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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第一章 異界 後編
483/502

07


 アリエルとトゥーラは、どうにか都市遺跡の拠点へと帰還することができた。怪我もなく無事に野営地まで戻ってこられたことは喜ばしいことだったが、それ以上に重い課題を抱えての帰還になった。


 探索そのものは、大きな成果をもたらした。〈浮晶石(ふしょうせき)〉――かつて空を翔けた種族の遺産――それを発見できたことは、この世界で生きる人々に計り知れない可能性をもたらすことでもあった。


 けれど同時に、それを手に入れるための道のりが、いかに険しいかを突きつけられる結果にもなっていた。


 塔の〈工房〉に積み上げられていた〈浮晶石〉は、アリエルにとっても望みを繋ぐ希望になる。けれど、それを手に入れるためには、遺跡を徘徊する異形の生物――あの(おぞ)ましい存在を避けるか、あるいは打ち倒さなければいけなかった。


 先住民の伝承にも登場する異形の存在。人のように直立歩行し、猿を思わせる姿を持ちながらも、人でも獣でもない異質な存在。


 トゥーラは猿に似た生き物だと口にしていたが、実際には〈共感〉の呪術によって猿という単語を認識していただけで、アリエルがこの世界で覚醒したときに目にした草原――島の南部に生息する〝ヒヒ〟と呼ばれる霊長類に似ていることから、長らく未確認生物と扱われてきた存在だった。


〈神々の森〉で育ったアリエルは、樹上で暮らす猿のことは見慣れていたが、ヒヒと呼ばれる生物には馴染みがなかった。どうやら、地上での生活を好む動物なのだという。


 南部の草原にだけ生息するその生き物は、夜間は洞窟を棲み処とし、日中は広大な草原を移動しながら採餌(さいじ)する。群れで行動することでも知られ、鋭い牙と頑丈な四肢を持ち、縄張り意識が強いようだ。こうした生態が、先住民の誤解を生んだのだろう。


 荒野を彷徨(さまよ)う異形の存在を、いつしか草原に生息する類人猿と混同するようになったのかもしれない。けれど、実際にその化け物と対峙すれば、否応なく理解することになる。あれはヒヒなどではなく、ましてや人でもない。痩せ細った屍食鬼(グール)のような巨体を持つ古代の化け物なのだと。


 先住民は、その異形のことを〈アナク・カイ・ノォルガン〉――〝白き巨人の子ら〟と呼び、口承で語り継いできた。


 絶滅したはずのその存在が、なお遺跡を徘徊し、黙々と労役を続けているのだとすれば、そこには人々の想像を絶するような、狂気じみた真実が潜んでいるに違いない。


 いずれにせよ、鉱石を手にするには〈巨人の子ら〉に対処しなければならなかった。〈浮晶石〉を確保できなければ、〈転移門〉の安定した稼働も、ひいては〈神々の森〉への帰還の道すら閉ざされるかもしれない。


 アリエルの選択肢は限られていた。ひとつは隠密に徹しながら塔に潜入し、必要な鉱石を奪取すること。もうひとつは、あの異形を討ち果たすことだ。どちらにしても、危険を伴う行為であることに変わりはない。


 時間だけなら有り余っているので、別の遺跡を探索して〈浮晶石〉を探すという手もあった。けれど、鉱石が見つかる確かな保証はなく、むしろ新たな危険に飛び込むだけなのかもしれない。遺跡を探索する以上、〈巨人の子ら〉と遭遇しないとは言い切れない。


 それでも、アリエルは迷うことなく決断した。〈浮晶石〉――古代文明の浮遊技術の鍵となる希少鉱石を確保するため、再び塔の遺跡へと赴くことにした。


 ただし、今度はひとりで行くことになる。テリーやトゥーラを同行させるわけにはいかなかった。仲間を危険に晒すことは、彼にとって最も避けるべき選択だった。異形の生物と遭遇すれば戦闘は避けられず、戦いながら彼らの命を守る余裕は、残念ながら今のアリエルにはなかった。むしろ、仲間は足手まといになる可能性すらあった。


 単独行動なら、気配を殺して潜入することができる。足音を抑え、暗闇のなかに身を委ね、敵の索敵範囲を回避する。万が一、発見されるようなことになっても、形振(なりふ)り構わずに逃げれば済む話だ。


 犠牲を最小限に抑えるためにも、単独潜入こそが最も合理的で、最も適切な選択に思えた。だからこそ、夜明け前の静寂の中、アリエルはひとり塔の遺跡へと向かう。


 そうして〈転移門〉を越え、塔の遺跡へと降り立つ。冷たい空気は肌を刺すように鋭く、周囲は音のない沈黙に包まれていた。相変わらず、空間全体が時間の流れを拒むかのように静まり返っている。


 アリエルはすぐさま〈隠密〉の呪術を使い、薄闇のなかに存在を溶け込ませた。今回の探索では光源は使わない。〈灯火(ともしび)〉を使えば、異形の化け物の注意を引く危険がある。


 それに、種族の特性として暗視能力に優れていて、わずかな光の反射で周囲の様子を把握することができた。壁の凹凸や崩れかけた柱、床に散らばる破片の影――それらすべてが灰色の輪郭を帯びて視界に浮かび上がる。空気の流れはほとんどなく、微かな塵が漂っているだけだった。


 準備ができると、アリエルは足音を殺しながら慎重に歩を進める。この遺跡には、侵入者の存在を決して許さない異形が潜んでいる。まだ憶測の域を出ないが、あの化け物は暗闇の中でも微細な臭いの変化を察知し、侵入者の位置を特定する能力を持っている。警戒しすぎるということはないだろう。


