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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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 塔の崩壊とともに結界が完全に消失した瞬間、戦場の雰囲気が一変した。それまで動きを封じられていた怪物の群れは、まるで水門が開かれたように、砦に向かって一斉に進軍を再開した。(おぞ)ましい姿をした怪物の咆哮と足音が大地を震わせ、耳をつんざくような金切り声が砦内の守人たちを襲う。


 堀と土塁による高低差が辛うじて敵の進攻速度と勢いを削いでいるものの、異形の群れは死を恐れずに進み続けていた。鋭い爪と(いびつ)な四肢を駆使して、堀の傾斜を這い上がる者たちの動きは、まるで昆虫のように素早く不気味なまでに滑らかだった。


「矢を放て! 敵を堀に叩き落とすんだ!」

 砦の防壁から部隊長たちの声が響く。守人たちは次々に矢を放ち、そのたびに何体かの怪物が堀の底に転げ落ちていく。しかし射殺された敵の死骸が次々と積み重なり、その死体の山を足場にして、さらなる怪物の群れが土塁を乗り越えてくる。


「まるで昆虫の大群だ……」

 恐怖に染まった声が兄弟たちの間で漏れるようになる。


 防壁に到達した異形たちは、わずかな凹凸を利用して素早く壁をよじ登り始めた。その小柄な体躯と、人間離れした身体能力だからこそできる芸当なのだろう。


 弓を手にしていなかった守人たちは、手元に用意されていた石を使い、よじ登ってくる怪物の頭上に落としていく。拳大の石を叩きつけられた怪物は、グシャリと頭部が凹み、そのまま地面に落下していく。恐ろしい速度で登ってくる怪物に刺突や斬撃で必死に応戦するものの、次から次に押し寄せてくるため対応が追いつかない。


 守人が壁際で槍を突き出すと、怪物の一体を突き落とすことには成功したものの、近くにいた複数の怪物がその槍を掴み返し、若い守人ごと壁の下に落下していく。


「前衛を掩護しろ!」

 状況が窮迫してくると、ルズィの指示で砦内に待機していた精鋭たちが前線に加わる。


 呪術の使い手として温存されていた戦力だったが、もはやあとのことを考えている余裕はなかった。〈火球〉や〈氷礫(ひょうれき)〉が次々と放たれ、壁を登る異形たちを次々と打ち倒していく。炎に照らし出される怪物たちの絶叫が響き渡る。しかしそれでも数は減らない。


 守人たちの士気はじわじわと蝕まれていく。塔の崩壊と結界の消滅が与えた衝撃は大きく、彼らの表情には焦燥と不安が浮かび始めている。


「諦めるな! ここで踏ん張るんだ!」

 部隊長が声を張り上げて若い守人たちを鼓舞するが、その声も次第に戦場の喧騒にかき消されていくようになる。


「後退は許されない。ここが最後の砦だ!」

 ラファが所属していた長弓部隊も攻撃を本格化させ、壁に迫る怪物たちに向かって矢の雨を降らせていた。けれど、その矢が尽きるのも時間の問題だった。


 絶望に呑まれた戦場の中で、守人たちは血と汗にまみれながらも死力を尽くして戦い続ける。彼らの眼前にあるのは、ただ押し寄せる終わりなき怪物の波だった。


 アリエルは、その膨大な呪素を使い敵の群れを退けていた。間髪を入れずに撃ち込まれる呪術が砦の上空を照らし、巨大な〈火球〉や衝撃波が異形の怪物たちを次々に吹き飛ばす。そのたびに地面が震え、爆風が木々を揺らした。


 それでも、アリエルの視線は戦場の中心から少し離れた場所にいる一体の巨影――恐るべき〈ベリュウス〉に向けられていた。


 塔を破壊してから〈ベリュウス〉は動きを止めたまま、木々の間に立っていた。その身体は黒く焦げた岩を思わせ、まるで薪のように灰が舞い上がっていく。時折、体表に走る亀裂が赤く明滅し、心臓の鼓動を模しているかのように脈打っていた。その光景は異様で、圧倒的な威圧感を放ち、見つめるだけで息苦しさを覚えるほどだった。


 雷鳴が轟いたのは、ちょうどそのときだった。激しい音が戦場の喧騒を切り裂き、暗い森を一瞬だけ鮮やかに照らし出す。〈ベリュウス〉の巨体がその稲光の中で浮かび上がり、次の瞬間には闇に溶け込む。厚い雲が空を覆い、冷たい風が肌を刺すように吹き抜けていく。


