によって適切な大きさに変化した装身具は、フサフサとした白銀の体毛に隠れて見えなくなっていたが、壊れてしまうようなことはなかった。


『良かった……』と、彼女は息をつく。『それじゃ、そろそろ出発する?』

「そうだな、暗くなったら厄介なことになる」

 アリエルはオオカミの背に飛び乗ると、転がり落ちないようにバランスを取る。

『準備はいい?』


「待ってくれ」

 かれは上空にいるカラスの眼を使って周囲に危険な生物がいないか手早く確認する。

「よし、いつでもいける」


 いつもより軽快に走っていたラライアに、その理由を(たず)ねると、足が痛くならないからだと彼女は答えた。どうやら〈保護〉の言葉も適切に機能しているようだ。足を傷つけてしまうことを過度に恐れずに走れるようになったからなのか、ふたりは普段よりもずっと早く目的地に到着することができた。


 人の姿に戻ったラライアとアリエルは、背の高い雑草のなかにじっと身を潜めて、周囲の様子を偵察することにした。ふたりの足元には女性の腰よりもずっと太い大樹(たいじゅ)の根が縦横無尽に張り巡らされていて、すぐ近くの水溜まりには数百匹の羽虫が飛んでいる。


 あまり長居したくない場所だったが、ここから先は〈先兵の風穴〉を守護する複数の幽鬼が徘徊しているので、慎重に行動する必要があった。


 ラライアが虫除けのために、全身に灰色の泥を塗っているのを見ていたアリエルは、クルフィンから預かっていた呪術器を試すことにした。しっかりと手で握り込めるように削られた藍鉄色のツルリとした球体状の石は、念話が可能な距離を飛躍的に向上させる効果を持つ呪術器で、他の呪術師からも念話の内容を傍受(ぼうじゅ)されないようにするための仕掛けも施された代物だった。


 その呪術器を使ってアリエルが確認したかったのは、混沌の影響がある場所でも、問題なく念話ができるのかということだった。通常ならば、混沌の邪気や瘴気によって、呪素(じゅそ)の流れが阻害され念話に影響を及ぼし、遠く離れた相手と会話ができなくなる。しかしこの呪術器を介して念話を行うことで、混沌に影響されずに会話ができるようになるという。


 きめ細かな肌に泥を塗るラライアの様子を見ながら、アリエルは砦にいるルズィと連絡を取る。そして問題なく会話ができると分かると、場所を変えて何度も呪術器を試した。南部遠征のさいに危険な場所で仲間とはぐれるようなことになっても、すぐに連絡が取れるように備えておかなければいけない。


「それで」と、頬に泥を塗っていたラライアが言う。

「次は何をするの?」


 アリエルは彼女の身体(からだ)を眺めて、それから(たず)ねる。

「そこまで泥まみれになる必要があったのか?」

「ううん。でもね、混沌に汚染されていないこの(あた)りの泥は肌にいいから。ほら、エルにも塗ってあげるから動かないで」


 彼女が言うように瘴気は(ただよ)っていたが、樹木(じゅもく)の根に守られているからなのか、大地に混沌の影響は確認できなかった。


 ラライアは手を伸ばすと、アリエルの頬に泥を塗りたくっていく。たしかにその泥からは、生物が腐ったような臭いはしなかった。どちらかといえば、鼻がスッとするような清涼感(せいりょうかん)のある匂いがしていた。


「これはね、虫除けにもなるんだよ」

 彼女はふふんと笑顔をみせながら、アリエルの顔を泥まみれにする。

「ラライアたちはニオイに敏感だけど、この泥の匂いは嫌にならないのか?」

「ならないよ」彼女が頭を横に振ると、銀色の長髪がサラサラと胸の上で踊る。「この匂いに慣れてるからね。それに、エルのニオイは何処(どこ)にいても分かるから」


 アリエルは無意識に黒装束を()いだが、泥の所為(せい)で自分のニオイが分からなかった。

「それで、次は何をするの?」と、彼女は笑みを浮かべる。

 かれは収納の腕輪から角灯(ランタン)を取り出す。それは幽鬼や混沌の眷属(けんぞく)が嫌う光を(とも)せる呪術器で、野営地を設営するさいに魔除けとして使用する予定だったモノだ。


「本当に効果があるのか確認する」

 彼女は肩をすくめると、アリエルのあとに続いた。

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