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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編

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 その空間は暗闇に包まれ、空気は重く、つめたく湿っていた。地下に続く扉が封鎖された直後、仲間たちは茫然とその場に立ち尽くしていた。アリエルは荒い呼吸を整えながら周囲を見回す。長年放置されてきた埃とカビの混じった嫌な臭いに満ちていた。鼻を突く腐った木材の臭いが、地下にいたときとはまた違う不快感を与える。


 シェンメイが小声で〈灯火(ともしび)〉の呪文を唱えると、ふわりと小さな発光体が浮かび上がり、青白い光で暗闇を照らす。その柔らかな光は混沌とした室内の様子を露わにする。


 古びた木箱が無雑作に積み上げられ、そのほとんどが破壊され、空の状態で引っ繰り返っていた。壁際の棚には錆びついた武器が無造作に並べられていて、いずれも戦いに耐えられそうにない代物だった。低い天井を見上げれば、無数の蜘蛛の巣が絡み合い、何匹もの小さな蜘蛛が巣の中で蠢いているのが見える。


「……ここはどこだ?」

 負傷者のひとりが痛みに耐えながらつぶやく。


「古い塔のひとつだな」ベレグが答える。

「どうやら、俺たちは使われなくなって封鎖された塔に出たようだ」


 アリエルはリワポォルタの手助けに感謝したあと、宙に漂う光球に目を細めながら言う。

「なら、外につながる出入り口も塞がれている可能性があるな……」


 視線を動かすと、壁際に不気味な輪郭が浮かび上がる。骨だ。人間の白骨が冷たく横たわり、静かにその存在を主張している。淡い光が骨に当たるたび、滑らかな表面がぼんやりと浮かび上がり、不吉な影を作り出す。


「ベレグ、あれを」

 アリエルの言葉にうなずくと、ベレグは骨のそばに膝をつく。彼の無骨な指が白骨をなぞるたび、細かな埃が舞い上がるのが見えた。


「小さな頭部に広い骨盤……おそらく女性だな」

「それだけで女性だって分かるのか?」


「まぁな。それに、女性の頭部を男性のものよりも小さくて滑らかだ。額が広いのも女性の特徴だ。男性の頭部はゴツゴツして、額は平たくて斜め後ろに後退している。だからすぐに区別がつくのさ」


 アリエルは興味深そうにうなずくと、ベレグのとなりにしゃがみ込む。

「他に何が分かるんだ?」


「そうだな……歯の状態を見れば、若く健康的な女性だったことが分かる。……でも、普通の状態じゃないな。ここを見てくれ」


 彼の指先が骨の表面を指し示す。まるで刃物で削られたように無数の傷が残されていた。

「それも一か所だけじゃない。死ぬまで全身に傷を付けられたようだ……」


 その言葉に反応して、全員が緊張した面持ちで周囲を見回す。この塔で忌まわしいことが起きた――その〝何か〟は見当もつかないが、空気に漂う不吉な気配が、塔に満ちる邪悪な瘴気をさらに濃くしているように感じられた。


「ここに留まるべきじゃないな」

 ベレグの言葉に全員がうなずき、出口を探すために動き出した。


 それが何であれ、邪悪な気配に満ちたこの場所から早急に抜け出さなければならない。けれど封鎖された塔がそれを簡単に許すとも思えなかった。


 その白骨死体が、いつからそこに横たわっていたのかは誰にも知る術はなかった。骨の表面は乾燥して滑らかになり、一部は変色していた。数十年の年月を経ているのは明らかだが、正確な時期を推測できるような手掛かりは見当たらない。腐敗の痕跡も、かつてその身に宿っていた命の痕も、すべて時の流れのなかで消失しまったかのようだ。


「世話人の骨か……?」

 守人のひとりが低くつぶやくが、ベレグは否定するように頭を横に振る。

「いや、守人のモノだろう」


 今やその栄光は失われ、犯罪者や戦闘奴隷、それに没落した名家の子息や部族長の次男や三男の掃き溜めになっているが、かつては誇り高い戦士たちが混沌と戦うために組織に参加していた。その中には、現在では見られなくなった名高い姉妹たち――英雄と呼ばれた女戦士たちも数多く所属していた。


「そうだとしたら……遠い昔の偉大な戦士の遺体だな……」

 誰かがボソリとつぶやく。〈灯火〉の淡い光のなか、白骨が浮かび上がる。それはまるで過去の栄光と絶望を映し出すかのようだった。しかし、どうして英雄の遺体が放置されているのか、その理由は誰にも分からない。


