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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 アリエルは塔の石壁に手をかけ、(わず)かな出っ張りにぶら下がると、腕の力だけで身体(からだ)を引き上げていく。今にも崩れてしまいそうなほど頼りない石壁だったが、アリエルひとりの体重くらいなら問題なく支えられるだろう。


 塔の内部に向かって倒壊した壁の近くまで登ると、ぐるりと回るようにして横に移動し、混沌から這い出たような怪物の姿をした水落(みずお)としに向かって手を伸ばす。


 コウモリに似た翼を持つ石像に手をかけると、そのまま空中にぶら下がり、となりの石像に手を伸ばして(つか)むと、石像を(つた)って移動していく。しっかりとした石組が見えてくると、ふたたび塔の頂上に向かって登り始める。


 そのころになると、穀物を目当てにカラスが集まってくるのが分かった。塔に登るようになってから、餌を与え、少しずつ()れさせていった所為(せい)なのか、今ではアリエルの姿に(おび)えることなく近づいてきてくれる。


 しかし塔に登っている最中に(まと)わりつかれてしまうと、身動きが取れなくなり、砦の広場で剣術の訓練をしていた兄弟たちに見つかってしまう可能性がある。別にやましい事はしていなかったが、幼いころ、砦に登るのは決まって訓練を(なま)けたいときだったので、今も習慣として誰にも見つからないことを心掛けていた。


 もっとも、雨でも降らなければ兄弟たちは空を見上げることがなかったので、彼が塔に登っていることに気づく者はいないだろう。


「すぐに登るから、頂上で待っていてくれ」

 アリエルの言葉を理解しているのか、濡羽色(ぬればいろ)の美しい翼を持つカラスの()れは短く鳴いたあと、塔の頂上に向かって軽やかに飛んで行く。静かになり風の音だけが聞こえるようになると、彼は石と石の間にある小さな隙間に指を入れ、指先に力をかけて安全性を確かめてから、ゆっくりと壁を登っていく。


 足元の石組は所々、陥没(かんぼつ)していて今にも崩壊しそうになっていたが、かつて塔の頂上から森を監視していた守人たちによって設置された屋根のおかげで、なんとか持ち堪えているようだった。けれどその木造の屋根もひどい状態で、(はり)は腐っていたし、腐朽(ふきゅう)していた柱も立っているのが精一杯という有様(ありさま)だった。


 と、青年の到着を待っていたカラスたちが一斉(いっせい)に集まってくると、彼は収納の腕輪から穀物の入った袋を取り出し、中身を周囲に()いたあと、手で穀物をすくい取る。すると一羽の大きなカラスがアリエルの手首に乗り、彼の顔をじっと見つめたあと、穀物をついばむ。青年はその様子を笑顔で眺めたあと、森に視線を向けた。


 境界の砦に帰還して数日、アリエルたちは混沌の脅威から人々を守る任務に従事していた。といっても、〈境界の砦〉にいる守人たちの仕事は、〈奈落(ならく)の底〉にある都市遺跡と無限階段の監視であり、〈先兵の風穴〉のように、周辺一帯に存在するいくつかの混沌の領域につながる門の巡回偵察だけだった。


 そして終わりのない訓練を日課のように行う。それは脅威から人々を守護しているという実感を得ることのできない毎日だった。


 森で遭遇する化け物の相手をしていれば、少しは気が紛れるのかもしれない。けれど混沌の化け物と遭遇する頻度は少しずつだが減っていた。もちろん、危険な場所に足を踏み入れれば、すぐに化け物と戦うことはできるだろう。


 しかしそれは森の人々を助ける行為ではなく、あくまでも身を守るための自己防衛であり、ある種の狩りのようなモノでもあった。守人としての名誉は、やはり人々の脅威を排除することでしか得られないものだった。


 過酷な訓練を強いられ、危険地帯を偵察するという日々の任務では充足感を得られることはない。だからなのだろう。砦の士気は低く、新人に対して行われるイジメも後を絶たない。強姦犯や殺人者が殴る蹴るの暴行を受けるのは構わないが、没落した名家から無理やり連れて来られた無垢(むく)な子どもたちが、浮浪者のような汚い身形(みなり)の男たちからイジメに()う姿を見ると、いたたまれない気持ちになった。


 アリエルは父親代わりの総帥に、守人たちの名誉を聞かされながら育った。だから物心ついて、兄弟たちが犯罪者や、どこにも行き場のない人々だと知って幻滅もした。森の守護者は強制されて成るモノでなく、己の名誉や誇りのために成るモノだと信じていたからだ。


