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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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23


 川向こうから吹いてくる風に身を縮こまらせると、樹木(じゅもく)が立ち並ぶ陰鬱(いんうつ)な森を見つめる。そこに(おおかみ)の気配を感じ取ったが気の所為(せい)だったようだ。アリエルは腰に差した太刀の(さや)を左手で(つか)み、右手で(つか)を握る。手に馴染む感覚を確かめたあと、左手の親指で刀の(つば)を押し上げ、鯉口(こいくち)を切る。


 太刀は鯉口で締め付けられているため、たとえ乱暴に扱い(さや)(かたむ)けても刀身が抜けることはない。しかしひとたび鯉口を切ると、刀身は鞘からスラリと引き抜くことができるようになる。


 アリエルは右手で一気に刀を抜き放つと、そっと左手を添えて両手で構える。刀の重心を確かめるように手首を動かしながら、生き物を殺すためにつくられたとは思えないほど芸術的な美しさを放つ刀を――(おそ)れの感情すら呼び起こさせる刀身を眺めた。


 その刀身を左右に動かすと、風を、空気を切り裂く(かす)かな音色が聞こえた。その邪悪な(ささや)きに心が震えるのを感じると、青年は息を吐き出して心を落ちつかせる。刀の切っ先を鯉口に当てると、刀の重みだけで(さや)のなかに(なめ)らかに入り、パチンと綺麗に収まる。すぐに刀を抜くと、鞘に収める動作を何度か繰り返して、その感覚に身体(からだ)を馴染ませていく。


 それが終わると、背中に手を回して腰帯に()していたナイフの位置を確認する。ノノから守り刀として預かっていた刃物を使う場面はやってこないだろうと考えていたが、もしものときに、咄嗟(とっさ)にナイフが使用できるように準備はしておく。


『エル、これを』

 アリエルはノノから数枚のお札を手渡される。それは矢避けの護符と身代わり護符だった。青年は感謝すると、さっそく護符を使用する。砦で支給される粗末な護符だと、二枚目の使用には(まじな)いが身体(からだ)に馴染むまで待つ必要があったが、ノノの護符はすぐに効果を発揮するので待つ必要はない。


『リリ、あなたも護符を使いなさい』

 アリエルは胸に押しあてた護符が燃え尽きて灰に変わるのを確認したあと、リリが護符を使用するのを見守る。彼女は認識阻害の護符を使用したのか、少しでも気を逸らすと、彼女の存在が感じられなくなるような気がした。その場にいることは分かっているのだが、存在感が希薄になり、すぐに見失ってしまうのだ。


 それからノノは瞳の色彩を変化させながら遠くを見つめる。

『戦士たちが向かってきています。数は九……いえ、十二です』

「正確な人数が分かるのか?」

 驚きの表情を浮かべるアリエルとは対照的に、彼女は落ち着いた声で鳴く。

『呪術の力でカラスを味方につけました』


 視線を上げると、たしかに数羽のカラスが低い位置で飛んでいるのが見えた。

「カラスの眼を通して敵の位置を確認したのか」

『はい、北部ではとても役に立つ(じゅつ)ですよ』

「さすがだよ、東部の呪術師には真似できない(じゅつ)だ」


『でも』と、彼女は可愛らしい仕草で首をかしげる。『聖地で残党狩りをしているとき、首長の呪術師が鳥の視界を使っているのを見ましたよ』

「あれは飼育されて特別な訓練を受けた鳥だからできるんだ。呪術師との信頼がなければ使えない。ノノみたいに、野良のカラスを味方につけることはできない」

『それは知りませんでした』


「どうやら豹人はあらゆる点で人間より優れているみたいだな」

『そうでしょうか』と、ノノは小さな声で鳴いた。

「ああ、身体能力(しんたいのうりょく)に加えて呪術の扱いにも()けている。それに――」

『可愛い?』と、急に姿を見せたリリがノノに抱きつく。


 アリエルが緊張感のない姉妹を見つめていると、ラファから連絡が来る。傭兵団は屋敷のすぐ(そば)まで来ているようだ。

「ノノ、リリ。すぐに戦闘の用意をしてくれ」


『了解ぃ』

 リリは軽快な身のこなしで物見櫓(ものみやぐら)の柱に飛び乗ると、ひょいひょいと登り、接近してくる敵に警戒する。ノノも抜刀すると、瞼を閉じて呪術を発動する機会を待つ。


「さてと」

 アリエルは唇を舐めると刀の(さや)を左手で(つか)み、腰を落としながら右手で(つか)を握る。


 戦場に似た空気が流れ、アリエルは深呼吸して気持ちを落ちつかせる。首筋に殺気のようなモノを感じたときだった。屋敷を囲む石壁を飛び越えるようにして、武装した豹人が駆け込んでくるのが見えた。が、次の瞬間にはリリが生み出した火球の直撃を受けて倒れ込む。