「この塔には、守人たちが近づきたくないと思えるほどの脅威が潜んでいたのかもしれないな……」


 ベレグの言葉は全員の心に重くのしかかった。現在、砦は怪物の群れに包囲されている。それだけでも絶望的な状況なのに、この塔の中にも別の厄介な存在が潜んでいるかもしれない。事態は悪化の一途をたどるばかりだ。


「……よくないな」

 アリエルはそっと息を吐き出す。とにかく、この塔に長居するべきではない。〈混沌の尖兵〉に追われている状態で、さらなる厄介事を抱え込むわけにはいかなかった。


「すぐに脱出しよう」

 その言葉を合図に、全員が上階につづく階段を探し始めた。ほどなくして階段を見つけることができた。石造りの階段で埃の層が堆積しているのが見えたが、比較的しっかりしているようだった。


 リワポォルタは白骨死体のそばに転がっていた短剣を見つけると、なにも考えずに拾おうとしたが、シェンメイが彼の手首を掴んで止める。


「たとえソレが金銀財宝でも、この塔からは何も持ち出すべきじゃない」

 ポォルタは顔をしかめたが、すぐに察して腕を引っ込めた。もしも呪われていたら大変なことになる。


「準備はいいか?」

 一行は足音を殺しながら慎重に一歩ずつ階段を上がっていく。薄闇の中、どこから何が飛び出してくるのか分からず、緊張状態を強いられることになる。


 小さな光球が揺れるたび、アリエルたちの影が踊り、壁の汚れやひび割れが不気味に浮かび上がる。上階が安全かどうか確信は持てないが、下に留まる選択肢は最早なかった。全員が武器を握りしめ、緊張感を漂わせながら進み続けた。


 上階に近づくにつれ、冷たい風が吹き込んでくるのが感じられた。外の冷気が直接吹き込んでいる証拠でもあった。薄暗い階段を照らす光球の微かな揺れの向こう、階段の終わりには、外から射し込む淡い自然光が見えた。その光はどこか冷たく、頼りない印象を与える。


「どこかで壁が崩壊しているな……」

 ベレグが低い声でつぶやく。その声は緊張感を帯び、場の空気をさらに引き締めた。何かが……いや、怪物たちが、そこから入り込んできている可能性がある。


 シェンメイがすぐに行動を起こす。彼女は慎重に呪素を操作し、周囲に察知されないほどの微細な呪力で〈生命探知〉を発動する。その瞬間、彼女の身体から不可視の波紋が広がり、見えない触手のように周囲の空間に浸透していく。しばらくの静寂のあと、彼女は眉をひそめ、視線を上階に向けた。


「……侵入者がいる」

 その言葉に全員が武器を握り直す。


「あの怪物どもか?」

 ベレグの問いに彼女は頭を横に振る。

「群れじゃない。相手はひとり」


「ここまで入り込むとは……油断も隙もないな」

 ベレグは不愉快そうに顔をしかめたあと顎髭を掻いた。


 その場に負傷者たちを待機させると、アリエルとベレグは音を立てずに階段を上がる。張り詰めたような緊張の中、外から射し込む薄明りを頼りに足を踏み外さないように進む。階段の先に崩れた壁の輪郭が見えるようになると、瓦礫の隙間から射し込む光が廃墟と化した空間を浮かび上がらせていく。


 その中で動く人影が見えた。大きな笠を深くかぶり、全身を包帯と厚い外套で覆った特徴的な姿。アリエルはすぐにそれが〈クァルムの子ら〉だと認識する。おそらく崩壊した壁から侵入してきたのだろう。この場所でも何かを探しているのか、瓦礫や木箱をひっくり返していた。


 アリエルは眉を寄せたあと、敵に気取られないため〈念話〉を使わず視線だけでベレグに合図を送り、攻撃に適した位置まで静かに移動する。


 塔の中に満ちる暗闇は、影を操るベレグにとって最適な戦場だった。彼は深く息を吸い込んで身体の力を抜いていくと、影に溶け込むようにして姿を消していく。その動きは音もなく、足音すら聞こえない。薄暗い空間と崩れた瓦礫が作り出す自然な影を利用しながら敵に忍び寄る姿は、もはや幽鬼と変わらない。


〈クァルムの子ら〉は、まだ気づいていない。包帯越しの顔は(うつむ)いたまま、何かを探すように手元を動かしている。近くの木箱をひっくり返し、荒々しく瓦礫を掘り返している音が耳に届く。その仕草には苛立ちが見えた。ある種の執念のようなものすら感じ取れた。そこにベレグが静かに忍び寄る。

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