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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 侵入者に対する警戒が厳重に行われるなか、倒壊した塔のそばでは〈聖女の干し首〉の捜索が続けられていた。辺りには崩れた石材や木材の瓦礫が積み重なり、〈クァルムの子ら〉の死骸からは腐臭が立ちのぼっていた。


「くそっ……どこに埋まってやがるんだ」

 建設隊に所属する職人たちは焦りを滲ませながらも、懸命に作業を進めていた。聖遺物でもある干し首が見つかれば、再び砦に結界を展開できるかもしれない。〈混沌の先兵〉が本格的に動き出す日没までに探し出さねばならなかった。


 そこに厚手の毛皮に身を包んだ蜥蜴人、リワポォルタがやってきて作業を手伝ってくれる。彼はのんびりとした性格と動作で知られていたが、ひとたび仕事となると、実力を遺憾なく発揮した。その大きな手で崩れた石材を持ち上げては、邪魔にならない場所に放り投げていく。呪術を駆使しているのか、毛皮の下で筋肉が隆起しているのが見えた。


 手の付けられないような大きな瓦礫も、気がつくと微かに揺れ動いていて、まるで意思を持ったかのように重なった石材が少しずつ崩れていく。地形操作の呪術も使っているのだろう。他の種族と比べて蜥蜴人は呪術が苦手だと思われているが、それは優れた狩人であり、死を恐れない戦士として知られているからでもあるのだろう。


 しかし誰も彼もが戦いや狩りに向いているということでもない。実際のところ、リワポォルタは争いを好まないが、職人としての腕は優れていた。そのポォルタが尻尾を振りながら淡々と作業している姿を横目に見ながら、アリエルも干し首の捜索を続けていた。


 すでに外側の防壁が突破されて敵の侵入を許していたが、幸いなことに職人たちの活躍で地底につながる通路は封鎖されていたので、邪悪な怪物どもが〈黄金都市〉や〈無限階段〉に足を踏み入れることはない。


 地下通路を封鎖することは、最悪な状況下で自ら脱出退路を断つことにもつながるので不安を覚えていたが、砦の一部が占拠された今となっては、ルズィの判断は間違っていなかったのかもしれない。


 いずれにせよ、負傷者の搬送は済んでいたので、あとは干し首の捜索に全力を尽くすだけだった。焦燥感に駆られるなか、見知った気配が近づいてくるのを感じた。


 アリエルが背後を振り返ると、二つの影が駆け寄ってくるのが見えた。豹人の姉妹だ。細く長い尻尾をしなやかに揺らしながら、獣人種族特有の身のこなしで瓦礫のなかを巧みに駆け抜けてくる。


 豹人の女性は大柄の男性と比べて身長と体格が人間に似ているが、踵を浮かせた状態で直立し歩行する趾行性(しこうせい)だったので、遠くからでもすぐに彼女たちだと分かった。もちろん、その外見の特徴でも豹人だと簡単に見分けることができた。


『エル、無事だったんだね』

 黒く艶のある体毛に覆われたリリは、ゴロゴロと喉を鳴らしながら胸を撫で下ろしたが、彼女の姉でもあるノノはじっとアリエルの顔を見つめていた。泥や血液で汚れた頬を見ただけで、困難な任務だったと察したのだろう。


「ああ、ふたりも無事でいてくれて良かった」

 アリエルは本心からの言葉で答えたあと、ゆっくり周囲を見回す。まだ干し首の発見には至っていない。けれど〈クァルムの子ら〉の動きが気になっていた。日没を待たずに、さらなる襲撃があるかもしれない。


 捜索を指揮していたルズィに相談したあと、姉妹を連れて防壁に向かうことにした。見張りに立つ人員は増やしていたが、それでも人手が足りない状況だった。


 しばらくして防壁に立つと、昨夜の激しい戦闘で破壊されて瓦礫に埋もれていた通りを見つめる。まだ日は沈んでいないが、はるか遠くの木々の間で不穏な影が蠢くのが見えたが、何が起きているのかはハッキリとしない。周辺一帯に放置された死骸を目当てに、〈地走り〉が砦の近くまで来ているのかもしれない。


 砦内に視線を戻すと、かつて整然と並んでいた建物の残骸が無造作に転がり、所々から黒く焦げた柱が突き出しているのが見えた。崩れた屋根の隙間からは、腐臭と血の臭いが混ざった悪臭が漂ってきていた。


 歩廊に立つ見張りの守人の姿があちこちで見られたが、それでも人手は足りなかった。昼夜を問わず消耗する兄弟たちに交代の余裕もなく、瓦礫に身を預けながら疲れた目を見開き、来るべき襲撃に備えていた。


 もう一度、眼下に広がる破壊された通りを見下ろす。世話人たちが管理してきた道も、今や荒れ果て、無数の死骸が転がる不吉な風景と化している。


 奇妙な呪素(じゅそ)の揺らぎを感じ取ると、ノノは立ち並ぶ廃墟の塔に視線を向ける。まだ日は沈んでいない。けれど不自然な波のような揺らぎが砦内に生じている。立ち並ぶ無数の塔からも、何か邪悪な気配が漂ってくる。それはハッキリとしないが、獲物に忍び寄る獣が放つ重苦しい圧のように、じわじわと感じ取れる感覚だった。


