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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 暗闇に支配された通路の先から、乳白色の小さな怪物が駆けてくるのが見えた。透けるような薄い皮膚からは、べちゃべちゃと粘液が滴り、耳元まで避けた口からは悪臭を放つ涎を垂らしている。


 それらの(おぞ)ましい怪物が壁に飛びついて、鋭い爪を突き立てるのが見えた。細い指先を石の間に食い込ませ、まるで昆虫が壁を這うように崩落した穴をめざして進んでいく。


〈混沌の先兵〉が次々と壁面に取りついては、狂ったように地上へと這い上がっていく姿を眺めていたアリエルは、ふと足元に視線を落とす。そこには瓦礫(がれき)が無造作に散乱していた。多腕の呪術師が天井を破壊したさいに、上方から落下してきた瓦礫なのだろう。


 顔を上げると、怪物の多くが自分自身に対して関心を示すことなく、崩落した穴をよじ登っていく姿が確認できた。


 アリエルはそれを好機と捉え、ゆっくりと息を整えながら体内の呪素を練り上げていく。意識を集中させていくと、呪力の波動が脈動するように空気を震わせていく。目に見えない力が空間そのものに影響を与え、瓦礫が細かく震え始める。


 やがて呪力が渦を巻くようになると、足元の瓦礫は削られるようにして崩壊し、(やじり)にも似た鋭利な(つぶて)に変化していく。


 たちまち百を優に超える〈石礫〉が形成されることになった。そのすべてがアリエルの周囲を浮遊しながら、攻撃の瞬間が訪れるのを静かに待っていた。


 アリエルはその膨大な呪力の流れを操りながら、標的を見定めていく。そして崩落した穴をよじ登る怪物たちを見据えると、迷うことなく呪力を解放する。つぎの瞬間、無数の礫が一斉に撃ち出される。ソレは空気を裂きながら、狂気じみた悲鳴をあげる怪物たちに容赦なく襲い掛かる。


 鋭い石は異形の皮膚を裂き、肉を穿ち、骨を砕いていく。怪物たちの半透明の体表はあまりに脆弱で、礫の一撃ごとに肉が千切れ飛び、四肢が引き裂かれ、頭部が爆ぜて内臓が飛び散っていく。


 しかし礫の嵐は止まらない。狙いは怪物だけではない。次々と放たれる鋭利な礫は、最終的に穴そのものを埋めるように一か所に収束していく。やがて、ぐちゃぐちゃになった怪物の死骸と礫が堆積し、穴は完全に塞がれる。


 呪素の大量消費によって足元がふらつくと、思わず片膝をついてしまうが、それでも呪力の操作を怠ることはしない。しばらくすると地下通路には奇妙な静寂が訪れるが、その静寂は、すぐに耳障りな鳴き声によって破られることになる。


 地上に続く道が閉ざされたことを理解すると、怪物たちはアリエルに対して鋭い棘のような憎悪を向けるようになるが、アリエルは気にしなかった。


 剣を握り直し、ゆっくり立ち上がる。足元は怪物の血で滑りやすくなり、石組の壁には肉の断片がこびりついていた。通路の先に視線を向けると、迫りくる怪物の群れが見えた。


 憎悪に満ちた怪物は飢えた獣のように身を低くして、今まさに飛び掛かろうとしていた。アリエルは慌てることなく剣を構える。


 すると先頭を駆けていた怪物が飛び掛かってくる。爪を振りかざし、喉元を狙う鋭い牙が見えた。けれどその小さな身体は、アリエルが手にしていた禍々しい剣によって両断されることになった。


 黄土色に濁った体液と臓物が飛び散ると、素早く刃を返し、すぐさま別の個体の首を()ねる。生首が弧を描いて転がり、残された胴体が痙攣しながら崩れ落ちる。


 その瞬間、背中に強い衝撃を受ける。丸太を叩きつけられるような、骨ごと軋む嫌な感覚だ。けれどアリエルは怯まない。振り向きざまに剣を振り抜くと、たしかな手応えとともに肉を裂く感触が伝わる。


 そのまま呪素を解放すると、突進してきていた小さな怪物たちに呪力の衝撃波を叩きつけた。空気が震え衝撃の波が走ると、怪物たちは悲鳴をあげながら吹き飛び、数体は壁に激突して動かなくなる。


 けれど、それでも敵の勢いは止められない。一体、また一体と組み付かれて身動きが取れなくなってしまう。細い腕が首に絡みつき、背後からは爪を突き立てられる。脚にも、腕にも、次々と怪物が群がり、しだいに動けなくなっていく。


