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〈臣従の剣〉の能力について、大まかな挙動は理解できた。しかし、それだけでは足りない。アリエルはさらに踏み込んだ検証を行うことにした。より具体的な行動命令を与えた場合、どれほどの呪素が消費されるのか、また命令がどの程度持続するのかを確認する必要があったからだ。
彼が選んだのは、単純だが明確な命令だった。塔の上階にある〈工房〉へ赴き、加工済みの〈浮晶石〉をひとつ――それも、決められた大きさの鉱石を持ってくるというもの。曖昧さを排し、明確な行動と対象を指定することで、命令内容の解釈に余地を残さないようにした。
アリエルは抜き身の剣を握り、精神を集中させる。そして心の中で、〈巨人の子ら〉に持ってきてもらう〈浮晶石〉の大きさと形状を鮮明に描き出していく。人の手のひらに収まる程度の大きさで、ひときわ青白く透きとおる〈浮晶石〉だ。〈共感〉の呪術を使うときと同じように、心象をそのまま命令として伝えるように心がける。
直後、剣の柄を介して、手のひらから呪素がじわりと吸い取られていく感覚がした。針で抉られるような冷たく、痛みを伴う感覚が神経の先端まで染みていく。
その際に消費した呪素は、先ほどテリーを味方だと認識させたときと同程度のものだった。どうやら具体的な行動を命じたとしても、それが単純な内容であれば、呪素の消費量はそれほど増えないと判断できた。
続けて、命令の持続性を確かめることにした。完全に失念していたが、危険な隷属種を使役するうえで、これは極めて重要な要素だった。
まずは時間を指定せずに、〈巨人の子ら〉に片手を胸の高さまで持ち上げた姿勢を維持するよう命じる。それと同時に、持続的な行動を強いる際に呪素が消費され続けるのかを見極めることにした。
命令のあと、異形の存在は一切の逡巡も見せず、ただ静かに左手を持ち上げた。そしてその姿勢を保ったまま、何の感情も感じられない沈黙の立像となる。アリエルは異形の動きを確認すると、〈収納空間〉から砂時計を取り出した。
港町で手に入れていたもので、正確に半時を計測できるようになっていた。もともとは礼拝の場や航海の道具として使われていたが、いつの間にか一般にも広く普及したものだった。
その砂時計を逆さにし、砂が上から下へと流れ始めるのと同時に、異形が〈展望室〉をあとにして上階へ向かうのが見えた。
その場に残されたアリエルとテリーは、何をするでもなく静かに待つことにした。テリーは外の景色が透けて見える透明な壁のそばに立ち、雪原を見下ろしていた。吹雪は勢いを増し、塔の周囲は白い雪煙に包まれていた。
アリエルは砂時計のそばに腰を下ろすと、呪術を訓練するときのように意識を研ぎ澄ませていく。そして〈巨人の子ら〉の動きを監視するため、〈生命探知〉を発動した。
しかし、想定していた通り何の反応も得られなかった。生物として活動するための要素――たとえば、呼吸や体温の調整などが確認できなかった。代謝と呼べるような機能が存在しない可能性もあったが、詳細については掴めなかった。
続けて〈気配察知〉を使ってみる。しかし、そこでも同じ結果しか得られなかった。まるで、何もない空間に意識を向けて、じっと無を見つめているような虚しい感覚が広がる。
そこに確かにいるはずなのに、存在を捉えることができない。まるで、存在そのものがあやふやな幽霊を探しているかのようだった。
やはり〈赤頭巾〉たちが使役していた土人形に似た性質を持つ、人工生命体なのだろうか。唯一、反応が得られたのは〈痕跡感知〉だった。空間に漂う微かな呪素の残滓が、赤紫の靄となって尾を引いている。それは、異形が移動した軌跡をなぞるように〈展望室〉の外へと伸びていた。
その〈巨人の子ら〉は、砂時計の砂がまだ半分も落ちきらないうちに戻ってきた。手にしていた〈浮晶石〉は、アリエルが心に描いたものと寸分違わない大きさと形状をしていた。それは、隷属種が土人形のような精密さで命令を忠実に遂行した証だった。
そして、時期を設けずに命じていた〝片手を持ち上げる〟という姿勢も、そのまま維持されていた。
アリエルは剣の柄を握り直しながら、体内の呪素の流れを確認する。命令が発せられた瞬間に呪素の消費は確認できていた。その後も隷属種との繋がりは継続していたが、呪素が消費されることはなかった。
つまり、行動命令の持続は初動に必要な呪素さえ代償とすれば、その後の維持は比較的安定しているということだ。
〈臣従の剣〉は、〈巨人の子ら〉のように明確な意思を持たない存在に対して、命令を忠実に遂行するだけの能力を与えることができた――それとも、何らかの命令処理機構が〈巨人の子ら〉の体内に存在しているのかもしれない。
アリエルは砂時計の砂が落ちきるのを見届けながら、心の奥で冷静に分析を続けていた。塔の中は相変わらず静まり返っていて、雪の吹きすさぶ外界とは対照的に、その内側は硬質な沈黙に包まれていた。
それからはテリーの提案で、〈巨人の子ら〉の様子をさらに詳細に観察することになった。命令を複雑化させることで、どのような挙動の変化が起きるのか――それを確認するには、長時間の観察が不可欠なのだと彼は言った。
