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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二部・第一章 異界 前編

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 つめたい風が吹き荒ぶなか、石垣に囲まれた集落の空気は嫌な緊張感に凍りついていた。武器を振り上げた狩人たちの怒声が響き渡り、石壁に反響してさらに不安を煽る。彼らの顔は煤で薄汚れ、獣油にまみれた毛皮は湿ったように鈍い光を放っていた。


 先住民を率いていた女性は、襲撃者と化した狩人たちの前に立ちはだかり、必死の形相で彼らを制止しようとした。かすれていたが、その声は毅然と響き渡る。けれど怒りに目を血走らせた男たちは、その言葉に耳を貸す気配はなく、動きを止めようとしない。彼らの怒りに満ちた眼差しは、まっすぐにアリエルへと向けられていた。


 彼女の肩越しに、赤錆を帯びた両刃の剣が振り上げられるのが見えた。アリエルは彼女を庇うため、迷いなく一歩前へ踏み出し、剣を振り上げた男と対峙する。


 薄汚れた革鎧をまとった男の顔は、激情に染まり紅潮していた。唇の端は不気味に吊り上がり、凶暴な気配が漂う。錆びにまみれた古びた剣は、その姿にもかかわらず、剥き出しの殺意を鋭く放っている。男が渾身の力を込め、唸りを上げながら刃を振り下ろした。


 その刃を真正面から受け止めることなく、受け流すように手斧を滑らせながら撥ね上げる。硬質な摩擦音が響き、鈍く錆びた剣は悲鳴をあげるように震え、火花を散らしながら無数の鉄片を飛び散らせた。


 衝撃で男の両腕が弾かれて腹部が大きく開くと、アリエルは迷うことなく踏み込み、その無防備な腹に突き込むようにして前蹴りを叩きつけた。


 呪術で身体能力を強化していなかったが、それでも骨と肉が潰れる鈍い感触とともに髭面の男は宙を舞い、荒れ地に転がった。集落の狩人たちは立ち止まると、息を呑んで転がっていく男を見つめた。だが、その異様な光景を目にしながらも、老女は動揺を見せず、枯れ枝のように細い身体で叫び続ける。


 荒野に響くその声は呪詛のように人々の理性を溶かし、アリエルを殺せと、ある種の強迫観念として彼らの感情を支配していく。


 緊張感が限界まで張り詰めたその時、先住民を率いていた女性の声が響く。動揺と怒りが複雑に絡み合い、その言葉は隊の先住民たちの胸を鋭く貫く。わずかな逡巡のあと、アリエルの戦いを目の当たりにした者たちは武器を下ろした。しかし老女にそそのかされ、欲望に突き動かされる男たちは戦意をむき出しにしながら駆け寄ってくる。


 つめたい風が地を撫で、糠雨のような薄い霧を運んでくる。ソレは冷たく湿り気を帯び、獣たちの足音をかき消していく。その間にも、集落の狩人たちを落ち着かせようとする女性の声が物悲しく聞こえていた。


 その霧の向こうから、一本の槍が放たれた。アリエルを狙ったに違いなかったが、それが直撃したのは、そのすぐ背後に立っていた若い先住民だった。槍は彼の喉元を貫いて、穂先は赤黒い血に濡れながら首の後ろから飛び出す。驚いた表情を浮かべる青年は柄を掴もうとしたが、そのまま力なく崩れ落ちた。


 その光景を間近に見た女性は、惨状に息を呑み、目を大きく見開いた。恐怖と怒りが渦巻き、その顔を赤く染めた。そして彼女は声を荒げ、自ら率いてきた先住民たちに向かって叫ぶ。『あの者たちを討て!』と。その声は、集落に巣食う悪意を打ち払うように、雨に濡れた空気を震わせた。


 彼女の声に応えるように、男たちが雄叫びをあげ、猛然と駆け出した。彼らの雄叫びは戦場めいた気配をさらに掻き立て、血と汗と泥の臭いが風に混じる。薄汚れた革鎧が擦れ合い、獣骨の飾りが乾いた音を響かせる。


