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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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52〈塔の崩壊〉


 森に夜の帳が落ちるころ、最初に異変を察知したのは戦狼だった。野生じみた鋭い感覚を持ち合わせる戦士たちは、わずかな異変すらも見逃さなかった。


 どこか遠く、森の奥深くから長く尾を引く遠吠えが聞こえた。それはすぐに別の狼に伝わり、森に遠吠えが響き渡るようになる。やがてソレは砦の周辺に待機していたラライアの耳にも届いた。


『……何かが来る』

 唸るようにそうつぶやいたあと、彼女は〈念話〉を使って砦にいるルズィに森の異変を伝えた。それはすぐに守人たちにも伝えられ、彼らは各々の配置につき、武器を手に戦闘に備えることになった。


 砦の灯りを絶やさないようにと、土塁の周囲を見渡せるよう篝火が焚かれたが、濃密な闇が森を覆い尽くし、その炎の灯りすら飲み込んでしまうような不気味な気配が漂っていた。


 つぎにその脅威と遭遇することになったのは、森の影に潜んでいたベレグの斥候部隊だった。彼らは気配を殺しながらも、異変の源を探るべく散開していた。


 しんと静まり返った異様な静寂のなか、普段なら聞こえるはずの昆虫の鳴き声や小動物の足音が聞こえてこなかった。やがて暗い木々の向こうから低い振動音が伝わり、それは重く湿った足音となって近づいてきた。


 微かな月明りによって浮かび上がるように、子どもほどの小さな人影がぼんやりと姿を見せた。それはヌメリのある体液に濡れた異形だった。その皮膚は乳白色に透き通り、血管や黄土色の脂肪、内臓の輪郭までもが透けて見えていた。


 異形の身体つきは人間に似ていながらも、不気味なほどの均衡を欠いていた。華奢な四肢に対して頭部は異様に大きく、そこには眼と呼べる器官は存在しなかった。しかしその動きには迷いがなく、見えないはずの道を踏みしめながら、迷うことなく砦の方向に向かって進んでいた。


 それは〈混沌の尖兵〉の名で知られた地底生物だったが、問題はソレだけではなかった。その異形の背後から、さらに数えきれないほどの同種の怪物が姿をあらわした。それは群れというには規模が大きすぎた。まるで大地そのものが形を変え、白い波となって押し寄せてくるかのようだった。


 通常なら地底深くに潜み、滅多に姿を見せることのない生物たちは、邪悪な瘴気を纏いながら悠然と歩を進める〈ベリュウス〉に従えられているようだった。


 月明りによって化け物の軍団が照らし出されると、手練れの守人たちの間から息を呑む微かな音が聞こえた。異形の数、そしてその気配の重圧に彼らは戦慄していた。けれどその怯えは即座に消え、責任を果たすために〈念話〉を使い、砦にいる兄弟たちに危機を知らせた。


「……奴らが来る」

 砦全体が戦闘準備に入り、足音や鎧が擦れる音が徐々にその緊張感を高めていく。毅然な態度で戦闘に備えていたが、圧倒的な脅威を前に、誰もが絶望を感じているようにも見えた。この戦いの先に待つのは存亡をかけた決戦であることを、全員が理解していた。


 砦を囲む堀と土塁は、今や異形の怪物たちとの戦場と化していた。日没からわずかな時間しか経過していないにも(かか)わらず、森は暗闇に包まれ、異形の足音や咆哮が木々の間から響き渡っていた。そして砦を照らす篝火の揺らめく光に照らされながら、異形の群れが次々と姿をあらわす。


 粘液に濡れた怪物の手に握られた武器は、錆びついた剣や斧といった粗末なものだったが、その中には原始的な石斧や尖頭器を備えた槍、曲がりくねった手製の弓などの野蛮で簡素な武器も混じっていた。鋼の武器を手にした戦士たちに比べれば、それほどの脅威ではないが、異常な身体能力や異様な生命力、そして何より数の暴力は圧倒的だった。


 木々の間から押し寄せる怪物の軍団を前に、アリエルと豹人の姉妹は土塁の上で迎え撃つ準備を整えていた。


『……数が多い』

 リリが唸るようにつぶやく。篝火が彼女の大きな眼を照らし、緊張感がその表情に滲む。ノノは手のひらに呪術の炎を浮かべながら、じっと前方を見据えていた。


 異形の群れが雄叫びとともに突進を開始すると、姉妹は間髪を入れずに特大の〈火球〉を放っていく。巨大な炎は夜空を裂いて群れの中心で炸裂していく。火花が飛び散るなか、複数の怪物が火だるまになり、苦悶の声を上げて倒れていく。しかし、その背後からは次々と新たな群れが押し寄せてくる。


「狙い通りだ。このまま敵を誘い込む!」

 アリエルの声に応えるように、姉妹は派手な攻撃を行いながら、異形の群れを狭い通路に誘導していく。土塁の上では兄弟たちが待機し、虎口に入った怪物たちに矢を浴びせる準備を整えていた。


