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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二部・第一章 異界 前編

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25


 義足の男性は記憶を辿るように目を細める。沈黙の時間が流れる。やがて彼は低く押し殺した声で語りはじめた。〝時の眠る園〟――その名は記録には残されていないが、かつて荒原の調査部隊に配属されていた折に、一度だけ目にしたことがあるという。


 詳細な場所も、遺跡に関する調査記録もなく、ただ風と砂のなかに沈みかけていた遺跡の輪郭が、薄れかけた記憶の底に沈殿しているだけだった。彼が見たモノが、まさしく目的の〈転移門〉であるかどうかは、今は判断しようがなかった。


 アリエルは懐から地図を取り出し、荒原の各地に記された印を示しながら、遺跡の位置を特定しようと試みた。しかし男性はゆっくりと首を横に振る。たしかにその遺跡を目にしていたが、場所については知らないという。荒原を調査していた当時、彼の部隊を導いていたのは先住民族のひとりだった。


 彼はその案内人について知っていることを話す。港町の人間は、その民族を〝砂被り〟と呼んでいた。それは嘲笑と侮蔑が込められた言葉でもあった。


 アリエルが「なぜ砂被りなのか」と問うと、男性は荒原に向かって無言で顎をしゃくった。


 大地は乾ききっていて、風は休むことなく吹き荒び、舞い上がった砂が地表を削りながら裸の大地を撫でていく。潤いのない大地に根を張るように生きる者たちの顔は、いつも砂に覆われ、視界は霞み、それでも彼らはただ黙々と歩みを進める。


 この地にやってきた者たちからすれば、乾ききった大地と砂塵の中に根を張って生きる者たちは、異質な存在に見えたのだろう。それを知ってか知らでか、男性はふと視線を遠くへと向けた。そして『彼らは、自分たちのことを〝風砂(ふうしゃ)の民〟と呼んでいた』と静かに付け加えた。


 アリエルは、先住民に会うにはどうすれば良いのかと質問した。男性はしばし思案し、やがて答えた。『港町に出稼ぎに来ている者たちがいる。労働の場を求めて外に出ている彼らなら、その遺跡に関する手がかりを得られるだろう』と。


 そして男性は、自身は軍の命令で荒原を調査しただけであり、先住民との接触も短く、遺跡の由来や詳細については何も知らないと繰り返した。


 遺跡に関する情報は断片的で、明確な場所の特定には至らなかった。しかし、目的の〈転移門〉に関する情報が得られたことは大きな収穫だった。少なくとも、手がかりを得ることができたのだ。


 アリエルは軽く頭を下げ、感謝の言葉を口にしてからその場を離れることにした。その態度に義足の男性は驚いているようだったが、何も言わずに感謝を受け取る。


 それからテリーの提案で港町へ戻ることを決めた。今すぐに出発すれば、陽が傾く頃には町へ到着し、ちょうど酒場に労働者が集まり始める時間帯に間に合うという。


 騒がしい店内を見て回れば、〝風砂の民〟と接触できる可能性も高まるだろう。アリエルがうなずくと、テリーは『準備してきます』と言い残し、軽やかな足取りで立ち去った。


 アリエルは近くにいた褐色の肌の男性に歩み寄り、気持ちが伝わるように言葉を選びながら礼を述べた。彼が義足の男性を紹介してくれなければ、重要な手がかりは得られなかった。その感謝の気持ちは、どうやら理解してもらえたようだ。それでも彼は、何度も『気にしないでくれ』と笑いながら言った。


 その表情には素朴な温かさと、助けになれたことへの誇りのようなものが垣間見えるようだった。彼のような善良な人々が奴隷として虐げられ、悪意を撒き散らす者たちが勝手気ままに振る舞うことを許されるこの土地の気風には、どうしても納得がいかなかった。しかし、それを変えられないことも分かっていた。


 やがて、駄獣の背に毛皮に包まれた女性を乗せたテリーが戻ってきた。彼女は毛皮の上に慎重に腰を落ち着けたものの、わずかにぎこちなさが残る。乗り慣れていないのだろう。その姿勢からは不安が見て取れたが、それでも周囲への気遣いを忘れまいと、控えめに背筋を伸ばしていた。一行はすぐに出発し、風の中へと足を踏み出した。


 歩みを進めるうち、アリエルの足は自然と早まっていた。目的地に向かう焦りではなく、手がかりが確かなモノになるという直感に、背中を押されていたのかもしれない。ふと振り返ると、テリーが駄獣の歩調に合わせて無理なく歩いているのが見えた。するとアリエルも自然と足取りを緩め、彼らと並ぶように歩き始めた。


 途中、軽食を取るために見晴らしの良い丘陵で休むことになった。彼女の容態について(たず)ねると、彼女は微かにうなずき、目元にわずかな笑みを浮かべて感謝の言葉を口にする。まだ頬に疲労の色が残っていたが、言葉には力があり、その瞳の奥には生気が戻りつつあるのが見て取れた。


『薬の代金は払えないけれど、いつか必ず恩返しをします』と彼女は言った。しかし、アリエルは見返りを求めていなかった。彼女を救おうと考えたのは、案内役としての実利以上に、傷ついた者を見捨てられないという守人としての信念ゆえだったからだ。