 その混乱のなか、テリーは石垣の陰から飛び出してくる無数の影を見逃さなかった。目を凝らすと、二人、三人と、粗末な武器を手にした狩人たちが駆けてくるのが見えた。彼は地面に倒れていた男が手にしていた弓を拾い上げると、泥に塗れた矢を手繰り寄せながら立ち上がる。


 視界は薄い霧でぼやけていたが、呼吸を整えながら矢を引き絞り、すぐにひとりを仕留めた。矢は霧の向こうの狩人の脇腹に突き刺さり、微かな悲鳴とともに倒れる。そうして無防備に駆けてきていた狩人たちは容赦なく射られ、呻き声を上げながら地面に転がることになった。


 周囲では罵声と呻き声が交錯し、剣戟と斧の刃が木製の楯に食い込む音が絶え間なく響いた。削れた木片が宙を舞い、血と鉄の臭いが湿った風に溶け込む。


 アリエルの背後に立っていた青年は、駄獣の頭絡(とうらく)を握りしめていたが、身を守ろうとして鞘から短剣を引き抜こうとした。しかし緊張していたのか、手元が滑り、そのまま地面に取り落としてしまう。アリエルは短剣を拾い上げて青年の手に握らせようとしたが、彼の手は恐怖で震え、まともに握れない状態だった。


 そこに大男が迫る。肩幅の広いその男は、両刃の斧を高く振り上げる。それを目にすると、アリエルは手にしていた短剣を反射的に投げつけた。銀の閃光が走り、それが柄に突き刺さると、数本の指が千切れて宙を舞い、湿った音を立てて落ちるのが見えた。


 そのまま一歩踏み込むと、右手の斧を勢いよく振り抜いた。横薙ぎの一閃が薄汚れた革鎧を斬り裂く。加減を誤ってしまったのか、男の腹部が深々と裂け、鉄錆びのような濃い血と糞尿の臭いが一気に立ち昇った。腸がヌルリと滑り落ちる光景を目にしながら、アリエルは刃を引いた。


 背後から短い叫び声が聞こえる。振り返ると、禿げあがった白髭の男に組み付かれている青年の姿が見えた。老いた狩人は怒りにまかせて何かを叫んでいたが、数本しか歯がなく、その姿はひどく哀れに思えた。


 それでもアリエルは容赦なく斧を振り下ろし、禿げた男の首を()ねた。血飛沫が霧のように舞い、青年の顔に赤い雫が散った。血の臭いが満ちる中で青年に向き直り、「駄獣を連れて、すぐにここから離れろ」と言い放った。


 青年は首のない死体を見つめ、顔を青ざめさせたまま、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。やがて、ぎこちない足取りで一歩、また一歩と歩き出し、駄獣を連れて戦場と化した集落から離れていく。


 駄獣を連れた青年の背が霧の向こうに消えようとしたそのときだった。白い(もや)の向こうに、槍を構えた狩人たちの影が浮かんだ。濡れた革鎧が軋み、足音が泥濘を踏みしめるたびに小さな水音が弾ける。彼らの目は血走り、まるで飢えた獣のように殺意を滲ませていた。


 ふたりを同時に相手にするのは、さすがに面倒だと感じたのだろう。ちらりと周囲に目を走らせる。誰もが己の戦いに没頭し、アリエルに注意を向ける者はいない。それを確かめると、迫りくる男たちに向かって手のひらを突き出した。


 つぎの瞬間、空気が刃物のように裂け、かまいたちを思わせる鋭い衝撃波が放たれた。肉を断つ嫌な音が聞こえ、槍を突き出してきた狩人たちの身体を斬り裂いていく。切断された肉片が霧に舞い、内臓が音を立てて地面に叩きつけられた。鮮血は霧に吸われ、土にしみ込み、尿の臭いが鼻に突いた。


 やはり、この世界では呪術の効力が過剰に増幅されるのか、それとも現地民が脆弱すぎるのか。わずかな力の行使で、手足や臓物が霧散していく。目の前に転がる血の混じった肉塊は、もはや人の形を留めていなかった。


