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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 すべての準備が整うと、アリエルは屋敷の周囲を警備してくれていた兄弟たちと連絡を取り、それからラナが能力を発動するまで近くで見守ることにした。

 ラナは目を(つむ)り、両手で水をすくうように手を差し出す。すると彼女の手のひらが(かす)かに発光するのが見えた。それは弱々しくて頼りない光だったが、徐々に強い輝きに変化していく。


 その不思議な光景を呆然と眺めていたのは我々だけではなかった。龍の子も興味深そうに彼女が生み出した光を眺めていた。やがて龍の子は、リリの肩から床にストンと飛び降りると、蛇のようにしなやかな身体(からだ)をスルスルと動かしながらラナの(そば)にいき、彼女の両手にそっと前脚を乗せ、そしてラナが生み出す発光体を間近(まぢか)に見つめる。


 龍に触れられた瞬間、ラナは身体中(からだじゅう)に熱が広がるのを感じた。まるで炎に(つつ)み込まれているような気分だ。けれどその炎は決して彼女の皮膚を焼くことはしない。ただただ美しい青い炎が、まるで巨大な獣が唸りをあげ、(うず)を巻きながら空に向かって昇っていくように燃え上がるのが見えた。


 その炎のなかに青年の幻影が見えた。彼は火炎の前に(ひざまず)き、青い炎がつくりだす光輪を――炎によって形作られた王冠を授かる。はっきりと姿は見えなかった。けれど燃えるような(ねつ)のなかでラナは思った。〝彼こそ私の宿命なのだ〟と、そしてこの熱から、この苦しみから救い出してくれるのも彼なのだと。彼女は青年に向かって手を伸ばした。


 気がつくとひどく汗をかいていて、額から頬に向かって汗が流れていくのを感じた。やがて汗は乳房と股の間を伝い流れ、不快感に変わっていく。けれど彼女は集中し緊張の糸を緩めない。まだ炎の熱は感じていたが、それを恐れることはしない。


 (いにしえ)の妖魔を祖に持つ土鬼(どき)は亜人で唯一、龍の血脈であり、その身に炎を(はら)んでいた。恐れることは何もない。龍神のお告げを信じて、自分自身にできる精一杯のことをするだけだ。彼女は龍の幼生を介して天龍に呼びかけた。


 やがて赤々と身体(からだ)を包み込んでいた熱が引いていくと、ひんやりとした風が頬を撫でるのを感じた。彼女はゆっくり深呼吸して、それから(まぶた)を開いた。彼女の琥珀色(こはくいろ)の眸に映ったのは、青く澄んだ空と見渡す限りの草原だった。それは生まれて初めて見る光景だった。


 ラナは森に暗い影を落とす大樹や背の高い植物が存在しない世界を、ただぼんやりと眺めていた。誰かの手を握っていることに気がついたのは、鳥の鳴き声に反応したときだった。手元に視線を落とすと、アリエルの手をしっかり握っているのが見えた。そこで彼女は炎に(つつ)まれているとき、青年に向かって手を伸ばしたことを思い出す。


 ちらりと視線を横に向けると、草原を見つめるアリエルの横顔が見えた。この光景に興奮しているのか、彼の深紅の瞳は真っ赤に輝いていた。


 草原を撫でるように、真っ白な雲がゆっくりと流れてくるのが見える。アリエルはその光景に驚き、青く澄んだ空に視線を向ける。自分たちは天と地の(さかい)にいるのかもしれない。青年は興奮しながらとなりにいるラナに視線を合わせる。彼女もこの光景に驚いているのか、琥珀色の瞳をパチパチと発光させていた。


「立てるか?」

 青年の問いにラナはコクリとうなずいて、彼の手を握りながら立ち上がる。すると何処(どこ)からともなく龍の子がやってきて、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしながら彼女の肩に飛び乗る。どういうわけか、今はアリエルのことを警戒するような素振(そぶ)りは見せない。


 青年は肩をすくめ、それから周囲を見渡す。どうやらこの場所は実在していて、夢や幻覚の(たぐい)ではないようだ。ラナが始祖の能力を発動させたとき、空間転移のような超自然的な力が発生して、ラナと一緒にこの場所に移動させられたのだと彼は結論付けた。というより、ほかに説明のしようがなかった。