 そのことを彼女が理解しているかは分からない。ただ、彼女はアリエルに出会えた幸運に感謝するように、小声で祈りの言葉を口にする。


 ほどなくして、彼らは毛皮の工房へと到着した。その頃には、すでに日が傾き始めていて、雲間から差し込む光が微かに変化していた。母屋の前には毛皮の山が積まれ、風に揺れる毛先が砂埃混じりの光を受けて輝いていた。獣の血の臭いが濃く漂い、黙々と作業を続ける奴隷たちは疲れた表情で訪問者の顔を確認していく。


 アリエルは、ここで駄獣と女性を置いていくものと思っていた。しかし、テリーには別の考えがあるようだった。


 工房の責任者は、目元に深い皺を刻んだ長身の痩せた男性だった。彼の背後では奴隷たちが何人も控えていたが、誰ひとり顔を上げることなく、皮を剥ぐ手を止めようとはしなかった。彼に話を持ちかけたのはテリーだった。


 テリーはいつもの調子で口を開き、『あなたの言った通り、あの女性は死にました』と静かに告げた。その言葉に責任者は顔をしかめたあと、駄獣の背に乗る女性を鋭く睨みつける。その視線にはあからさまな苛立ちが滲んでいたが、青年は気にするそぶりすら見せなかった。


 続けてテリーは、遺体を埋めるのに苦労したことを伝え、その代償として、この駄獣を譲り受けるのが妥当だと主張した。


 責任者は怒りを隠さず声を荒らげた。彼にとって、奴隷も駄獣も貴重な労働力であり、そう簡単に引き渡せるものではなかったのだ。


 テリーは理解を示すように軽くうなずいたあと、ゆったりと周囲を見渡しながら、首を傾げた。『そういえば、あの四人組の用心棒は見かけませんが……どこへ消えたのでしょうか?』まるで世間話のような口調だった。しかしその言葉の意味を理解した瞬間、男性の顔から血の気が引いていくのが、ハッキリと見て取れた。


 それからテリーはワザとらしく肩をすくめ、声音を落とした。

『もちろん、あなたが彼らに襲撃を命じたなんて思っていませんが……仮に、もし、そうだったとしたら、同じ末路を辿ることになるかもしれません』


 責任者は何も言えず、しばらくその場に立ち尽くしていた。やがて視線を伏せ、言葉を濁すようにしてつぶやく。


『……あの女は死んだ、駄獣もいらん。好きにしろ』

 テリーはにこやかに礼を述べたが、その笑みには皮肉の色が濃く浮かんでいた。


 交渉を終えた一行は工房を後にし、再び沿岸を歩いて港町へ向かう。風は次第に湿り気を帯び、やがて視界の先に茜色の海が広がる。太陽は水平線の近くで輝き、波打つ海面は朱を含んだ金属のように重たく光っていた。


 その光景は、日常のすべてを遠ざけるような圧倒的な広がりと迫力をもって迫ってくる。空と海の境界は薄く溶け合い、世界そのものが赤く滲んでいるかのようだった。


 アリエルはその風景に思わず足を止め、しばし見入った。荒原を覆っていた乾いた空気とは異なる、湿った風が頬を撫でていく。何かが終わり、また始まるような感覚が胸の奥を震わせた。遠くに港町の輪郭が見えると、彼は再び歩き出した。日常と非日常の境目を踏み越えるように、朱に染まる道を踏みしめていく。


 港町の灯が徐々に近づくなか、アリエルは静かに思案を巡らせていた。工房での一件を振り返るたび、テリーの手際に感心せざるを得なかった。あの場で彼が一歩も退かず押し切ったことで、あの女性は命を繋いだのだ。


 もし何もせずに工房に置いてきたら、彼女は長く生きられなかったかもしれない。責任者に疎まれ、労働に耐えられないと判断された奴隷が辿る末路は、決まっている。処罰の名を借りた処刑だ。


 けれど、もちろんそれは純粋な善意からの行動ではなかったのだろう。テリーが彼女に向ける視線は、善良な保護者のものではなく、冷静で分析的な光が宿っていた。彼の目的の一端は、アリエルが彼女に与えた薬の効果を観察することにあった。


 たしかに驚異的な薬だったが、ある種の気付け薬のようなものだと考えていた。急激な効果があっても、せいぜい数時間程度のものだろうと。しかし実際にはそうではなかった。瀕死に近い状態から回復しただけでなく、女性の肌には、この土地特有の乾燥や荒れがまったく見られなくなっていた。皮膚の再生まで促されていたのだ。


 その変化は、明らかに常識の範疇を逸脱していた。テリーが彼女を手放さなかったのは、その経過を継続して観察するためだった。そして、いずれ彼はその結果をルゥスガンド――彼の主人へと報告するつもりでいた。アリエルがその薬をどこで入手したのかを問いただされる時も、遠からず訪れるはずだった。


 それでも――思惑の裏にどれほどの打算が潜んでいようと、ひとつの命が救われたことに変わりはない。その一点において、テリーの選択は正しかった。

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