 その気色悪い光景を見下ろしていたときだった。霧の向こうから甲高い奇声が響いた。耳障りな金切り声に混じり、しゃがれた声が血で濁った空気を払うように聞こえてくる。視線を向けると、皺だらけの老女が腰を屈めるようにして疾走してくるのが見えた。骨の浮き出た腕が、鬼気迫る勢いで振り上げられている。


 その手には、白い刃を持つ奇妙な小刀が握られていた。かつて彼女が手にしていた儀式用の短刀とは異なり、どこか禍々しい。刃と柄の境目がなく、一体構造の独特な造形だった。金属というより、石から削り出して磨き上げたようにも見える。


 アリエルに向けられる殺意は、もはや疑いようのないものだった。無造作に身を翻すと、迫りくる老婆の右腕を容赦なく斬り落とした。切断面から黄色みがかった骨が覗き、血が霧の中に霧散した。耳が痛くなるような声で悲鳴を上げていた老婆を軽く蹴り飛ばすと、呻き声をあげながら――潰れかけた肺で必死に呼吸しようとする。


 その様子を横目で見ながら、足元に転がっていた老婆の腕を拾い上げ、その手に握られていた白い小刀を奪い取る。触れた刃は氷のように冷たく、薄暗い霧の中でも鈍く輝いていた。その造りは不気味だった。やはり繋ぎ目がなく、まるでひとつの骨から削り出したかのように滑らかで、冷たい。


 その異様な白さが記憶を刺激し、荒野で目にしていた白い監視塔の外壁が脳裏をよぎった。どこか、この世ならざる――死と呪いを(はら)んだ気配を帯びていた。


 と、その時だった。石垣の陰から、獣のような唸り声をあげて狩人が飛び出してきた。顔には泥と血がこびりつき、獲物を追い詰める獣のような形相をしている。その瞬間、アリエルはほとんど無意識のうちに手斧を振りかぶり、即座に投げつけていた。


 金属の鈍い音とともに刃が狩人の頭部に突き刺さると、男は呻き声をあげることなく、そのまま前のめりに倒れ込んだ。


 安堵する間もなく、背後から別の影が飛び出すのが見えた。泥で顔を覆い、鋭い目をぎらつかせる狩人だ。歯の隙間から唾を飛ばしながら、野太い声で怒鳴り、勢いよく駆けてくる。


 理由は分からなかったが、先ほど奪い取った白い小刀を手放す気にはなれなかった。あの刃には、どこかこの底知れない力が隠されているような気がした。投擲を諦めると、〈収納空間〉に意識を向け、すぐに別の刃物を取り出す。


 手の中にあらわれたのは、呪力を帯びた黒い刀身を持つ小刀だった。無意識に呼び出したその刃は、細身でありながら蛇のように左右にうねり、刃文が波打つように揺れていた。霧の中で乱反射する光を受けた刃の表面には、まるで鱗のように見える模様が浮かび、息を潜める捕食者のような不気味な存在感を放つ。


 狩人が斬りかかってくるのが見えると、咄嗟に足元で呻いていた老女の髪を掴み、首根っこを掴むようにして持ち上げる。老婆の腰が伸び、声にならない悲鳴をあげる。そのまま盾のように前に突き出すと、狩人の刃が躊躇いなく振り下ろされ、その身体を斬り裂いた。甲高い悲鳴が聞こえ、血の臭いが一層濃くなる。


 アリエルは老女を手放すと、狩人の喉元を狙い、〈蛇刀〉を突き出す。刃が皮膚を貫き、肉を割き、骨を削る感触が手首に伝わった。血が溢れ、狩人の目が恐怖と苦痛に見開かれる。思いもよらないことが起きたのは、ちょうどそのときだった。


 死にゆく狩人の体内から、微かな呪素が溢れ出し、〈蛇刀〉の柄を通じてアリエルに流れ込んでくるのを感じた。それは、熱と冷たさが混ざり合うような奇妙な感覚を伴っていた。

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― 新着の感想 ―
血が撒かれた箇所が畑や果樹の付近でなくて良かったですね。畑は踏み荒らされず流れでた尿と血溜まり(アンモニアや塩分その他の有害化する物質)の処理も天地返しや客土なんかの土壌改善改良作業なんかせずに、おが…
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