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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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73〈死人使い〉


 燃え盛る廃墟の塔からは、黒煙が濛々と立ち昇り、吹き荒ぶ風に揺れる炎が戦場を赤々と照らし出していた。ラライアの背に乗ったアリエルの視界に飛び込んできたのは、瓦礫と死体に埋め尽くされた通りで、小さな怪物〈混沌の先兵〉の群れと戦う仲間たちの姿だった。


 その醜い怪物は子どもほどの背丈しかなかったが、涎にまみれた牙を剥き出しにしながら、無秩序に群れを成して一斉に襲い掛かっていた。半透明の皮膚の下で脈動する邪悪な瘴気と、血に飢えた獰猛な性質は脅威にほかならなかったが、戦狼(いくさおおかみ)の巨体の前では、哀れで醜い存在でしかなかった。


「ラライア!」

 アリエルの声に応えるように、白銀のオオカミは地を蹴って飛び上がる。そして圧倒的な質量を持つ巨躯を活かし、恐るべき勢いで群れのなかに突進する。


 小さな怪物が飛び掛かってくると、薙ぎ払うように前脚を振り鋭い爪を閃かせる。すると粘ついた体液が宙を舞い、直後、半透明の皮膚が裂けて気色悪い臓腑が零れ落ちていく。ズタズタに引き裂かれた肉塊が辺りに散らばるが、小さな怪物はそれを意に介さず、己の爪や粗末な石器を振りかざしながら群れで襲い掛かってくる。


 しかし他の戦狼同様、ラライアは怯むことなく敵を屠っていく。鋭い牙を剥き、腹の底から低い唸り声を響かせる。


 つぎの瞬間――厚い雲が垂れ込める空に向かって咆哮を轟かせる。それは呪素を帯びた衝撃波に変わり、周囲にいた怪物たちを吹き飛ばす。骨が砕け、ヌメリのある体液が飛び散り、瓦礫や崩れた壁に激突した怪物は苦しむ間もなく息絶えていく。


 戦況は優勢に思えた。戦狼は怪物の群れを圧倒して反撃の隙を与えなかったが、燃え盛る塔の影から不気味な人影が複数あらわれると、状況は少しずつ変化していくことになった。砦内に侵入していた〈クァルムの子ら〉だ。


 その醜い身体を隠すように全身に包帯を巻き付けた邪悪な呪術師たちは、炎の中から悠然と歩み出てくる。途端に戦場の空気が変わっていくのが感じられた。その呪術師たちの言葉にならない呪文は、地の底から濃い瘴気を立ち昇らせ、それは地を這うようにして小さな怪物たちの(むくろ)を包み込んでいく。


 すると千切れかけた四肢が小刻みに震え、身体は絶えず痙攣し、気色悪い体液が飛び散るようになる。そうして痛みを感じることのない、〝生ける屍〟に徐々に変質していく。


『クソったれの〝死人使い〟どもが……』

 戦狼が忌々しげに唸ってみせると、怪物たちがずるずると起き上がるのが見えた。


 その小さな身体には、もはや意思などなく、ただ呪術師の意志に従うだけの狂気が宿っているように感じられた。


 痛みを感じず、恐怖も知らない。それこそが死者の軍勢の厄介な特徴でもあった。肉を裂かれようが四肢を切断されようと、ただ生者を殺すためだけに動き続ける。その生ける屍との戦いによって、戦場は混迷を極めていくことになる。


 戦狼の一部は、呪術師たちが次々と放つ〈火球〉や〈氷槍〉を受けて傷つき、撤退を余儀なくされていた。吹き荒れる炎のなか、邪悪な呪術師たちは瘴気にその身を蝕まれながらも戦うことを続けていた。


 その濃い瘴気のなか、〈クァルムの子ら〉の数人が奇怪な変貌を遂げていくのが見えた。その身体からは腐敗液が滲み出し、骨が軋む音とともに四肢が異様に変形していく。指先は異形の鉤爪に変わり、口は頬が裂けるほどに広がり、不揃いの黄ばんだ牙が剥き出しになっていく。己の魂を代償にして、異形の化け物に変異しているのだろう。


 呪術師たちは自らの理性を捨て去ることで、より獰猛な――食屍鬼(グール)めいた化け物に変わろうとしていた。しかしその悪夢のような変異が完了する前に、どこからともなく〈火球〉が飛んでくるのが見えた。そして咆哮とも悲鳴ともつかない声が響き渡る。


 火柱が立つと、火炎に包まれた呪術師が火だるまになるのが見えた。それでもなお、身を震わせながら焦げた皮膚の下で筋肉が脈動する。けれど灼熱の炎によって内臓すら焼き尽くされると、膝を突いて力なく崩れ落ちていく。そうして炎に包まれた呪術師は、それ以上動くことはなかった。


 ノノとリリの攻撃だった。彼女たちは、豹人特有のしなやかな動きで戦場を駆けながら、卓越した能力で忌まわしい呪術師たちを仕留めていく。容赦なく放たれる〈火球〉が敵の頭上で炸裂し、吹き荒れる烈風が手足を切断しながら黒煙を巻き上げていく。


