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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 つめたい雨と風が吹き荒ぶなか、〈ベリュウス〉に向かって放たれた銀の矢は戦場に立ち込める瘴気を切り裂くように、一直線に飛翔していく。しかしアリエルの膨大な呪力によって強化されていたからなのか、その存在は恐るべき化け物に察知されてしまう。


 銀の矢が〈ベリュウス〉に直撃する寸前、周囲の空気が歪むような奇妙な現象が起きる。そして目に見えない障壁が展開され、銀の矢による狙撃は無力化されてしまう。


 銀の矢が消滅した瞬間に生じた呪力による衝撃波は、周囲に立っていた小さな怪物たちを無造作に吹き飛ばした。激しい波動が地面を揺るがし、近くの木々が音を立てて倒れる。飛ばされた怪物たちは空中で四肢をばたつかせ、樹木の幹や岩に叩きつけられると、そのまま動かなくなる。


「……クソったれ」

 アリエルは思わず舌打ちして、〈収納空間〉から別の矢を掴もうとする。


 奇妙なことが起きていると気がついたのは、ちょうどそのときだった。堀と土塁を挟んだ向こう側、木立の陰に潜んでいた数人の〈クァルムの子ら〉が突然、凄まじい苦痛にのた打つのが見えたかと思うと、彼らの身体は次々と爆散していく。


「なにが起きてるんだ……?」

 アリエルは〈暗視〉を使い、暗闇に目を凝らした。


〈クァルムの子ら〉の身体は、内側から圧力を受けたかのように一瞬膨れ上がり、つぎの瞬間には破裂していく。血液が噴水のように四方に飛び散り、骨やら臓器が空中を舞った。 飛び散った臓物は、近くにいた怪物たちの体表を濡らし黒々とした泥濘を鮮血で染めた。


「もしかして、身代わりになって攻撃を受けたのか?」

 アリエルは推測を巡らせる。おそらく〈身代わり護符〉のように、術者の身代わりになって攻撃を受ける高度な防御呪術が使われたのだろう。


 本来であれば命を代償とすることなど想定されていないが、より高い効果を得るため、人の肉体そのものを身代わりにするような禁忌に指定されているような忌まわしい呪術が使われたのだろう。


 本来は奴隷がその役割を担うべきだったのかもしれないが、すでに奴隷の多くは化け物になっていたので、結果として〈クルムの子ら〉は自らの命を差し出すという狂気じみた選択をしたのかもしれない。


 もはやそれは単なる防御手段ではない。彼らにとって〈ベリュウス〉は、命を捧げるに値する神聖な存在――あるいは、神そのものなのかもしれない。


 その光景を目撃した若い守人たちは戦慄し、思わず攻撃の手を止めてしまう。すぐに部隊長の怒号が飛び交い、彼らは冷静さを取り戻すが、〈クルムの子ら〉の常識を逸脱した行為にひどく困惑していた。自分たちが相手にしている者たちが、どれほど異常な存在なのか、あらためて認識したのかもしれない。


 戦場の混乱は頂点に達しつつあったが、少なくとも化け物の手からラライアを解放することはできた。


 銀の矢の消滅とともに発生した衝撃の余波で、〈ベリュウス〉の巨体がわずかに後退した。その瞬間を見逃すまいと、押し倒されていた戦狼(ラライア)は荒い息を吐きながら力を振り絞り、地面を蹴って距離を取る。傷口から滴る鮮血が泥濘に染み込み、赤黒い模様を描き出す。けれど彼女の眼には恐怖よりも、敵に対する怒りが宿っていた。


 しかしそれでも、現在の状況が最悪なことに変わりない。〈ベリュウス〉が戦闘に介入したことで戦狼たちだけでなく、ベレグの偵察部隊の命も危機にさらされている。あの化け物がその気になれば、この一帯を吹き飛なすこともできるかもしれない。そうなってしまえば、誰も生き残れないだろう。


 アリエルは強く拳を握りしめ、打開策を模索しながら、あちこちに死体が積み上げられた戦場を見渡す。敵味方が入り乱れ、血と煙と雨が瘴気の立ち込める濃密な空間を支配している。