 ふたりは龍の子と一緒に草原を歩いた。聞こえてくるのは風と揺れる草の音だけだ。果てのない草原は、緑の絨毯のように一面に広がっている。けれど注意深く観察すると、色とりどりの花や昆虫がそこかしこに息づいていることが分かる。


「ラナがこの場所に俺たちを連れてきたのか?」

 青年の問いに彼女は黒髪を揺らしながら答えた。

「ううん。私が持つ始祖の力は空間転移を可能にするような能力じゃないの。この子と魂をつなげて、天龍に語りかけようとしただけだった」

「なら、俺たちはいったい……」

 彼女は頭を横に振る。


 景色に圧倒されながら歩いていると、真っ白な雲がゆっくりと近づいてくるのが見えた。ふたりは肩を寄せ合うようにして立ち止まると、雲が過ぎ去るのを待った。しばらくして霧が晴れるように徐々に視界が開けると、草原に横たわる無数の骨が見えるようになった。それらの多くは(なか)ば土に埋もれた状態で放置されていて、ときの過ぎるままに()ち果てようとしていた。


 地面から突き出した長く湾曲した骨は、見上げなければ先端が見えないほど大きく、屋敷よりも巨大な頭蓋骨は可愛らしい鳥や小動物の()()になっているのが確認できた。ここでは何もかも広大だ。その景色のなかに例えようのない郷愁(きょうしゅう)を感じて、アリエルは(かす)かに心が震えるのを感じた。


 幼いころ、草原を歩く夢を見たことがあった。広大で果てのない草原の向こうに、石造りの小さな家が見えた。その家に向かって歩くけれど、どうしてもたどり着くことができない。


 それは初めからアリエルにも分かっていた。夢のなかでは、いろいろな出来事を漠然(ばくぜん)と理解することができた。だから幼い少年は理解していた。どれだけ歩こうとも、その家にたどり着くことができないのだと。でも、それでも彼は歩き続けた。


 時々、ふとしたきっかけで夢に出てきた家のことを思い出す。風の吹く草原に、ぽつりと立っている寂しげな家のことを。あの小さな家にも、ひとり、孤独に誰かの帰りを待っている人がいるのだろうか。そうであるなら、それはとても悲しいことのように思えた。


「アリエル!」

 ラナの声で意識を現実に引き戻すと、彼女が指差した方向に視線を向ける。草原が盛り上がるのが見えたと思ったときだった。低い地鳴りが聞こえると、ぐらりと地面が大きく揺れる。青年はラナの腰に腕を回すと、彼女が倒れないようにしっかりと支える。


 砂煙で視界が悪くなり、青く澄んだ空が消え空気が(かす)む。そのぼんやりと茶色く(にご)った視界の先で、黒い影が動くのが見えた。その影は、嵐の夜に揺れる森の大樹(たいじゅ)のようでもあった。しばらくして砂煙が風に流されていくと、ふたりの前に山のように巨大な龍が姿を見せた。


 それはふたりが今までに見た生物のなかでもっとも大きく、そして生命に満ち満ちた美しい生き物だった。日の光を浴びた白銀の(たてがみ)は輝き、傷ひとつない(なめ)らかな(うろこ)は淡い燐光(りんこう)を帯びていた。その巨体が動くと、砂煙が立ち地面が揺れた。


 ラナの肩に乗った小さな龍は興奮して、鼻孔から湯気を立ち昇らせていたが、天龍がゆっくりと顔を近づけるとラナの背中に隠れてしまう。しかし龍は止まらない。ふたりのすぐ近くに顔を寄せると、深く息を吸った。アリエルは空気が振動し身体(からだ)(かすか)かに揺れるのを感じた。


 やがて小さな龍が姿を見せると、天龍は(まぶた)をゆっくりと閉じた。黄金色に輝く眸が隠れると、ラナと小さな龍が光に包まれるのが見えた。その光が収束しながら着物や皮膚を通して体内に向かって消えると、天龍はふたりのことをじっと見つめ、そして大地を揺らしながら身体(からだ)の向きを変えた。そして地面を蹴りながら大空に向かって飛び上がる。


 突如発生した突風に飛ばされないように、アリエルは腰を落とすと、しっかりとラナの身体(からだ)を支えた。(はる)か大空に飛び立った天龍を目で追うと、空に無数の巨大な山が浮かんでいるのが見えた。そこで青年は気がついた。自分たちが浮遊大陸の上に立っていたことを。

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