 突発的に始まった戦いは、戦場は狂気に染めていく。小さな怪物たちは獰猛な戦狼に蹂躙され、血飛沫が舞い、切り裂かれた肉塊が泥に沈む。


 その光景を横目に、アリエルは姉妹たちと協力しながら呪術師たちを追い詰めていくが、つぎの瞬間──横合いから、鋭い殺気を感じる。


 アリエルは咄嗟に身を翻そうとしたが、間に合わなかった。突如として横手から飛びかかってきた〈クァルムの子ら〉の変異体に組み付かれてしまい、そのままラライアの背から落ちてしまい、背中から地面に叩きつけられるようにして倒れ込むことになった。


 (おぞ)ましい変異体はアリエルの身体に覆いかぶさり、変形して骨ばった腕でがっちりと抑え込み、牙を突き立てようとする。すぐ目の前に、剥き出しになった不揃いの牙が見えた。(ただ)れた皮膚の間から筋繊維が剥き出しになり、動きに合わせて黄土色の体液が滴る。その狂気じみた眼光で睨みながら、獣を思わせる叫び声をあげる。


 アリエルは悪臭で息が詰まりながらも、〈収納空間〉から抜き身の剣を取り出すと、そのまま敵の腹部に刃を突き刺した。鈍い感触とともに、禍々しいう刃が怪物の腹部を斬り裂くと、溢れ出した内臓がザザの毛皮を穢れた血液で汚していく。


 しかし、それでも異形は怯まなかった。鋭利な爪がアリエルの肩に食い込み、鋭い痛みが走る。続けざまに脇腹を(えぐ)られ、鮮血が泥濘のなかで広がっていく。アリエルは痛みに歯を食いしばりながら、剣の柄を捻り、変異体の腹を一気に横に引き裂く。怪物が仰け反った瞬間、臓物にまみれていた腹を蹴り飛ばす。


 わずかな空間ができると、捩るようにして怪物の下から這い出て距離を取り、すぐさま刃を振り抜いた。肉が裂けて、骨が断ち切られる音が響いた。()ね飛ばされた異形の頭部は宙を舞い、血飛沫が弧を描く。胴体はその場に膝を突き、痙攣しながら倒れ込んだ。そして二度と動くことはなかった。


 戦場には糞尿と焦げた煙の臭いが充満していた。アリエルは肩で息をしながら、なおも混沌とした戦いが続けられる通りに視線を向ける。そこは──死と絶望が支配する地獄のような光景が繰り広げられていた。


 戦場の一角、倒れ伏した戦狼の巨体に、無数の小さな怪物たちが群がっているのが見えた。醜悪な牙を剥き出しにし、傷だらけの身体を震わせながら、貪るように戦狼の肉に喰らいつく。引き裂かれた腹部からは臓腑が露出していたが、オオカミは戦いを諦めていなかった。


 もはや敵も味方も関係ないのだろう──生ける屍にとって、動くものすべてがただの獲物に過ぎないのかもしれない。


 通りの向こうでは姉妹が呪術で食屍鬼めいた変異体と交戦していた。彼女たちは立ち止まることなく次々と呪術を放っていた。爆散する〈火球〉の轟音が聞こえるたび、怪物の悲鳴が響き渡り、氷の槍が降るたびに裂けた手足や内臓が宙を舞う。


 しかし敵の勢いはとどまることを知らない。次々と立ち上がり襲い掛かってくる生きた屍に、姉妹の動きは徐々に鈍くなり──気がつけば逃げ場を失っていた。


 さらに離れた場所では、ラライアが孤独な戦いを強いられているのが見えた。戦場に彼女の遠吠えが響き渡ると、大気が揺らめいて、すさまじい衝撃波が解き放たれる。彼女の周囲を取り囲んでいた怪物の群れは吹き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられながら肉片となって四散する。


 それでも、彼女は大群に包囲され追い詰められていた。ラライアの白銀の毛並みは怪物たちの血と泥で汚れ、呼吸は荒い。消耗しているのは明らかだった。


 轟音が戦場を震わせたのは、ちょうどそのときだった。燃え盛っていた塔が、断末魔のような音を立てながら崩壊していくのが見えた。火の粉と粉塵が渦巻き、倒壊した塔の瓦礫は、通りに殺到していた怪物の群れを下敷きにしていく。瓦礫の下で生き埋めになった怪物たちの断末魔の叫びが聞こえるようになるが。それでも戦いは終わらない。


 粉塵と黒煙が立ち昇り、視界を曇らせる。空気は熱を帯び、焼け焦げた肉の臭いが鼻を突いた。アリエルは〈念話〉を使い、仲間たちに撤退の指示を出す。


 彼らの返事を待つまでもなく、すぐに負傷していた戦狼を引きずるようにして後方に退いていく。複数の戦狼が負傷していた。致命的な傷を負った者はいないが、すぐに治療が必要な者もいた。


 これまでと異なる気配をまとった〈クァルムの子ら〉が姿を見せたのは、緊迫した状況のなかで精神的に追い詰められている時だった。


 その忌まわしい呪術師が何か呪文を口にすると、瓦礫に埋もれていた戦狼がのっそりと起き上がるのが見えた。血液にまみれ、裂かれた腹部からは腸が露出していた。その〝生ける屍〟に変えられた戦狼が呪術師に向かって(こうべ)を垂れるようにして身を低くすると、彼は満足そうにうなずいて、それからアリエルたちを攻撃するように命令した。

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