 単独潜入は、一見すれば順調に思えた。けれど、遺跡内に立ち込める異様なほどの静寂が、逆に不安を募らせる。冷たい空気と音のない空間は、呼吸を止めて物陰に潜む捕食者に睨まれているかのような感覚を抱かせる。


 奇妙なことに、〈生命探知〉の呪術を使っても何の反応も得られなかった。まるで生き物そのものが存在しないかのようだった。


 それとも、あの異形は〝生命〟と呼ぶには程遠い存在なのかもしれない。すでに死んでいるのか、あるいは生物とは異なる原理で動いているのか――それすらも分からないままだったが、不気味さだけが確実に深まっていく。


 階段を上がり、〈工房〉へと続く大扉の前に立つ。両手で扉を押し開くと、重厚な扉は軋むことなく静かに開いていく。


 室内は暗闇のなかに沈んでいた。光源を使わずに潜入しているため視界は限られていたが、〈浮晶石〉の淡い光のおかげで室内の状態を把握することができた。鉱石の重みで崩れかけた棚、古びた工具、床に散らばる石片――以前と何も変わらないように思えた。けれど、わずかな見落としが命取りになる。


 今回は、前回以上に警戒しながら〈工房〉に入る。異形の気配は感じられないが、それが安心材料になるわけではない。むしろ、見えない敵ほど恐ろしいものはない。


 アリエルは息を殺し、足音を抑えながら広間の奥へと進んでいった。やがて、〈浮晶石〉の力で浮かび上がる灯籠の微かな明かりが視界の端で揺らめいた。その光は〈工房〉内に漂う塵を煌めかせ、空間全体を幻想的な輝きに満たしていく。


 その輝きを横目で見ながら、アリエルは慎重に部屋のなかに足を踏み入れる。柱や棚に収められた鉱石のひとつに近づき、そっと指先で触れて呪素を流し込むと、石は微かに脈動するような光を放った。


〈浮晶石〉で間違いない。古代文明が空を翔けるために用いた浮遊技術の核だ。アリエルは、大きさや形の異なる鉱石を必要な分だけ選び取り、素早く〈収納空間〉に収めていく。周囲に異形の気配がないことを何度も確認しながら、無駄な動きは一切せず、目的の鉱石だけを回収する。


 あとは〈転移門〉を通って野営地に帰還するだけだ。焦燥感を押し殺しながら、アリエルは静かに門のある部屋に戻っていく。しばらくして階下の部屋にたどり着いたが、そこにも異形の影は見当たらない。操作盤の前に立ち、柱に手をかざして呪素を注ぎ込む。転移の準備は整いつつあった。


 異変が起きたのは、〈転移門〉の内側で空間の歪みが発生したときだった。背後で、石片を踏み砕くような微かな音が響く。その乾いた破砕音は、静寂の中に不気味な輪郭を刻む。


 全身の血が凍りつくような悪寒に襲われ、反射的に振り返る。視線の先には、あの異形が立っていた。灰色がかった白い皮膚に、人のように直立した巨体。眼窩の奥では、無を宿した暗闇が冷たい刃のようにアリエルを射抜く。


 骨ばった皮膚に覆われた四肢は、動かずとも力強さを放ち、奇妙な威圧感を与えていた。その存在は、死と絶望が形を持って目の前に顕現(けんげん)したかのようだった。空気が重くなり、周囲の音が消える。アリエルは息を止め、思考を加速させる。


 そして異形から視線を外すことなく、ゆっくりと後ろ歩きで後退しながら〈転移門〉のそばへ向かう。異形もまた、室内に一歩踏み出す。その巨体の重量が床を震わせ、振動が足元を通して伝わってくる。空気が揺れ、緊張が極限まで高まる。


 つぎの瞬間、異形は形振り構わず突進してきた。その動きは獣のように荒々しく、両手を地面につけるような前傾姿勢で、異様な速度で距離を詰めてくる。


 アリエルは反射的に〈収納空間〉へ手を伸ばし、虚空から一本の(つるぎ)を引き抜き、すぐに抜刀して刃先を異形へ向ける。


 すると、奇妙なことが起きた。化け物は刃に怯えるかのように、唐突に動きを止めた。理由は分からない。まるで剣から発せられる気配に反応したかのように、ただ身体を硬直させていた。そのさい、白く濁った肌が微かに震えていることに気がついた。


 わずかな隙が生まれる。アリエルは躊躇(ためら)わなかった。背後の〈転移門〉の内側では、すでに空間の歪みが発生していた。彼はその歪みの中に身を投げる。すぐに異形の気配が動き出したのを感じたが、振り返る余裕はなかった。


 暗黒の世界が視界を黒く染め、身体を引き裂くような浮遊感が押し寄せ――気づけば、都市遺跡の冷たい石畳の上に立っていた。


 アリエルは周囲の様子を確認したあと、握り締めていた剣に視線を落とす。なんとはなしに〈収納空間〉から引き抜いたそれは、かつて〈シャアラ族〉の定住地を襲撃した蛮族から、戦利品として回収していた細身の剣だった。


 柄には動物の骨を思わせる白く硬質な素材が使われていて、鞘もまた真っ白で装飾のないものだった。白い小刀のように、荒野の遺跡から出土した遺物なのだろう。刀身には複雑な刃紋が浮かび、微かに青白い光を帯びている。


 あの化け物が動きを止めた理由は、この剣にあるのかもしれない。ただの武器ではなく、遺跡の鍵として機能する小刀のように、何か重要な役割を持つ道具なのかもしれない。あるいは、異形の記憶に刻まれた恐怖の象徴なのか。


 アリエルは、剣を見つめながら思案する。この剣の正体を知るには、先住民でもあるトゥーラの知識が必要だ。彼女は部族の伝承に通じていて、遺物や遺跡に関する知識を持っていた。さっそく野営地にいるトゥーラのもとに向かうことにした。

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