表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
361/501

58


 防壁の残骸から苦痛に満ちた呻き声と叫び声が聞こえてくる。大小さまざまな瓦礫が戦場を埋め尽くし、その隙間に押し潰され埋もれていた守人たちが脱出しようと懸命にもがいているのが見えた。しかしその多くは瓦礫の重みで四肢が砕かれ、あるいは衝撃で意識を失い、身動きひとつ取れない状態になっていた。


 その嫌な空気を切り裂くように、恐ろしげな咆哮とともに(おぞ)ましい怪物の群れが瓦礫を踏み越えるようにして砦内に侵入してきた。乳白色の体表はヌラリと返り血で染まり、不揃いの牙や爪からは血液が糸を引いているのが見えた。


 最初の犠牲者は、瓦礫に圧し潰され身動きできなかった若い守人だった。怪物は容赦なく喉笛に喰らいつき、鋭い牙で喉を引き裂く。大量の血液が噴き出し、守人の呻き声が途切れる。力を失くし動かなくなると、別の怪物が腹を引き裂き、湯気の立つ温かな内臓を貪り始めた。その光景は、もはや戦場という名の地獄そのものだった。


 そこに手製の槍や斧を振り回す怪物たちがやってきて、負傷していた守人たちに襲いかかっていく。反撃の余地を与えず、槍で突き刺し、頭部に斧が叩き込まれていく。虐殺されていく守人の叫び声が夜の森に響き渡り、その音が耳に残るたび、絶望が戦場を覆っていく。


 呪術を扱える者たちは、身動きが取れない状態でも必死に反撃を試みる。呪術の炎が燃え上がり、風の刃が空を切り裂き、複数の怪物が焼け焦げたり斬り倒されたりした。けれどその抵抗も長くは続かない。どこからともなく湧いてくる怪物の波は守人たちを呑み込んでいき、数秒後には姿も見えなくなる。


 戦場は凄惨としか言いようがなかった。瓦礫の山、焼け焦げた死体、倒れ伏す守人と〈混沌の尖兵〉の群れ。防壁が崩れたことで、敵の侵攻を止める手立てはもはや残されていなかった。その戦場に呆然と立ち尽くしていたアリエルは、〈念話〉を通してルズィの声を聞いていた。


 どうやら外側の防壁を放棄し、砦の主要施設を保護する第二の防壁まで部隊を後退させるようだ。生き残っていた守人たちは怪物の相手をしながら、瓦礫の中から負傷した仲間たちを引きずり出し、可能な限り迅速に第二防壁まで後退する準備を始めた。


 負傷者を背負う者、怪物の進攻を食い止めるために決死の覚悟で踏み止まる者、それぞれが自分の限界を超えて動いていた。それでも、すべての施設を守ることは不可能だった。厩舎はすでに怪物たちに占拠されてしまっていて、ヤァカの悲痛な鳴き声が聞こえてくる。


 戦士たちの詰め所もまた、瓦礫の山と化し、生存者がいるのかも分からない状態だ。撤退路にも怪物の群れが迫っていて、一刻の猶予も許されない状況だった。


「急げ! 遅れるな!」

 部隊長たちの声が戦場に響き渡り、それに応じて動ける者たちが必死に後退を開始する。背後から悲鳴や絶叫を聞きながら、守人たちは生き延びることだけを考えて動いていた。


 そして崩れた防壁の隙間から、さらなる怪物の群れが雪崩れ込むように突進してくる。その咆哮と足音は地を揺らし、耳をつんざくような不協和音が戦場に響き渡っていく。群れの先頭を走る怪物たちは血に濡れた牙を剥き出しにしながら、撤退する者たちに迫る。


 守人たちは重傷を負った仲間を引きずりながらも必死に動いていたが、その距離は次第に縮まっていた。このままではすぐに追いつかれてしまうだろう。


「やれやれ……」

 アリエルは溜息をついたあと、消耗しきった身体を動かし、瓦礫の上に散乱していた刀と斧を手に取った。


 血と泥に塗れた刀身が篝火で赤黒く反射するなか、迫りくる怪物の群れと対峙する。アリエルの体力は限界に近づいていたが、それでも迫りくる怪物の前に立ちはだかる。


〈ダレンゴズの面頬〉を装着しながら、耳元で(ささや)かれる言葉を口にする。


「我々は死を欺き、名誉のためなら喜んで死地に飛び込む……我々は勝利だけを望み、決して諦めることがない……忘れるな、誰も我々を殺すことはできない」


 そしてアリエルは怪物の群れに向かって突貫する。


 怪物の一体が爪を振り下ろすのが見えると、素早く刀を振り抜く。細い腕を切断すると、そのまま頭部に斧を叩きつける。グシャリと頭部が潰れ膿のような血液が吹き出し、怪物は前屈みに倒れ込む。そこに槍が突き込まれるが、すんでのところで躱し、槍を手にしていた怪物に呪力の衝撃波を叩き込み、その小さな身体を爆散させる。


