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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 一行は瓦礫の散らばる道を慎重に進んでいた。激しい戦闘によって通りは荒廃していたが、倒壊した壁や積み上がった瓦礫を極力避け、周囲の異常を見逃さないように注意を払う。微かな物音や影が気になり、張り詰めたような緊張感のなかで移動することを強いられていた。


 ふと、アリエルは足を止めて振り返る。負傷したラファの様子を確認するためだ。彼はリワポォルタに背負われるようにして運ばれていた。


 ポォルタは蜥蜴人のなかでも大柄で、のんびりとした性格とは対照的に屈強な体躯をしていた。仕事で鍛え上げられた肉体は、負傷者を背負ってもなお軽々と動けるほど頑強だったが、その慎重な足取りからは彼の緊張と疲労が垣間見えるようだった。


「大丈夫か?」

 アリエルが小声で(たず)ねると、ポォルタは首をかしげて、それからうなずく。

「まがぜでぐれ。ラファは、大丈夫だ」


 そのラファは朦朧(もうろう)とした意識の中で浅い呼吸を繰り返していた。腕や腹部に巻かれた包帯が赤黒く染まっていて、完全に止血できていないようだったが、今は歩みを止めるわけにはいかなかった。


 他の負傷者たちも、それぞれが移動の妨げにならないように運ばれていた。片腕を使えない者は仲間の肩を借り、脚を負傷した者は簡易的な担架に乗せられて運ばれていた。重症者たちを連れて移動するのは困難だったが、激しい戦場の中で芽生えた絆が、兄弟たちの心を鎖のように繋ぎとめていた。それは、これまでに見られなかった変化だ。


 けれどアリエルは、どこか冷めた目で兄弟たちの様子を眺めていた。彼らは生死を掛けた過酷な戦場で経験を共有したからなのか、戦友としての深い仲間意識を抱くようになっていた。しかしそれは守人になった時点で、兄弟たちに対して抱かなければいけない感情だった。今さら戦友として振舞っても遅すぎる。


 どうしようもない苛立ちを感じながら、ふと防壁に視線を向ける。そこである考えが浮かぶ。負傷者たちを安定して運べるのなら、いっそのこと縄梯子を使って防壁を超えるべきだったのではないか。あるいは、先ほどのように足場を組むことができれば、もっと早くこの危険地帯を脱出できたのではないか。


 しかし、すぐにその考えを振り払った。現状では選択できない方法だった。今この瞬間でさえ、気が付いていないだけで、〈クァルムの子ら〉に見張られているかもしれない。その状態で縄梯子を使ったり足場を組んだりすれば、すぐにその存在が露呈してしまう危険性が極めて高かった。


 負傷者を抱えた状態で敵の大群に包囲されることは死を意味する。〈クァルムの子ら〉が襲撃してくる危険性を考えると、目立つような行動はできなかった。瓦礫が崩れる音や衣擦れの音さえ、敵の注意を引くのに充分すぎる音量だった。だから無理をせず、大人しく門まで移動することだけを考える。


「あともう少しだ。気を抜くなよ」

 先頭に立つベレグの言葉に、守人たちは黙って足を進めた。


 焦りの感情が全員の胸中にくすぶっていた。早く安全な場所にたどり着きたい。負傷者を休ませたい。この死の空間から脱したい。けれど、それらすべての願望を押し殺して、今はただ門まで進むことだけを考えるしかなかった。


 淡い自然光が崩れた塔の間から差し込むなか、一行の微かな呼吸音だけが聞こえていた。道中、崩れかけた瓦礫の影に横たわる守人の遺体を見つけた。一瞬、その場の空気が凍りついた。兄弟たちは足を止め、言葉を失い、ただ茫然とその光景を見つめていた。


 その遺体は、もはや人間の姿を留めていなかった。顔面の皮膚は完全に剥ぎ取られ、鼻や唇、そして眼球までもが貪り食われていた。むき出しの頭蓋骨は粘液質の血で赤黒く染まり、露わになった歯は痛々しくも虚しい。


 腹部は大きく裂かれていて、大部分の内臓が抜き取られていた。腸の一部が瓦礫の隙間に引っかかるように垂れ下がり、血液の染みがその周辺に広がっている。骨が露出した胸郭には、鋭い牙による痕跡が生々しく残されていた。腹部から垂れ下がっていた肉片が風に揺れ、その死体の悲惨さを際立たせていた。