 土塁の間に設けられた狭い通路に進入した異形たちは、徐々に進行速度が落ち、一列に並ぶようにして数が減っていく。その瞬間を待ち構えていた守人たちの猛射を受け、次々と倒れていくことになった。


 しかしそれでも怪物の進攻は止まらない。一部の群れは迂回を試み、土塁の斜面に向かった。もちろん、それも計算済みだった。建設隊の手で用意された傾斜は泥濘で滑りやすくなっていて、小さな怪物たちは足を取られて堀の底に転げ落ちていく。その先には鋭く削られた木の杭が無数に待ち構えていて、次々と串刺しになっていく。


 悲鳴と肉を裂く鈍い音が闇の中に響き渡っていく。戦況は順調に――思惑通り進んでいるかのように思えた。けれどアリエルの視線は土塁の向こうに立つ巨大な影に向けられていた。〈ベリュウス〉――異形たちを従える混沌の化け物は動こうとはせず、じっと砦を見つめている。その不動の姿勢が、逆に不安を掻き立てる。


「……何を考えている?」

 アリエルは目を細め、遠くの〈ベリュウス〉を見つめた。その異様な存在感は、明らかに戦場を支配していた。


 あの化け物が動けば、この戦いの流れが一変するのは明白だった。砦の上に立つ守人たちはその動向に神経を尖らせ、つぎの展開に備えていた。


 異形の群れは終わりの見えない波のように押し寄せていた。虎口や堀による迎撃が功を奏していたものの、敵の数は途方もなく、ついに堀を越え土塁の斜面を駆け上がる者たちがあらわれた。彼らの足元には撃ち倒された屍が山のように積まれているが、気にする素振りすら見せず、怪物は屍を踏み越えて進撃を続けた。


 鋭利な爪や牙をむき出しにした異形の怪物たちは次々に防衛線を突破し、一部の部隊では白兵戦が繰り広げられるようになっていた。豹人の姉妹は風の刃で敵を薙ぎ払い、アリエルも怪物の死骸から剣や斧を拾いあげ、鎧すら身につけていない怪物たちを屠っていく。


 目の前に迫る二足歩行の異形を切り裂くと、血液とも瘴気ともつかない黒い体液が迸り、異形がのたうち回る。しかし次の瞬間には別の怪物が飛びかかってくる。歪な形状の穂先を紙一重のところで躱し、むき出しの首に斧を叩き込む。


 その間にも次々と怪物が迫る。兄弟たちは必死の応戦を続けていたが、圧倒的な数の前に徐々に戦列が崩れ始めていた。そしてその時がやってくる。


「後退だ! 砦内に撤収しろ!」

 ルズィの声が暗い森に響き渡る。


 砦を守るためには、これ以上の消耗を避ける必要があった。しんがりを務めるため、アリエルと姉妹が呪術を駆使しながら群れを足止めし、残存部隊を撤退させていく。


 その最中でも敵の攻撃は激しさを増し、斧がアリエルの頬をかすめ、撃ち込まれた無数の矢が護符の効果で軌道を逸らされていく。すべての部隊が砦内に撤収すると、巨大な門は重々しい音を立てて閉ざされる。


 怪物の快進撃は結界によって止まることになった。砦の周囲に張り巡らされた結界は、砦内に安置された〈聖女の干し首〉によって展開されている。その効果範囲に足を踏み入れた怪物の多くは、目に見えない壁を前にして動きを止め、その肌はじりじりと焼け(ただ)れていき戦場に悲鳴が木霊す。


 その隙を突くように、砦からは一斉に矢が放たれた。重なり合う弦の音とともに放たれる矢の雨は、結界に阻まれた異形たちに容赦なく降り注ぎ、次々と屍を築き上げていく。


 しかしそこで異変が起きた。それまで動きを見せなかった〈ベリュウス〉がゆっくりと動き出した。恐るべき化け物は大樹の倒木を手にしていた。その大きさは尋常ではなく、幹の太さだけでも人の背丈ほどもある。


「何をするつもりなんだ……?」

 誰もが息を呑んだ次の瞬間、〈ベリュウス〉はその倒木に瘴気を纏わせると、勢いをつけながら砦に向かって倒木を投げつけた。


 轟音が戦場全体に響き渡る。凄まじい勢いで投げられた倒木は、砦の結界の要である〈聖女の干し首〉が安置されていた塔に直撃した。防壁の上で兄弟たちが呆然と見守るなか、塔の上部から亀裂が走り、重力に従ってゆっくりと崩れ落ちていく。


 塔の崩壊に伴い結界が薄れていくのを感じた。そして異形の群れが再び勢いを取り戻し、砦に向けて進撃を開始した。絶望とともに戦場の緊張感が再び極限に達していく。

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