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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 呪術に関する独自の研究機関を持つ朧月家では、神々の血を継ぐものたちの間で能力に相違が生じる理由として、心臓に刻まれた神々の言葉が関係していると考えられてきた。炎の文字が刻まれた術者は炎を操り、風の文字が刻まれた術者は思いのままに風を制御することができる。それが古来、部族の共通認識になっていた。


 混沌の領域から〝こちら側の世界〟に流れ込んでくる未知の力が大気中に漂っている。それが人々の体内に流れる血液に取り込まれ、呪術を使用する力として利用される。心臓に刻まれた神々の言葉――たとえば炎の文字しか刻まれていない者が、鍛錬によって風を制御できるようになるのは、その〝未知の力〟を取り込むことのできる神々の血が流れているからだと彼らは信じていた。


 多くの術者(じゅつしゃ)が手の先から炎や水の力を放出するのは、血液の流れを思い描きやすいからだった。術者は血液に宿(やど)る力を意識して、それを手の先に収束(しゅうそく)させることで力を()り上げ、手の先から体外に放出している。


 その未知の力が炎や水に変換(へんかん)される現象については、やはり明確に分かっていない。だからこそ研究者たちは、呪術器のように神々の言葉が関係していると考えたのだろう。


 しかし、いざ死体を解剖して心臓を確認しても神々の言葉は見つからない。研究者は神々の言葉が死と共に失われると考え、被験者を生きたまま解剖台にのせ、対象の心臓を確認した。けれど神々の言葉は見つからなかった。ソレが魂に刻まれていると考えている種族も存在するが、どれほど宗教的な言い訳を並べても、やはり呪術には多くの謎があり今も研究者たちを悩ませていた。


 大気中から、呪素(じゅそ)とも魔素(まそ)とも呼ばれる未知の力を取り込むことができる血液について判明していることは少ない。神々の血を色濃く受け継ぐ術者が、優れた呪術師として大成(たいせい)するのは当然のことで、研究する必要もないと考えていたのかもしれない。呪術の使用回数にも影響する問題なので、研究の必要性があることは誰の目にも明らかだった。だが森の仕来りや宗教観が研究を(はば)んでいた。


 神々の血液は神聖なものであり、それを研究するということは、神々の加護に疑問を持つことである。その根拠のない、言うなれば妄言(もうげん)によって多くの研究者が二の足を踏むことになっていた。しかし宗教上の教義による思考停止が探究の邪魔であり、神が妄想であると敵視するような勢力や思想が誕生することはない。神々は実在していて、森の人々と共存している。その事実を変えられる研究者はいない。


 ノノとリリが強力な呪術を連続で使用することができるのも、彼女たちの血液に(たくわ)えられる呪素(じゅそ)の量が多く、また鍛錬(たんれん)によって呪素を練り上げる精度が高いからだった。体内に取り込んだ呪素を無駄にすることなく、的確に放出することができる。それは人間の呪術師にとっても〝出来て当たり前〟のことだったが、姉妹ほどの練達者(れんたつしゃ)は存在しないだろう。


 しかしその姉妹と比較しても、アリエルが使用する能力は異常だった。豹人の死体が無雑作に転がる穴に向かって青年が手を伸ばすと、彼の周囲が(かす)かに暗くなるのが見えた。ノノは世界から色が(うしな)われていくような、そんな奇妙な錯覚を(いだ)いた。


 地面がぐらりと揺れて樹木(じゅもく)の枝が音を立て(ふる)える。それは一瞬のことだったが、村の住人は鳥肌が立つような不気味な気配を感じて周囲を見回す。壁の向こうに見える森からは、数え切れないほどの鳥が騒がしく鳴きながら空に舞い上がる。すると穴の底に横たわる無数の死体から、黒い(もや)が立ち昇るのが見えた。


 それは傭兵たちが死の間際に感じていた怒りや憎しみによって、この世界に形作られた思念体、あるいは邪悪なモノの集合体だった。アリエルは足元から()い寄る恐怖に顔をしかめる。まるで〝あちら側の世界〟にいる何者かによって監視されているような、そんな嫌な気配を首筋に感じる。


 アリエルは気を静めながら、心のなかに存在する領域に向かって意識を沈み込ませる。暗く深い竪穴には石造りの螺旋階段があり、その階段を下っていく自分自身の姿を思い浮かべる。すると壁際に無数の(ひつぎ)が立っているのが見える。その(から)の棺の(ふた)()け、死者たちの思念によって形作られた黒い(もや)が閉じ込められていく姿を思い描いていく。