 兄弟の遺体を目の前にして全員が黙り込んでしまう。すでに何度も見てきた光景だったが、生きたまま食われたであろう兄弟の惨状は、見る者に息苦しささえ感じさせるほどだった。アリエルも眉間に深い皺を刻んだが、怒りや悲しみを表に出すことはなかった。ただ静かに瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「……この場で兄弟の魂を弔うことはできないな」

 守人のひとりがつぶやいた。敵地のど真ん中で立ち止まることは命取りになる。頭で理解していても、兄弟の遺体を見捨てるという行為は、胸を抉るような苦痛となって押し寄せる。


「……行こう」ベレグは振り返り、仲間たちに短く告げた。

 彼の声には躊躇(ちゅうちょ)がなかったが、その瞳には深い後悔と悲しみが刻まれていた。それぞれが心の中で名もなき兄弟に別れを告げ、その場を後にした。


 しばらくすると、ベレグはアリエルのとなりまでやってきて小声で質問する。


「……あいつら、何かを探していたように見えなかったか?」

 彼は不安げな表情で、かつて怪物に食い千切られた耳の辺りを掻く。〈クァルムの子ら〉の奇妙な行動のことが、ずっと気になっていたのだろう。


「砦に連中が欲しがるモノがあるとも思えないし、俺たちが何かを奪ったとも思えない」

 そのベレグの言葉に反応して、アリエルは一瞬足を止めた。


 脳裏に過るのは、〈古墳地帯〉に築かれた敵拠点から持ち帰った〈聖女の干し首〉だった。


「もしかして……あれか?」

 小さく自問するようにつぶやく。


〈聖女の干し首〉は、敵拠点で偶然発見した古びた遺物だった。神聖な結界を張るための遺物だったが、邪神を崇拝するような忌まわしい種族がなぜそれを必要とするのか、答えは見つからなかった。彼らの邪悪な性質からして神聖なものを冒涜しこそすれ、欲しがる理由など思いつかなかったからだ。


「……でも、どうして?」

 そこでアリエルは首を振り、思考を振り払った。


〈混沌の先兵〉の無数の死骸と瓦礫が転がる場所の先に、第二防壁の門が見えてきた。古代の石門は、彼らを迎え入れるように周囲に暗い影を落としている。


「急ごう」

 門の周囲に敵の気配がないことを確認すると、一行は足音を忍ばせながら防壁に近づく。その防壁の頂上、歩廊で見張りに立っていた仲間の姿がぼんやりと確認できた。〈念話〉は感知される危険があるため、ベレグは見張りに向かって手を振り、何度か指先で簡潔な合図を送る。


 見張りに立っていた守人も、すぐに小さな動作で返事をする。しばらくしてから、巨大な落とし格子がギシリと揺れるように動くのが見えた。しかし大きな音を立てるわけにはいかない。ゆっくりとした動きで慎重に格子が引き上げられていく。


 その間、アリエルたちは背後に注意を払いながら、負傷者を連れた仲間たちを促して門の近くに移動させた。


 防壁内の異変に気が付いたのは、ちょうどその時だった。何やら遠くから騒ぎが聞こえてきた。微かに聞こえてくる音の方向は、〈ベリュウス〉の攻撃で倒壊されていた塔の辺りだ。兄弟たちの声が重なり、叫びとともに破裂音が響き渡る。


「……何かあったのか?」

 問うようにつぶやいたあと、敵に感知される危険を承知で〈念話〉を使ってルズィと連絡を取ることにした。


 すぐに返事が聞こえた。

「襲撃を受けた!〈クァルムの子ら〉だ!」


 敵の数は多くないが、襲撃を予想していなかったこともあり、厄介な状況に陥っているようだ。緊迫したルズィの声に、アリエルの心臓が早鐘のように打ち始める。やはり敵の狙いは、あの〈聖女の干し首〉なのだろうか?


 落とし格子がついに持ち上がると、待機していた世話人たちが負傷者を迎え入れる。アリエルは負傷者の治療を仲間たちに任せると、再び門が閉ざされるのを横目に見ながら、シェンメイとベレグを連れて塔に向かうことにした。

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