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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 どれほどの時間と労力を費やして鍛え上げた兵士だったとしても、死ぬときは呆気ないものだった。それは戦場で名を馳せた歴戦の勇士であろうと変わらない。一瞬の不運でその生涯を終えることもある。残念なことに、そこに劇的な要素は存在しない。


 鍛え上げられた肉体も完璧に整えられた装備も、生死の確実性を保証するものではなかった。一騎当千の英雄とまで呼ばれた兵士が、たった一本の流れ矢によって倒れてしまうように。そしてそれは時に、多くの戦場を経験してきた者にも精神的な衝撃を与える。


 だからこそ戦場に立っているときには、どんな些細な異変でも見逃さないよう、神経をすり減らすように注意を払い続けなければならない。ほんの一瞬の油断が、自分や仲間の命を奪う引き金になる可能性があるのだから。


 その事実を誰よりも理解していたはずのアリエルだったが、それでも〝兄弟〟と呼べる大切な仲間を失いたくないという思いが胸を占めていた。ラファの血に染まった手を見つめると、その温もりが次第に消えていくような錯覚に襲われる。ラファを一刻も早く安全な場所に運び、治療しなければならない。


 それがラファを救う唯一の方法だと分かっていたが、目の前に広がる現実は、そんな希望を無情にも打ち砕くものだった。


 アリエルは崩壊した壁の縁に立つと、外の様子を慎重に確認していく。冷たい風が吹き荒び、放置された数え切れないほどの死骸から腐臭が立ち昇り鼻を突く。その荒れ果てた通りを挟むようにして第二防壁が見えた。すぐ近くに見える壁は、手を伸ばせば届くような錯覚を与えるが、実際にはそれなりの距離があり飛び越えることはできない。


 負傷者を抱えた今の状況では、縄梯子を使って登るという選択肢すら現実的ではないように思えた。


「それなら……どうする?」

 小声でつぶやきながら、アリエルは辺りを見渡した。


 幸いなことに、この付近に潜む怪物たちはまだ目を覚ましていないようだ。崩れた瓦礫の山や薄暗い建物に潜む異形の姿が確認できたが、不気味な静寂の中で微動だにしていない。けれど、その静寂が永遠に続かないことも知っていた。遠くから聞こえてくる怪物たちの叫び声が不安を掻き立てていく。


「門まで近づけそうだが、より慎重に行動しないとダメだな……」

 アリエルのとなりにやってきたベレグはそう口にすると、背後を振り返り、負傷していた仲間たちの様子を確認する。顔は蒼白で、わずかに動く唇から苦痛の呻きが漏れる。


 状況は最悪だが、ここで感情に流されるわけにはいかない。ベレグは深呼吸して、冷静さを取り戻そうとする。どの道、この塔に留まり続けることはできない。いつまた〈クァルムの子ら〉が侵入してくるとも分からないし、言い知れない気配に支配された塔からも離れたかった。


「すぐに動けそうか?」

 ベレグが守人たちに低い声で(たず)ねると、彼らは小さくうなずきながら、それぞれの武器を強く握りしめた。疲労と緊張に覆われた顔には、それでも前に進もうとする意志が宿っていた。


「とりあえず、怪物どもを起こさないように移動することを最優先にする。もし何かあれば――門まで全速力で駆け抜ける。それ以外の選択肢はない……」


 ベレグは兄弟たちと相談しながら、周囲を見回す。塔は封鎖されていて、外につながる扉は存在しなかった。このまま崩壊した壁から外に出る必要があったが、負傷者たちを抱えたまま下りるのは困難だった。


 建設隊の職人たちに簡単な足場を用意してもらうこともできたが、呪力の動きを察知して〈混沌の尖兵〉が目を覚ますかもしれない。


「地道に行くしかないな……」

 ベレグは溜息をついたあと、何か足場の代わりになるモノを調達するため、アリエルを連れて塔から飛び降りた。救いがあるとすれば、それほど高くない位置だったことくらいだ。


 音を立てずに着地した瞬間、瘴気に満ちた冷たい空気が肌に刺さるようだった。その感覚が、ふたりを戦場という現実に再び引き戻していく。頭上を見上げると、仲間たちが心配そうな顔で見下ろしているのが見えた。


「行こう」

 ベレグの言葉にうなずいたあと、アリエルは周囲に察知されない程度の微量の呪素を目に集中させ、〈気配察知〉を発動する。


 瓦礫の下や廃墟と変わらない建物のなかに潜んでいる怪物たちの輪郭が、薄っすらと視界に浮かび上がる。やはり眠っているようだ。立ち尽くしたまま動かない怪物たちの気配を感じながら、足場になるようなモノを手早く探すことにした。


