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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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100〈ヤシマ総帥〉


 漆黒の獣と〈無形の災厄〉が対峙するなか、ヤシマ総帥によって投げ飛ばされた異形の化け物が、凄まじい勢いで宙を裂いて飛来する。千切れかけた歩肢が無秩序に(うごめ)き、砕けた外骨格の隙間から粘液を滴らせながら、直線的な軌道を描いた。


 狙い定めず放たれたそれは、黒煙に包まれた魔物に直撃するかに見えた――けれどその瞬間、空間が軋むような乾いた衝撃音が響く。


 つぎの瞬間、化け物が四散し、肉片と共に黒々とした体液が周辺一帯に降り注いだ。降りしきるのは血の雨だけではない。化け物が体内に蓄えていた酸性の体液が大気中に散布され、地面を()き焦がしていく。煙を立てながら瓦礫が瞬く間に侵され、染み込んだ腐食液が地中へと流れ込んでいった。


 それでも、〈無形の災厄〉に対する影響は微塵も見られなかった。魔物に直撃すると思われた化け物は、瞬時に破裂して粉々に砕け散った。まるで、魔物の周囲に不可視の障壁が展開されているかのように。


 その血雨さえも焦がすように、〈ベリュウス〉の咆哮が轟いた。炎を纏うその巨体が、〈無形の災厄〉の背後で立ち上がり、噴火のごとく爆発的な呪力を放出する。


 轟音と共に破壊の渦が巻き起こり、周辺の瓦礫すらも弾き飛ばされる。その烈風がすべてを破壊する寸前、〈無形の災厄〉の姿が黒煙と共に消えた。そこには何も残らず、破壊の閃光だけが空間を満たしていく。


 黒き獣は即座に後方へ跳躍し、波状する呪力の奔流から逃れた。しかし安堵する暇もなく、すぐに異変を察知する。背後の空間が揺らぎ、不定形の黒煙が広がった。つぎの瞬間、枯れ枝のように細い腕が黒煙の中から伸びて、黒き獣の頭部を鷲掴みにする。


 その細い腕のどこにそれほどの力が秘められているのか、理解することはできなかった。しかし魔物が力を込めるたびに、黒き獣の身体は痙攣していく。そして骨の砕ける鈍い音が響き、つぎの瞬間、頭部が圧し潰され指の間で肉片が爆ぜ、血煙が舞った。獣の身体は重力に引かれて落下していく。けれどそれは明確な死を意味するものではなかった。


 落下していく間に体内で呪力がうねり、周囲に漂う瘴気を貪るようにその身に取り込み、瞬く間に頭部を再生する。そして着地と同時に、至近距離から狙い澄ましたかのように〈魔弾〉を放とうとした――その瞬間、空間が歪むのが見えた。


 言葉のまま、身体がバラバラにされるような衝撃が走る。不可視の障壁が眼前で炸裂し、黒き獣の身体は四散した。撃ち放とうとした〈魔弾〉は発射されることなく、肉体は引き裂かれ、恐るべき力で弾かれる。


 轟音とともに凄まじい勢いで吹き飛び、砕けた瓦礫に何度も激突しながら遠くへ飛ばされた。最終的にその巨体は、いくつもの瓦礫を巻き込みながら、かつて食堂として利用されていた半壊の建物に衝突する。脆くなった石壁は瞬時に崩れ去り、建物全体が粉塵を巻き上げながら瓦解した。


 そうして黒き獣は瓦礫の山に埋もれた。すでに生物としての原形をとどめていなかったが、それは終わりを意味しなかった。崩れ落ちた瓦礫の下から、静かに呪力が脈動しているのが感じ取れた。


 そこに〈無形の災厄〉が迫る。不定形の黒煙が蠢き、その中から枯れ枝のような細腕が再びあらわれる。異様なまでに細く骨ばった腕が、赤紫に染まる空に向かって伸びていく。


 すると、まるで陽炎が立つように空間が歪み始めるのが見えた。そこから滲み出る黒煙が、ゆっくりと形を成していく。その輪郭が金属の棒に変わった瞬間、見覚えのある異様な気配が漂い始めた。あれは――〈呪滅鋼(じゅめつこう)〉の棒だ。〈ベリュウス〉の胸部を貫き、その力を封じ込めていた忌まわしい金属だ。


 あれは確かに、この世から消え去ったはずだった。異常な呪力の中で溶解し、煙のように蒸発し、完全に消失したはずだった。それが今、〈無形の災厄〉の手によって再びあらわれた。まるで、はじめからそこに存在していたかのように。


