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つめたく湿った風が吹き荒ぶなか、駄獣の列を先導していた白い肌の男性が静かに前へ出た。両腕を持ち上げて、手のひらを見せつけるその動作には、敵意のない明確な意思が込められていた。彼の動きには微塵の怯えも見られず、毅然とした態度で集落からやってきた武装した男たちに近づいていく。
それとは対照的に、槍や斧を手にした集団は――武器を手にした者たちの大半がそうであるように、怯えた獣のように声を荒らげていた。粗末な毛皮を身にまとい、眼光を鋭く尖らせた彼らの視線は、無腰で歩み寄る男性に突き刺さるようだった。
武装した集団のなかには緊張のあまり、泥の中に深く踏み込んでいることにも気がついていない者もいたが、誰ひとりとしてその場から動くことはなかった。その動揺した様子から、彼らが争いごとに慣れていないことが分かる。
やがて罵声は収まり、白い肌の男性と武装した者たちとの間で会話が交わされることになった。互いに一定の距離を保ったまま立つ彼らの間には、空気が張り詰めるような、嫌な緊張感が漂っていた。その会話の内容はアリエルには理解できず、ただ風のなかで断片的に流れる言葉の響きだけが届いていた。
ほどなくして、集落を囲む石垣の向こうから数人の男性が姿を見せた。彼らは嫌らしい笑みを浮かべながら武装した集団に近づくと、小声で言葉を囁きながら、あからさまに媚びを売るような態度で接し始めた。その仕草には、彼らの立場の低さと権力への依存がハッキリと表れている。
彼らは言葉を交わしながらも、こちらに視線を向ける。そして無言のままゆっくりと近づいてきた。その様子からは、微かな疑念と何かを探るような意志が含まれていた。
鎖の束が無造作に投げ出されると、鉄の軋む音が風に乗って耳に届く。彼らは駄獣を連れていた人々の手首に、次々と錆びついた鎖を嵌め込んでいく。手枷の輪に鎖を通し、それを無言で連結していく動作は、あまりに淡々としていた。その行為には、彼らを人として尊重する姿勢が微塵も感じられず、冷酷さだけが際立っていた。
その様子を眺めながら、アリエルは状況を察していく。やはり、彼らは集落の外で労働を強いられていた奴隷であり、鎖が外されていたのは単に逃亡の可能性がないと判断していたからに過ぎない。この不毛な荒原において、水も食料も持たない者が逃げ延びられる可能性はほぼ皆無だ。すべてが合理的でありながら、あまりに非人間的な扱いだった。
つめたく重い鎖や錆のざらつきに耐える彼らの姿には、抵抗する意志すら奪われた静かな絶望が滲んでいた。
やがて、やせ細った男性がアリエルの前に立つ。皮膚が頬に張りつき、骨ばった輪郭が際立つほど痩せこけた顔には、どこか生気を欠いた雰囲気が漂っていた。その目の奥には、この地で見てきた人々と同様の、深い疲労と虚無感が見られた。男性はかすれた小声で何かを口にした。もちろん、アリエルにはその言葉の意味を理解することができない。
重い沈黙のなか、となりに立っていた青い瞳の女性が勇気を振り絞るようにして言葉を紡いだ。その瞬間だった。男性の手が音もなく振り上げられ、彼女の頬を鋭く打ち据えた。
頬を打たれた女性は、一瞬驚きに目を見開いたが、すぐにその表情を隠すようにうつむいた。沈黙が空気を凍らせる。おそらく彼女は、アリエルが旅人であり、奴隷ではないことを伝えたのだろう。しかし許可されていない発言は、奴隷の立場では到底許されない行為だったのだろう。そのため、彼女は頬を打たれたのかもしれない。
あれこれと考えを巡らせていると、武装した男たちの姿が目に入った。その集団の中から、数人の男性がこちらに向かって無言のまま歩いてくるのが見えた。その足取りには躊躇いがなく、アリエルに向かって真っすぐ歩いてくる。
やはり目立ちすぎたのだろう。手荷物もなく、黒い毛皮に身を包んだ姿は、この地にはそぐわない異質な存在として捉えられたのだろう。
彼らの視線は冷たく、値踏みするようにアリエルの姿を確認していた。しかし、すでに何らかの結論が下されたような、冷ややかな視線も混ざっていた。自らの立場を察したアリエルは、胸の奥でわずかな焦燥が広がるのを感じた。