 警戒しながら陰鬱な通りを進むと、石造りの低い建物が見えてきた。かつて倉庫として使われていたらしいその建物は、周囲に立ち並ぶ廃墟と比べれば、まだ原型を保っていて、使えそうな資材が残っている可能性があった。


 アリエルはベレグと目配せを交わしながら、慎重にその建物に近づいていく。怪物が潜んでいる瓦礫を避け、破壊された木製の扉から内部の様子を(うかが)う。薄暗い空間には、荒れ果てた棚や木箱が散乱し、崩壊した壁から差し込む光のなかに宙を舞うホコリが見えた。


 暗闇と静寂に支配されているかのように思えたが、閉じた(まぶた)に浮かび上がるのは、ぼんやりとした怪物の輪郭だった。五体の怪物は建物の奥、影の中で動かずに立ち尽くしているように見えた。眠っているのだろう。小柄な体躯のため一見すれば子どものようにも見えるが、辺りに漂う瘴気と不快な腐臭が、その生物の邪悪な正体を物語っていた。


 アリエルは扉に近づくと、ベレグに手振りで指示を出して、そっと建物の内部に足を踏み入れた。ごつごつした石が敷き詰められた床は冷たく、足元に散らばる細かな瓦礫が擦れる音を殺すために細心の注意を払う。薄闇の中で目を凝らすと、ヌメリのある粘液に覆われた怪物たちが不自然な姿勢で立っているのが見えた。


 ベレグの位置を確認したあと、最も近くに立っていた怪物の背後に忍び寄り、素早く両手を伸ばしてその大きな頭部を(つか)み、力を込めて勢いよく横に(ひね)る。骨が砕ける鈍い音が聞こえたあと、怪物の身体は力を失い、その場に倒れようとする。


 刃物を使わずに処理したのは、血の臭いを拡散させないための処置だった。倒れた際に音を立てないように、子どもほどの背丈しかない小さな怪物の身体を支えると、ゆっくり地面に横たわらせる。その気色悪い肌に触れた瞬間、ヌメヌメした粘液が手や毛皮にべっとりと付着する。鼻を突くような異臭が漂い始めたが、今は気にしている暇はない。


 同じ手順で二体目の怪物を無力化する。どの個体も子どもほどの背丈で、ひどく華奢な体格だった。その身体のどこに、あれほど動き回る力があるのかは分からなかったが、それが混沌の生物という存在なのだろう。うまく処理できずに騒ぎになれば、周囲の怪物を引き寄せてしまう可能性があるので、細心の注意を払いながら処理する。


 ベレグと協力しながら怪物を排除し終えると、倉庫の内部を詳しく調べていく。すると砦の修復用に保管されていたと思われる木材が、壁際に積み上げられているのが見えた。多くの木材は湿気や虫害(ちゅうがい)で腐りかけていて、触れただけで崩れていくモノばかりだったが、いくつかまだ使えそうなものが見つかった。


 粗く削られた厚みのある板や、短いが頑丈そうな梁などが埃をかぶりながらも転がっていた。


「これなら足場を組むのに使えるな……」

 ベレグの独り言にうなずいたあと、アリエルは使えそうな木材を〈収納空間〉に放り込んでいく。


 木材に触れたあと、〈呪術器〉として機能する腕輪に微量の呪素を流し込む。腕輪が淡い光に包まれたかと思うと、木材は分解されるようにして細かな光の粒子に変化し、徐々に消失していくようにして腕輪に収納される。その現象は瞬きの間で行われるので、腕輪に吸い込まれていくようにしか見えなかった。


 回収作業を終えると、ふたりは再び周囲に警戒しながら建物を後にした。塔に戻るまでの道中、周囲の静寂が逆に不安を煽る。あちこちから怪物の気配が感じられ、ふたりの様子を(うかが)っているような感覚が拭えなかった。仲間のなかに負傷者がいる状況では、この緊張感は命を削るように重くのしかかっていた。


 塔に戻ると、さっそく回収してきた木材を使って足場を組むことにした。資材が揃っているので大量の呪素を利用することなく、静かに、そして察知されることなく作業を進めることができた。それでも不安だったのか、アリエルはリワポォルタが何か失敗をしてしまわないように作業を手伝うことにした。


 その作業が終わると、さっそく負傷者たちを塔の下に移動させた。全員が無事に移動できると、足場は崩して使えないようにする。負傷者を担ぐ者、周囲に警戒する者、それぞれが極度の緊張感のなかで行動するなか、門を目指して移動を開始する。

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