まず、〈展望室〉の内部を壁際に沿ってぐるりと歩かせるという単純な命令を与える。その上で、一周するごとに〝歩行〟と〝走行〟を交互に繰り返すよう指示した。その命令には、あえて明確な期限を設定しなかった。
異形は指示を受けると、無言のまま動き出した。巨体に似つかわしくないほど静かな足取りで、展望室の縁をなぞるように歩き続ける。広い円形の室内を、淡々と、正確に。歩行と走行の切り替えも滞りなく、どこか機械仕掛けの道具を見ているような印象すらあった。
その不気味な静寂が破られたのは、砂時計がちょうど半時を計測し終える頃だった。テリーが砂時計を逆さにしようとした瞬間、異形の挙動にわずかな変化があらわれた。
アリエルは〈浮晶石〉の性質を検証していたが、テリーに名を呼ばれて顔を上げる。その視線の先で、〈巨人の子ら〉が立ち止まり、まっすぐテリーを睨んでいるのが見えた。
氷のような殺意をまとったまま、侵入者を見定めるように動きを止めている。その体勢は、両手を床につけた状態で、獲物に飛びかかる寸前の獣のようでもあった。
〈展望室〉の空気が一瞬で張りつめる。空間全体に、言葉では形容しがたい敵意が満ちていた。アリエルはすぐに状況を理解した――期限を設けなかった命令の有効時間は、おそらく半時ほど。
〈奴隷使役〉の拘束力が途切れた途端、異形は本来刻み込まれていた〝侵入者を排除せよ〟という命令に立ち戻ったのだ。
優先順位は明らかだった。〈巨人の子ら〉は、命じられていた巡回行動を自ら打ち消し、侵入者の排除を最優先事項に切り替えた。その行動原理の明確さは、人間的な思考の余地をまったく感じさせなかった。ただ与えられた命令を忠実に実行する――それ以外の選択肢が存在しないことが、ハッキリと伝わってきた。
アリエルは即座に〈臣従の剣〉を抜き、今回は期限を〝日が沈むまで〟と定めたうえで、〈転移門〉を使って塔の遺跡を離れるまでの間、テリーを味方として認識し続けるよう命令を下した。
直後、剣の柄を介して、手のひらにあの嫌な感覚が走る。先ほどよりも多くの呪素を消費したことが、はっきりと分かった。
アリエルにとっては驚くような損耗ではなかったが、一般的な呪術師であれば、この程度の命令を一日維持するだけでも、相当な負担になると推測できた。ましてや――侵入者排除という絶対命令を、期間を設けず、数世紀にわたって継続させるには、一体どれほどの呪素を注ぎ込み、どれほど緻密に命令を刻みつけなければならなかったのだろうか。
考えれば考えるほど、かつてこの塔を――文明を築いた巨人たちの存在が、常識からかけ離れた異常なものだったと痛感する。彼らの呪力の規模、そして隷属種に対する容赦のない扱いは、人間の及ぶ範囲ではなかった。目の前にいる異形こそが、その力を証明する存在だった。
意志なき奴隷でありながら、未だに塔の秩序を守り続けている。侵入者がいなくなったと認識した途端、〈巨人の子ら〉は先ほどの巡回命令を再び実行し始めた。殺意を抱いていたことが嘘のように、そこには何の意思も含まれていなかった。
命令の優先順位や競合、さらには自らを傷つけることに関する命令への反応など――本来であれば確かめるべき事項は山ほどあった。しかし、まずは彼らの本来の役割を探ることを優先した。〈巨人の子ら〉が普段、どこで鉱石を採掘しているのか。それを知ることが、この塔の存在理由を理解する手掛かりになる。
アリエルは剣の柄をそっと握りしめると、〈展望室〉内の巡回を命じていた指示を撤回した。命令の文言は、あえて曖昧なものにとどめた。そうすることで、複数の命令が重なったとき、どのような処理が行われるかを観察できると考えたからだ。
結果は明確だった。テリーを味方と認識し続けるという命令は維持されたまま、意味のない巡回行動のみが取り下げられた。曖昧な命令にもかかわらず、不要な部分だけが正確に取り消され、残すべき命令は揺るがなかった。
――これは偶然ではないのだろう。偉大なる巨人たちが〈巨人の子ら〉を隷属種として作り変えた際、その身体に――あるいは魂に組み込まれた命令機構は、想像以上に洗練されたモノだったのだろう。異形は、単純な命令を受け取るだけの器や人形ではない。
複数の命令を階層的に識別し、優先度を判断し、重複や矛盾を処理する――その仕組みは、土人形に組み込まれる精緻な呪術的演算装置のようでもあった。
偉大なる巨人たちは、あらゆる事態をあらかじめ想定し、数え切れないほどの命令と条件分岐を刻み込んでいたのだろう。隷属種は考えることなく、ただ刻まれた命令に従う。しかし、その従い方はあまりに論理的で隙がない。それが逆に、異様な不気味さを際立たせていた。
やがて命令の拘束から解かれた〈巨人の子ら〉は、ゆっくりと〈展望室〉を離れ、階下に向かって移動を開始した。
テリーとアリエルは互いに目配せを交わしたあと、異形のあとを追った。静まり返った塔の内部に、彼ら三人の足音だけが響いていた。階段を降りていくにつれ、空気は冷たさを増していく。どこに向かうのかは想像もできなかったが、
そこでは、〈巨人の子ら〉が現在まで活動を続けられる秘密を解き明かす手掛かりが得られるかもしれない。