 黒煙に包まれた魔物は、ゆっくりと手のひらを下に振る。その動作に呼応するように、〈呪滅鋼〉の棒は凄まじい速度で解き放たれた。そして空気を切り裂く一条の黒い閃光となり、瓦礫の中に埋もれた黒き獣に向かって一直線に突き進む。


 しかしその瞬間、別の影が割り込む。大太刀を手にした〈鬼神〉だ。その身に宿る混沌を屠る力をもって、飛来する〈呪滅鋼〉を弾き返した。金属が打ち合う甲高い音と共に衝撃が(ほとばし)り、〈呪滅鋼〉の棒は軌道を逸れ、はるか遠くの瓦礫の山に突き刺さった。


 そして、その背後に〈鬼神〉の〈呪霊〉を従えたヤシマ総帥が、ゆっくりと魔物の前に立ちはだかる。彼の視線の先には、三体の強大な敵――不定形の黒煙を纏う〈無形の災厄〉、怒り狂いながらも炎を揺らめかせる〈ベリュウス〉、そしていつの間にか完全な姿を取り戻した異形〈ヴァラクシス〉が並び立つ。


 もはや勝ち目はないのかもしれない。いや、そもそも勝利の可能性など、最初から存在していなかったのかもしれない。それでも――と総帥は思う。ここで諦めるわけにはいかない。せめて、息子の命だけは――。


 意志を固めると、ヤシマ総帥はその身に残るすべての力を解放していく。


 総帥の身体から解き放たれた膨大な呪力は、これまでにないほどの濃密な瘴気を発生させ、大気を震わせながら渦を巻き、嵐のように立ち昇っていく。狂おしく燃え盛るその呪力は、彼の背後に立つ〈鬼神〉に絡みつき、やがてふたつの存在はゆっくりと融け合い始めた。巨人の輪郭は徐々に薄れ、もはや視認することすら困難となった。


 その身に〈鬼神〉の力を取り込んだ総帥は、もはや定命の者の領域を超えた存在となっていた。外見には目立った変化はない。しかしその身に宿る呪力は、まるで半透明の甲冑のように彼の身体を包み込んで、静かに波打っていた。


 それは空間そのものに干渉しているかのような異質な力であり、総帥の存在そのものを別次元へと引き上げるかのような感覚を抱かせた。


 その手には、一振りの大太刀が握られていた。実体を持たない幻影のごとく揺らめく刀だ。存在すら不確かな太刀だったが、その揺らめきだけで空間をわずかに歪ませ、異様なまでの呪力を帯びていた。


 しかし総帥の表情からは、もはや人の理性は感じられなかった。赤熱するように脈打つツノからは蒸気が立ち昇り、彼の呼吸は荒く、獣のように牙をむき出している。そしてゆっくりと、一歩、また一歩と前に進み出る。そして――つぎの瞬間、総帥の姿が視界から掻き消えた。


 地面が爆ぜ、直後、轟音が鳴り響く。閃光のような軌跡と共に、ヤシマ総帥は〈ベリュウス〉の目の前にあらわれる。炎を纏う魔物がかろうじて反応しようとした刹那、実体すら曖昧な刀が振り下ろされた。


 その一閃は、世界そのものに衝撃を与える斬撃だった。空間を裂くかのように放たれた刃が〈ベリュウス〉の巨躯を袈裟懸けに斬り裂く。直後、遅れてやってきた凄まじい衝撃が、炎の魔物を吹き飛ばした。その巨大な身体は枯葉のように舞い上がりながら、荒廃した大地を転がっていく。


 そのときには、すでに総帥は次なら獲物に向かって駆け出していた。野に解き放たれた獣のように四肢を使い、瓦礫を蹴散らしながら疾走する。その先にいるのは、ゆっくりと浮遊しながら接近してきていた〈ヴァラクシス〉だった。


 異形の魔物は奇妙な(もや)で全身を包み込もうとした。しかし、それよりも総帥の刃は速かった。幻影のごとき太刀が弧を描き、〈ヴァラクシス〉の身体を斬り裂く。あまりの衝撃に爆風が生じ、大気が震え、荒廃した戦場を暴風が吹き荒れる。瓦礫が宙を舞い、粉塵が渦巻く中、総帥はなおも斬りかかろうとした。


 視界の隅で〈無形の災厄〉が静かに手のひらを向けるのが見えたかと思うと、その直後、世界を焼き尽くすかのような閃光が迸る。総帥は回避する間もなく、その身を撃ち抜かれた。そして――気づいた時には、〈金剛〉で咄嗟に強化していた片腕が消え失せていた。


 焼け(ただ)れた腕の切断面からは蒸気が噴き上がり、閃光の余波は衝撃波となって周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。けれど総帥は痛みを感じていないのか、なおも獣のような唸り声をあげ、涎を垂らしながら魔物に向かって突進していった。

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