 どこか遠くで(ひつぎ)が閉じていく音が聞こえると、アリエルは(まぶた)を開く。青年の視線の先にあるのは傭兵たちの死体だけで、邪悪な気配を(まと)(もや)は消えてなくなっていた。あちら側の世界から、こちら側の様子を監視していた奇妙な気配も消えていたが、大気中に混沌の影響が残っているのか、嫌な息苦しさを感じた。


 彼は砦の守人に支給されている〈浄化の護符〉を取り出すと、それを使いながら邪気を払っていく。すぐに対処しなければ、人々の脅威になる悪霊や混沌の生物を呼び寄せてしまう。護符は混沌の気配に反応して、瞬く間に燃え上がり灰に変わる。


 呪術を使用することは、すなわち〝こちら側の世界〟に混沌の影響を与えることでもあった。基本的に呪術は〝あちら側の世界〟からやってくる力によって発動する。そして呪素が炎や水といった安定した物質に変換されるさいには、(かす)かだが、この世界に混沌を発現させる。そして使用される呪素の量が多ければ多いほど、混沌の影響は顕著(けんちょ)になる。


 悪霊や危険な生物を呼び寄せる邪気を発生させることもあれば、混沌の化け物が()いだす(ゆが)みが出現することもあるが、呪術師が最も恐れるのは混沌に意識を奪われることだった。混沌の邪悪な意思に(とら)われた者は、混沌に連なる神々の信奉者(しんぽうしゃ)になり精神に異常をきたす。優れた呪術者であればあるほど、その危険性は高まる。


 守人たちが浄化の護符を常備しているのは、混沌の領域から〝こちら側の世界〟にやってきた生物の多くが、その身に邪気を帯びているからだった。強力な個体ほど、濃い邪気を(まと)っている。そして絶え間なく放出される邪気は、着実に森を侵食していく。だからこそ浄化の護符が必要だった。邪気を払わなければ、いずれ森は変質して混沌に呑み込まれてしまう。


 ノノたちにも協力してもらいながら、アリエルは屋敷の周囲を浄化していく。それが終わると、物見櫓(ものみやぐら)から周囲の監視を行う。しかし敵の増援は確認できなかった。


 傭兵たちは襲撃が失敗すると考えていなかったのかもしれない。しかし懸念(けねん)もある。傭兵団は数日前から村に滞在していた。であるなら、屋敷に豹人の姉妹がいることを知っていたはずだ。彼女たちが呪術師としても優れていることは、彼女たちが身に(まと)う呪素で分かっていたはずだ。


 アリエルが思いつめた表情で森を見つめていると、いつの間にか(となり)にやってきていたノノが〈魂の束縛〉について青年に質問した。彼女にはあの能力が呪術ではなく、もっと恐ろしいモノに見えていた。


「呪術を使用するときには、あらかじめ(たな)のような場所に力を保管しておくだろ?」

 青年の言葉にノノはうなずく。呪術を使用するさいに人々が思い描く心像(しんぞう)は異なるため、一概(いちがい)に言うことはできないが、(おおむ)ね術者は力を保管しておく場所を心のなかに持っていた。そして必要に応じて力を解放して使用する。


『エルの場合、それは(ひつぎ)なのですか?』

 ノノの問いに青年はうなずいた。

「ああ。その棺に魂を……それが本当に魂なのかは分からないけど、それを棺で束縛しておく。そして力が必要になったときに解放する」

『その魂は、自分たちを殺めた者に協力してくれるのですか?』


「あの黒い(もや)に俺たちのような意志は存在しない。あるのは怒りと憎しみ、それに生命に対する憎悪。だからそれを利用するんだ」

『何度か目にしましたが、恐ろしい術ですね……』

「俺もそう思うけど、死体がなければ魂を束縛することはできない。だからノノやリリが使う呪術ほど使い勝手はよくないんだ」


『でも、戦場には死体が溢れています』

 ノノの言葉にアリエルは肩をすくめる。

「たしかに魂が不足することはないけど、その魂を捕えておく(ひつぎ)の数は限られている。黒い(もや)を束縛することなく、直接使役することもできるけど、負担が大きいから無限に死者の魂を利用できる訳でもないんだ」


 それでも、とノノは思う。その得体の知れない能力は、死霊術(しりょうじゅつ)と呼ぶにはあまりにも異質な力だ。アリエルの能力に比べれば、北部の死霊術師がやっていることは死体を使った人形遊びでしかない。あるいは、アリエルが使用する能力が本当の死霊術なのかもしれない。ノノは遠くを見つめながら思考の沼に沈み込んだ。

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