 けれど現実を受けいれなければいけない。守人の栄光は過去のもので、この塔のように、今は誰からも必要とされず、いつ崩壊してもおかしくない組織に変わってしまった。あるいは、守人が必要とされていない世界がやってきたことを喜ぶべきなのかもしれない。


 アリエルはカラスの艶々とした翼を優しく()でたあと、ノノに教えてもらった呪術を(ため)すことにした。それは動物の力を借りて周囲の偵察を行う呪術だったが、境界の砦にも、首長の呪術師たちにも使用できない呪術だったので、自分に扱えるモノなのか不安だった。


 ちなみに呪術は古来、部族の間で大切に保管されていた呪術書を使い、他者から学びながら会得(えとく)していくモノだった。しかしノノは想像力こそが大切だと言ってアリエルの手を取ると、彼女が心のなかで思い描く心象風景(しんしょうふうけい)を彼に見せた。


 それは自然と共に暮らすことを大切にしてきた豹人たちに根付いている思想で、呪術の発動には、言葉や文字よりも、純粋な〝想いの力〟が必要だと信じていたからだった。かれらは魂に呼応する想いの強さこそが、呪素(じゅそ)を力に換える原動力だと信じて疑わなかったのだ。


 アリエルはノノから心象(しんしょう)を受け取るために、彼女の手を握ったときに見た景色を思い出しながら、空を優雅に飛ぶカラスの姿を想い描いていく。そして彼女が練り上げていた呪素の動きを身体(からだ)のなかで再現していく。


 その血に宿る力を解放するとき、彼は奈落の底に続くような暗い螺旋階段を見ていたが、ノノを通して彼が見たのは、()き通るような美しい水面(みなも)だった。それは人魚たちが暮らす〈イアーラの涙〉と呼ばれる湖なのかもしれない。


 その水面から、純粋な呪素(じゅそ)だけを(すく)い取るように、両手で水を(すく)ってみせる。その瞬間、アリエルは全身に力が行き渡るのを感じた。


 それは暗く冷たい螺旋階段にいるときに感じられる、どこか邪悪で孤独な力ではなく、穏やかな波音に(つつ)まれるような、優しくてあたたかい力だった。アリエルは母親のぬくもりを知らなかったが、呪素と共に感じられた優しい気持ちは、きっと女神さまが豹人たちに与えている(いつく)しみの一部なのかもしれないと感じた。


 そっと(まぶた)を開くと、目の前に深紅(しんく)の瞳を持つ青年の姿が見えた。びくりと驚くと、その青年も驚いて後退(あとずさ)る。どうやら呪術は成功したようだ。アリエルが見ている月白色(げっぱくいろ)の髪を持つ青年は、カラスの眼から見ている自分自身の姿だ。(かがみ)を見るという習慣がなかったので、自分の姿に驚いてしまったのだろう。アリエルは急に恥ずかしくなって耳を真っ赤にするが、すぐに気持ちを切り替える。


 カラスの眼を借りることはできた。次にやるべきことはカラスに指示を与え、空から森の様子を観察することだった。幼いころから知っている仲だからなのか、カラスはアリエルの指示に素直に従い、空に向かって飛んで行く。


 異変を感じたのは、カラスが空に向かって飛び上がった瞬間だった。アリエルは急に身体(からだ)のバランス感覚を失って倒れそうになる。カラスの視界と、実際に自分が見ている景色の間に食い違いが生じたために混乱したのかもしれない。


 アリエルはひどい吐き気を感じながら座ると、瞼を閉じてカラスの視界にだけ意識を集中する。しばらくすると、空の広さを実感できるようになる。空を飛ぶという感覚は、言葉にするのはとても難しいが、信じられないほど素敵なことだった。


 けれど、やはりと言うべきなのか、眼下(がんか)に広がるのは鬱蒼(うっそう)とした森だけだ。樹木に覆われた山々があり、植物に埋もれた険しい渓谷があり、また森が広がる。代り映えのしない景色が延々と続いている。


 すでに想定していたことだったが、せっかく空から森を見られるのだから、もっと綺麗な景色を見ることができると期待していたかもしれない。しかしそれでも素晴らしい景色であることに変わりない。新たに製作してもらう呪術器の相談をするため、ルズィから連絡が来るまでの間、アリエルはカラスの視界から見る世界に慣れることにした。

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