 そこに突如として、怪物が放った手製の槍が空を切り裂きながら飛んできた。その動きを察知したアリエルは、反射的に手を伸ばし木製の柄を(つか)み取る。柄は粗削りで、手袋をしていなければ棘のような無数の突起で手を傷つけていただろう。槍の先端には、鋭く研ぎ澄まされた黒曜石めいた石器が仕込まれていた。


 アリエルはその槍を振りかぶり、正確な軌道で投げ返した。槍は目標に向かって真直ぐ飛び、薄汚れた半透明の肌を晒した怪物の胸を貫通し、そのすぐ後方に立っていた別の怪物にも突き刺さる。串刺しになった怪物たちは短い悲鳴を上げ、苦しんだ末に動かなくなる。血の噴出が地面に新たな暗赤色の模様を描き出す。


 その光景を見ながらアリエルはある考えに囚われる。戦場には大量の死骸が横たわっていることに気づいたのだ。その身に宿る禍々しい力を利用すれば、この状況を打開することができるかもしれない。


 アリエルは狭間を背に身を隠すと、そっと瞼を閉じた。その瞬間、世界から色彩が失われていくように感じた。怪物たちの耳をつんざく叫び声も、血の臭いさえも遠ざかり、ただ深い暗闇だけが意識を満たしていく。身体は重力を失い、深い淵へと引きずり込まれていく。


 気がつくと、深い闇の中に沈み込む螺旋階段に立っていた。その階段は果てしなく、一段一段が不吉な黒い輝きを帯びている。空間を包む空気はひどく冷たく、時折吹き抜ける風が肌を刺すようだった。どこからともなく幽鬼の囁き声を思わせる音が聞こえ、アリエルの背中を押すようにして階下に誘う。


 一歩、また一歩と階段を下りるごとに、足音が闇に吸い込まれ、周囲の静寂は一層深まっていく。息をするたびに胸を締め付けられるような感覚が押し寄せる。そのとき、遥か下方に揺らめく微かな蝋燭の灯りが目に入った。その光の周囲には、漠然とした無数の影が立っている。


 目に見えない威圧感が空間を支配し、不定形の影の周囲では空気が歪んでいるように感じられた。それら無数の影はアリエルの存在に気づいているようにも見えたが、何もせず、ただ静かに彼の行動を見守っているだけだった。


 やがて階段の先に広がる空間に足を踏み入れる。そこは途方もない広さを持つ地下の大広間のようにも見え、闇に溶け込むようにして無数の石棺が並んでいた。それぞれの棺には何かを封じ込めるための呪術的な模様が刻まれ、近くに立っているだけで、全身に鳥肌が立つような感覚に囚われる。


 それらの石棺のいくつかは、重い石の蓋を押しのけるようにして開いていき、その中から黒い靄が煙のように立ち昇っていくのが見えた。しかし開いた棺の数はごくわずかだった。黒い粒子が宙を漂い、蠢きながらアリエルの周囲を取り囲むが、圧倒的な数の敵を前にして力不足だと感じられた。


「もっとだ……」

 アリエルがつぶやいた言葉は、暗闇に木霊していく。


 戦場に戻れば、怨念を宿した無数の肉体が横たわっている。死に際の憎悪と恐怖に満ちた怪物の死骸だ。それらを糧にすれば、この石棺に封じられた力を解き放てるかもしれない。彼はその身に宿る力を解放すると共に、空間を占める無数の石棺に向かって膨大な呪素を注ぎ込んでいく。


 瞼を開くようにして意識を戦場に戻すと、怪物たちの死体が視界に入る。周囲の空気が異様に重くなり、あちこちから奇怪な低音が響き渡る。そして堀や土塁に横たわる怪物たちの死骸から黒い靄が立ち昇るのが見えた。それは漂い、まるで黒い粒子がひとつの形を成していくように変化していく。


 そして不定形の黒い靄は徐々に人型に変わる。その黒い影は怪物たちを思わせる異形の姿をしていて、手には黒い靄で形作られた漆黒の棒を握り締めていた。


 奇妙な静寂のなか、百を超える〈死者の影〉が音もなく動き出す。彼らの視線の先には、戦狼に襲い掛かる〈ベリュウス〉がいた。戦場を駆ける無数の黒い靄は、まるで幽霊の軍団のようであり、その場にいるすべての者に恐怖を与える威圧感を放っていた。

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