頭上では鳥の群れが甲高い声で鳴き、吹き荒ぶ冷たい風が黒い毛皮を揺らした。逃れる術は、もう残されていないのかもしれない。覚悟を決めたほうがいいのかもしれない。
武装した男たちは無言のまま、徐々に円を描くようにしてアリエルを取り囲んでいく。どこかぎこちない動きだったが、確実に逃げ場を塞ごうとする意図が透けて見える。鎖で繋がれた奴隷たちは、争いの気配を感じ取ったのか、駄獣を引き連れながら静かに距離を取っていく。
誰ひとりとしてこちらを振り返る者はいない。その中で、褐色の肌の男性と青い瞳の女性だけが、足を止めて一瞬こちらに視線を向けた。どこか悲しみを帯びたその表情は、何も語らず、何も変えられない無力さが垣間見られるようだった。
アリエルを取り囲む男たちの顔には、ハッキリと緊張が浮かんでいた。槍を握る者たちの手は微かに震え、斧の柄を握る拳には力が入りすぎている。彼らの動作には明らかな躊躇いがあり、自ら泥濘のなかに足を踏み入れる者たちも見られた。彼らの様子を観察していたアリエルの目には、殺し合いの経験が乏しい者たちの無様な姿が映っていた。
この荒涼とした地では、そもそも命の取り合いにまで発展するような争い自体が少ないのかもしれない。けれど、それは悪い兆候でもあった。経験の乏しい者は、恐怖によって判断を誤ることが多い。予測不可能な選択が、この場をさらに危うくする可能性があることを、これまでの経験で知っていた。
ついに堪えきれず、ひとりの男性が前に出てきた。顔に刻まれた深い皺の奥にあるのは、隠し切れない緊張と焦燥感だ。彼は何かを叫ぶが、アリエルにはその言葉の意味は分からない。ただ、その声は何かを問いかけるためのものではなく、苛立ちと命令が込められた怒声だった。
アリエルはゆっくりと息を整え、静かに両腕を持ち上げた。手のひらを見せるその動作には、普遍的な非武装の意思表示の意図が込められていた。敵意がないことを伝えるための理性的な行動のつもりだった。しかし、その意図は届くことなく裏目に出てしまう。男たちの間にざわめきが広がり、彼らの視線はより鋭くなる。
左右に持ち上げた手のひらのうち、片方は鱗のような皮膚で覆われ、その形状はまるで異形の爬虫類のように見えた。そしてもう片方の手は、死人のように血の気を失った青白い皮膚に覆われていた。
その異様な姿が露わになると、男たちの反応は瞬時に変わった。彼らは一斉に騒ぎ立て、恐怖に突き動かされるように何かを叫びながら武器を振り上げたり、思わず後退したりする者があらわれた。疫病を疑う者もいれば、荒原を彷徨う悪鬼の姿を思い浮かべた者もいた。
その動きや声には、怒りというよりも純然たる混乱と恐怖が宿っているように見えた。濁った瞳に映るのは、未知の存在に対する本能的な怯え。足元の泥濘を蹴り上げる彼らの動作は乱れ、声は荒く震えていた。おそらく、普段は奴隷や酔っ払いを取り締まり、飢えに苦しむ者たちを監視する程度の仕事しかしていないのだろう。
本物の脅威を目にすることなく怠惰に過ごしてきた者たちは、今や完全に恐慌に支配されていた。
空気は張り詰め、周囲には静けさというよりも緊迫した息苦しさが満ちていた。その中で、ひときわ体格のいい髭面の男性が動き始める。槍を低く構えた姿勢は、殺意を隠そうとするそぶりすら見られず、彼の覚悟を見せつけているようでもあった。鋭い目付きでアリエルを睨みつけて、一瞬たりとも視線を逸らすことはなかった。
それを見ていた周囲の男たちも一層緊張を深める。臨戦態勢のなか、誰もが微かに震えながらその場を見つめていた。武器を握る手は汗に濡れ、呼吸は浅くなる。風が吹きすさぶなか、頭上を舞う鳥たちの鳴き声だけが大きく聞こえる。
交渉の余地など残されていないことは明らかだった。次に誰かが動けば、すぐにでも殺し合いの幕が切って落とされるだろう。その緊張のなか、アリエルは静かに状況を見定めていた。
戦いになれば、一方的な虐殺になるかもしれない。しかしそうなってしまった場合、果たして集落の住人はアリエルを受け入れてくれるだろうか。もちろん、受け入れてくれないだろう。
でも、だからと言って無抵抗で暴力を受け入れるわけにもいかない。アリエルの感情の揺らぎに呼応するように、その深紅の瞳が微かに明滅する。