 呪術によって生み出された炎は(またた)()に豹人の全身を覆っていく。戦士は火を消そうとして地面でのた打ち回るが、炎が消えることはない。哀れな豹人は悲痛な叫びを残しながら息絶えていく。けれどそんなことに構っている余裕はない。次から次に豹人の傭兵が屋敷内に飛び込んでくる。


 その内の数人は、着地と同時に地中から飛び出した植物の()に足を(から)め取られ倒れ込む。そこにリリが放った火球が直撃する。ノノが呪術で操作していた植物から運よく逃れた豹人は、屋敷に向かって形振(なりふ)り構わず駆けていくが、アリエルによって容赦なく斬り殺されていく。


 青年は素早い動作で刀を抜き放ち、頭上に振り上げる。豹人が接近すると、右足に体重をかけるようにして大きく踏み出し、振りかぶっていた刀を振り下ろす。最も基本的な動作を忠実に再現することで、最大限の効果を発揮させる。


 振り下ろされた刀身は豹人の身体(からだ)をスパッと切断し、内臓やら体液が(あた)りに飛び散る。青年はその鮮血に向かって飛び込むように、返す刀で別の豹人の首を()ねる。その間も、周囲に目を向けて敵の動きを警戒し続ける。戦場ならば、その身に宿る能力を遺憾(いかん)なく発揮することができるが、ここでは鍛え上げた身体(からだ)と剣術だけが頼りだ。


 と、前方から接近してきていた豹人が目にも()まらない速さで腕を振り抜く。アリエルは咄嗟(とっさ)に刀を使い斬撃を受け止める。しかし豹人は短刀を握り直すと、素早い身のこなしで追撃しようとする。けれどその動きはノノの呪術によって阻害される。青年は植物の根によって動きを止められた豹人の胸に刃を突き刺す。


 ちょうどそのときだった。数本の矢が飛んできて、不可視の膜に衝突したように軌道を()れていくのが見えた。アリエルはすぐに目の前の豹人を盾にして次々と飛んでくる矢をやり過ごすと、(やぐら)にいるリリに敵の情報を伝えて焼き払ってもらう。小規模な衝突を予想していたが、どうやら敵は全力でアリエルたちを叩き潰しにきているようだ。


 射手の標的がリリに変わると、青年はすぐに動いて対処しようとする。予想していなかった攻撃を受けたのは、その直後だった。仲間に気を取られた所為(せい)なのか、敵の戦士が投げた手斧が背中に直撃する。護符がなければ致命傷になっていた一撃だったのかも知れない。衝撃で倒れ込みそうになると、黒茶色の豹人が刀を振り下ろすのが見えた。


 アリエルは無意識に腕を持ち上げて攻撃を防ぐ。二度目に繰り出された斬撃も何とか防げたが、三度目はダメだった。とうとう護符の効果が切れて、斬りつけられた腕から真っ赤な血が噴き出すのが見えた。


 アリエルは鋭い痛みに顔をしかめ、思わず刀を取り落としてしまう。が、刀を拾っている余裕はないだろう。突進してきた豹人を蹴りつけて倒すと、背中に手を回してナイフを抜き、起き上がろうとする豹人の目に深く突き刺した。


「クソ」

 前腕から(したた)る血液でナイフの持ち手が濡れてしまい、上手く握ることができない。いや、そもそも痛みで腕に力が入らない。けれど敵は休ませてはくれないようだ。


「ノノ、掩護(えんご)してくれ!」

 アリエルは声を上げて敵の注意を自分に向ける。そして薬入れを腰に吊るすために使っていた革帯を手に巻いて、ナイフを握っていられるように素早く指を固定すると、腰を落として敵の攻撃に備えた。


 けれど攻撃の機会を(うかが)っていた数人の傭兵は身を(ひるがえ)すと、屋敷の敷地外に向かって一目散に駆け出す。どうやらルズィたちと戦闘状態になっていた別動隊が全滅したのを知って逃げ出したようだ。


 敵は脇目(わきめ)もふらずに走っていたが、そこにラファがあらわれる。そうしてノノとリリの呪術による掩護(えんご)もあり、間を置かずに敵部隊を制圧することができた。


 安全が確保されると、アリエルは息をついて安堵する。ノノとリリが優秀な呪術師でも、さすがに三人だけで豹人の部隊を相手にするのは無理があった。それから青年は上等な甲冑を身につけていた傭兵から何か貴重な戦利品が得られないかと考えたが、すぐに腕の治療が必要だと思い直しクラウディアを呼ぶことにした。

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