 雨は敵味方の区別なくすべてを濡らし、砦の防衛戦をさらに困難なものにするだろう。この戦いに終わりは見えず、雨はさらなる絶望をもたらすかもしれない。


 遠雷によって森が照らし出された瞬間、そこに潜む奇妙な人影を目にすることになった。アリエルは錯覚だろうとも考えたが、〈クァルムの子ら〉の存在が気になっていた。もしかしたら〈ベリュウス〉を呼び覚ましたのも、彼らだったのかもしれない。


 アリエルが嫌な考えに囚われている間も、砦の防壁では激しい戦いが続いていた。守人たちは矢を放ち、〈火球〉を撃ち込み、壁をよじ登る怪物たちを攻撃していた。防壁の歩廊に到達した小さな怪物たちは、剣や槍によって切り倒されるが、その数は減るどころか増え続けている。血と肉が飛び散り、叫び声が戦場に木霊する。


「次が来るぞ! その場で持ち堪えるんだ!」

 若い守人が防壁の縁に立って恐る恐る壁の下を覗き込む。彼の目に映ったのは、数百、あるいは千を超える怪物の大群だった。


「こんなの、勝てるわけがない……」

 若い守人はその場に膝をつき、武器を取り落とす。そのつぶやきは、砦全体に漂う不安を象徴しているようでもあった。


 複数の怪物に組み付かれ、そのまま食い殺されていく若い守人を横目に見ていたアリエルは、そこに容赦なく衝撃波を放ち、手足を引き千切られた守人の死体ごと怪物たちを防壁の下に叩き落とす。


 激戦地で戦闘を指揮していたルズィは、部隊長たちにその場の指揮を任せると、急いで広場に向かう。


「建設隊の助けが必要だ。選りすぐりの職人を集めてくれ!」

 彼の命令は、後方で戦闘を支援していた職人たちに伝えられた。矢が飛び交い、炸裂音が轟くなか、ルズィは建設隊と合流すると、顔に土埃をつけたままの職人たちと慌ただしく地下牢(ダンジョン)に向かう。


 地下牢に続く階段は薄暗く、足音が石壁に反響していた。燭台の弱々しい灯りに照らされるなか、彼らは予定通りに砦の地下深くに下りていく。暗闇の先に待ち受けていたのは、不気味な冷気を漂わせる地底に続く洞窟だった。


 その洞窟の入り口に立つと、地底から吹きつける風に混じるように、幽鬼の囁き声にも似た奇妙な音が耳に届く。それは底知れない恐怖を呼び起こす声でもあった。そのなかで職人たちは黙々と作業の準備をしていく。


 およそ考えられる限りの最悪の出来事になるが、このまま砦が化け物の手に落ちるようなことになれば、地底にある黄金都市だけでなく〈無限階段〉にも脅威の侵入を許すことになる。それだけは阻止しなければいけなかった。


 そうして地底の入り口を封鎖する作業が始まった。あらかじめ用意されていた建材が次々と所定の位置に運び込まれる。職人たちは息を切らしながらも、その手を止めることはない。特殊な金属棒が次々と埋め込まれ、呪力を無効化する壁の基礎が形成されていく。


「急げ、怪物どもは待ってはくれないぞ!」

 職人の怒鳴り声が響く中、地上では絶え間ない戦闘が続いている。矢の雨、爆発音、そして怪物たちの叫び声が地下にも届き、作業に追われる職人たちの神経をさらに張り詰めさせていく。


 地下での封鎖作業は困難を極めていく。呪術で岩壁を操作し、三重の石組みの壁を構築していく。その作業は膨大な呪素と集中力を必要とし、汗で汚れた顔に疲労の影が見えるようになる。石壁が完成するたびに、それを補強するため呪力を無効化する金属が設置されていく。


 地上では、守人たちが命を賭して時間を稼ぎ続けていた。怪物の群れは壁を登り歩廊に殺到していたが、そのたびに矢を放ち、剣を振り下ろし、〈石礫〉や〈火球〉を炸裂させて防衛線を死守する。


「最後の仕上げだ! 全員、気を抜くな!」

 職人たちは疲労困憊のなか、最後の壁を構築し、呪力を遮断する金属で完全に覆っていく。周到に準備してきたこともあり、素早く壁を構築することができた。封鎖された地底の入り口は頑強で冷たく、そこには誰も寄せ付けない威圧感が漂っていた。


 ひとりの職人が力尽きるようにその場に倒れ込む。他の者たちも次々と手を止め、肩で息をする。顔には安堵と達成感、そして戦いの緊張が入り混じった表情が浮かんでいた。けれど彼らに安息の時はなかった。作業を終えた職人たちは再び武器を手に取り、砦の守りに戻る準備を始めた――戦いは、まだ終わっていなかった。

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