 次々と襲いかかる怪物たちに対し、アリエルは刀と斧を手に応戦していた。斧が鈍い音を立てて肉を裂き、鋭い刃が手足を切断していく。返り血と肉片にまみれ、激しい戦いの中で彼の視界は血に染まっていく。手にした武器がダメになれば、足元に転がっている刃物を拾い、それもダメになれば怪物の武器を奪い戦い続けた。


 そこに豹人の姉妹が姿を見せる。リリは人間離れした身体能力で高く跳躍すると、迫りくる群れに〈火球〉を撃ち込む。衝撃波と熱波が広がり、複数の怪物が火だるまになり散り散りになって逃げていく。


 ノノは研ぎ澄まされた集中力で数え切れないほどの〈氷礫(ひょうれき)〉を空中に形成し、怪物の群れに向かって撃ち放つ。鋭い氷の破片が突き刺さるたび、怪物たちは鮮血の花を咲かせながら崩れ落ちていく。


 一方、後退する部隊を支援していたのは、オオトカゲに跨ったシェンメイだった。彼女は周囲の惨状を見据えながら小声で呪文を唱えていく。すると戦場に散らばる怪物たちの無残な死骸から、白く濁った血液がゆっくりと浮かび上がっていく。


 その血液は空中で凍りつくように硬化し、鋭い〈血槍〉がいくつも形成されていく。それが鋭い音を立て、矢継ぎ早に撃ち放たれていく。〈血槍〉は正確に怪物たちの頭部や胸部を貫き、群れを一瞬で排除していく。いくつもの槍が怪物の身体を貫通し、そのたびに彼女の足元には新たな屍が積み上がっていく。


 彼女を標的にした無数の槍や斧が投擲されるが、〈ラガルゲ〉は驚くほどの俊敏さで避け、接近してきた怪物に喰らいついていく。


 彼女たちの後方では、ラファが率いる長弓部隊が正確無比な矢で掩護していた。弓弦を弾く音を響かせながら、無数の矢が怪物たちの急所を射抜いていく。彼らの活躍によって後退する守人たちのための時間を稼ぐことができた。


 しかし怪物は数を減らしながらも怒涛の勢いで進攻していた。最前線で戦っていたアリエルは体中が痛み、息が乱れるなか、刀を手に戦うことを止めなかった。〈ダレンゴズの面頬〉から力を得てもなお、苦戦を強いられていた。


 その厳しい状況のなか、〈念話〉を介してルズィの声が聞こえた。どうやら残存部隊の後退が完了したようだ。アリエルたちにも後退の指示が下される。瓦礫の散らばる戦場の中で負傷し疲弊しきった身体を引きずりながらも、彼らは後退を開始する。


『エル、急いで!』

 リリの声は戦場の轟音にかき消されそうになりながらも、彼の耳に明瞭に届いていた。ノノは怪物たちに〈火炎〉を放ちながら、追撃の足を鈍らせるために戦い続けていた。赤々と燃え上がる炎が戦場を照らし、その中で怪物たちの影が踊るように揺れるのが見えた。


 その群れが執拗に追いすがってくる。アリエルは足を止めることなく刀を振り、迫り来る怪物に斧を投げつける。体力の限界を越えた疲労が全身を蝕み、手にした武器の重さすら倍増したように感じる。


「もう少しだ……もう少しだけ」

 アリエルは自らに言い聞かせるように声を絞り出す。


 その後退を支えるのは長弓部隊の掩護射撃だった。第二防壁の歩廊から放たれる矢の雨は、迫り来る怪物たちを正確に射抜いていく。鋭い矢が肉を裂き、怪物たちの雄叫びを悲鳴に変えるたび、わずかな時間が稼ぐことができていた。


 疲労で視界が霞み、耳鳴りがしていた。すでに波の音も太鼓の音も聞こえてこない。周囲には最後まで戦っていた守人たちの遺体が横たわっていた。


 アリエルたちが第二防壁の門を越えたことが確認されると、鋼鉄の落とし格子が落とされ、両開きの門が閉ざされる。怪物たちは門を越えることができず、矢狭間に立っていた長弓部隊によって処理されていく。


 アリエルは壁に背を預けるようにして腰を下ろすと、折れた刀を握りしめていた手を見つめる。その手には、自らの血と怪物の血が入り混じり、赤黒い汚れがこびりついていた。刀を手放そうとしたが、どういうわけか手の力を抜くことができなかった。


 疲労が限界を超え、アリエルの意識は静かに闇のなかに落ちていく。それは眠りにつくように穏やかに見えたが、厳密に言えば気絶と変わらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