 やはり何かがいる――〈混沌の先兵〉が本格的に動き出すのは日没後のはずだが、〈クァルムの子ら〉の企みが――それがなんであれ、成就すれば、敵は日が高いうちから牙を剥くかもしれない。


 と、そのときだった。遠く、風に乗って遠吠えが聞こえてきた。鋭く研ぎ澄まされた〈戦狼(いくさおおかみ)〉たちの遠吠えだ。襲撃のあと、〈クァルムの子ら〉の侵入経路を探るため、敵地に潜伏していた仲間たちが何かを見つけたのかもしれない。


 ほぼ同時に、ラライアの声が頭の中で聞こえた。やはり何かを見つけたようだ。〈念話〉を介して、短くも緊迫した声が伝わる。躊躇(ためら)っている時間はなかった。彼女たちの居場所を確認したあと、すぐに合流することにした。


 ノノも状況を察したのか、長い尻尾を神経質に揺らしながらルズィと連絡を取り、すぐに指示を仰いだ。その重苦しい空気のなか、三人はすぐさま現場に向かう。


 兄弟たちの手で防壁に掛けられた縄梯子は、風に揺れながら静かに軋んでいた。アリエルは息を整え、一段ずつ慎重に降りていく。縄の繊維が指先に食い込み、湿った感触が残る。朝から降り続いていた小雨はすでに止んでいたが、つめたい空気は湿り気を帯びていた。石壁の表面も濡れていて、足を滑らせぬよう細心の注意を払う必要がある。


 地面に降り立つと、すぐに〈消音〉の呪術を使用する。すると微かな呪力の流れが足元に移動するのが感じられた。石畳を踏みしめる音を完全に掻き消すことはできないが、不可視の膜に包まれているかのように音がこもるため、ほとんど音を聞き取ることはできないだろう。


 幻惑の呪術に長けたシェンメイが同行していないので、呪術で周囲の景色に紛れ敵の目を欺くことができない。姿を隠す術がない以上、慎重に移動するしかなかった。


 段々と気温が下がり始めたせいか、森の奥から冷たい風が吹きつけるようになっていた。遠くからは濡れた葉が擦れ合う音が聞こえてきていた。雨が降っていた間は、雨音が周囲の雑音をかき消していたが、今はそれすらない。静寂の中では、些細な物音すら敵に気取られる可能性があった。


 足元の石畳に堆積した枯葉を避け、慎重に通りを進む。視界の先には荒れ果てた通りが続いていた。これまで放置されてきた通りは草が繁茂し、視界も悪く敵が潜んでいても気づくのは難しい。〈気配察知〉で周囲の状況を確認しながら瓦礫の山を迂回し、身を低くして進んでいく。


 やがて斜めに傾いた塔の廃墟が見えてきた。そこには白銀の体毛を持つ〈戦狼〉たちが静かに佇んでいた。大きな体躯を持つ彼らは、まるで幽鬼のように影の中に溶け込んでいる。けれど鋭く研ぎ澄まされた眼だけが、獲物を見据える狩人のように光っている。


 その傍らにはひとりの女性が立っていた。すでにラライアは人の姿に戻っていたが、神経が昂っているからなのか、獣の気配が色濃く残っている。


 その戦狼の一団が視線を向ける先には、崩れかけた塔がそびえていた。数年前までは監視塔とし使われていた石造りの塔は無惨な姿を晒している。壁面はひび割れ、崩落した瓦礫が周囲に無造作に転がっている。それは襲撃によるものではなく、長年の放置と風化がもたらした破壊の痕跡だった。


 アリエルは塔のなか、暗がりに視線を向ける。すると奇妙な感覚が――目に見えない呪素の流れが、わずかに肌を撫でるように感じた。そこだけ空気が歪んでいるような感覚だ。まるで地底から瘴気が滲み出しているかのような、淀んだ呪力の揺らぎ。


 忌まわしい種族〈クァルムの子ら〉の存在を示す、暗く粘りつくような呪力の残滓だ。呪力の流れに敏感な戦狼はソレを感じ取り、塔を調査したのだろう。そして、その結果が目の前に転がっていた。


 瓦礫の隙間に目を凝らすと、醜悪な死骸が横たわっているのが見えた。人の形をしているが、その肉体は異形に変質している。


 顔面は裂け、瞳孔は異様に拡大していた。皮膚は不自然に膨れ、ところどころ爛れた痕が残っている。理性を捨てた代償なのか、それとも呪術による歪みか。いずれにせよ、まともな生命の終わり方ではなかった。死臭が漂い傷口から漏れ出た体液が瘴気を放ち、異様な光景を作り出していた。


 この場所で何を企んでいたのだろうか。アリエルは思考を巡らせながら、塔の入り口に向けてゆっくりと歩みを進めた。崩れ落ちた壁の隙間から冷たい闇がこちらを覗いている。まるで、そこに何かが潜んでいるかのように。

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