 アリエルは立っていられなくなると、ついに片膝をついてしまう。耳元では怪物たちの騒がしい鳴き声が響き、腐臭が鼻を突いて胃がひっくり返るような吐き気を催す。視界は怪物の群れで覆われ、もはや逃れる術はないかのようだった。


 その騒がしい声が遠のいていくのを感じた。代わりに聞こえてきたのは、寄せては返す波の音だ。誰にも知られることなく打ち寄せる、静かで、それでいてどこか懐かしい波の音。頭の中で揺らめくその響きが、意識の底に沈んでいく。そしてその波の向こうから、太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてくる。


 低く、力強く、大地を震わせるような太鼓の音。それは身体の奥底に眠っていた何かを呼び覚ます。体内に流れる血の中から、身体の芯から、言い知れない感情が膨れ上がり、心臓を強く打ち鳴らす。


 アリエルはゆっくりと、しかし確実に立ち上がる。怪物たちはなおも取りすがるが、もはや鋭い牙も爪も、アリエルを引き倒すことはできない。〈ダレンゴズの面頬〉によって全身に呪力が満ちていた。


「いい加減邪魔……なんだよ!」

 その一言とともに身体の内側から膨大な呪素が解き放たれ、爆発的な衝撃波となって周囲に放たれた。


 放射状に広がる波動は怪物たちを容赦なく吹き飛ばす。壁が軋み、地面が揺れた。衝撃に飲み込まれた怪物たちは壁に叩きつけられ、肉が潰れ、骨が砕け、内臓とともに血飛沫が暗闇の中で弧を描く。


 暗闇のなか、生き残ったものはいない。辺りにはグチャグチャになった肉塊が散乱し、血溜まりが広がっている。血と糞尿の強烈な悪臭が立ち込めるなか、アリエルは剣を握り直した。戦いは、まだ終わらない。


 薄暗い通路の奥に視線を向ける。そこには黒々とした闇が口を開けていた。精神を研ぎ澄ましながら〈気配察知〉を使うと、ちらつくように無数の影が浮かび上がる。まるで蟻の巣から溢れ出る群れのように、地底の奥深くから〈混沌の先兵〉が這い上がってくるのが見えた。それは通路に到達すると、じわじわとこちらに近づいてきていた。


 アリエルは即座に踵を返し、反対側に向かって駆け出す。ここに留まる理由はない。〈クァルムの子ら〉がこの地下通路に侵入した際に使った出入り口が、必ずどこかにあるはずだ。そこから脱出して、すぐに地上の様子を確認する必要がある。その考えが甘かったことを悟るのに、いくらも時間はかからなかった。


 暗闇の向こうから皮膚が擦れ合う音や、水気を含んだ無数の足音が聞こえてきた。それは徐々に甲高い鳴き声に変わり、前方の暗闇が波打つように揺らぎ、小さな怪物たちが押し寄せてくるのが見えた。すでにその数は百を超えている。


〈気配察知〉によって、通路の先に小さな怪物たちの白い輪郭が浮かび上がる。まるで巣の中で這いまわる白蟻の群れのように、それはびっしりと密集している。その歪んだ口元には黒く粘ついた唾液が垂れ、喉の奥から飢えた鳴き声を響かせていた。


 足を止め、瞬時に思考を巡らせる。これほどの数を正面から突破するのは困難だが、他に選択肢はないのかもしれない。獣の力を解放して押し通ろうとしたときだった。


 上方から、穢れのない澄んだ気配が広がっていくのを感じた。血に濡れ、腐臭にまみれたこの地下通路には、あまりにも不釣り合いなほど清らかな気配だ。その気配が通り過ぎていくと、空気が震え、まるで霧が晴れるように闇が払われていく。


 照月(てるつき)來凪(らな)とシェンメイが〈聖女の干し首〉の能力を発動して、聖域を形成することに成功したのだろう。つぎの瞬間、暗黒に満ちた通路に光が生まれた。混沌から這い出てきた怪物たちは突如発火し、青白い炎に包み込まれていく


 後続の怪物たちは動きを止め、怯えたように身体を揺らし、すぐに逃げ出そうとする。けれどすでに遅かった。聖域内に侵入した邪悪な生物は炎に包まれ、たちまち焼き尽くされていく。皮膚が乾燥しひび割れ、肉が裂け、炎の中で断末魔が響き渡る。


 アリエルはその場に立ち尽くしたまま、青白い炎の揺らめきに目を細め、暗がりのなかで怪物たちが次々と崩れ落ちていくのをじっと見つめていた。

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