表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
340/500

37〈死者の影〉


 ゆっくりとその全身をあらわした〈爬人(はじん)〉の司令官は、変装が解けたアリエルたちの姿を縦長の瞳孔で睨みつけた。その視線は鋭く、蛇の眼そのものだった。瞳孔が収縮するとともに周囲の空気がぴりぴりと震え、その眼に見つめられただけで、アリエルは捕食者に睨まれた小動物のような本能的な恐怖を全身に感じた。


 その動揺を振り払うように、青年は体内で練り上げていた呪素を一機に解き放つ。彼の周囲の空気が凍りつき、白い冷気とともに足元の水溜まりが凍り付き、空中に鋭い氷柱(つらら)めいた氷の塊が次々と形成されていく。それは篝火を反射して煌めきながら、静かにアリエルの周囲に浮かんでいた。


「貫け……」

 アリエルが小さくつぶやくと、無数の〈氷礫(ひょうれき)〉が〈射出〉の呪術によって一斉に放たれた。氷の礫は空気を切り裂きながら飛翔し、鋭利な刃の群れとなって〈爬人〉の司令官に襲いかかった。


 しかしそれを嘲笑うかのように、〈爬人〉がとぐろを巻いていくのが見えた。長い胴体――あるいは尾を渦巻き状にゆったりと巻きながら、威圧的な動作で身を低く構えた。鱗が擦れ合うのが見えた瞬間、金属を打ち合わせたような甲高い音が大気を震わせる。すると目に見えない力が働き、その音とともに放射状に結界が広がっていくのが感じられた。


 すると異様な現象が起きた。〈爬人〉に向かって飛翔していた〈氷礫〉が、その奇妙な力が及ぶ範囲内に侵入すると、まるで霧散するように形を失い、ただの水蒸気となって消失していくのが見えた。どうやら呪術を無力化する何かしらの能力を持っているようだ。


「呪術は通用しない……か」

 アリエルは歯噛みした。〈氷礫〉は大気中に微かな蒸気を残しただけで、彼の攻撃はすべて無意味に終わっていた。


 それなら、と青年は即座に行動を切り替えた。ザザの毛皮に備わる〈収納空間〉から槍を取り出すと、その長い柄を強く握り締め、鋭い視線で目標を定める。そしてほとんど間を置かずに全身の力を込めて槍を投げ放った。その槍は唸りを上げながら一直線に飛翔し、蛇のような姿をした〈爬人〉目掛けて空を切り裂いていく。


 けれどそこで、また予期せぬことが起きた。〈爬人〉は何処からともなく中型の楯を出現させた。〈爬人〉がその楯を構えると、鈍い音を立てながら槍は弾かれてしまう。その楯の表面には奇妙な模様が彫り込まれていて、呪術的な力で強化されていることが(うかが)えた。鋭い槍の穂先でも、傷ひとつ残らなかった。


 それから〈爬人〉は虚空に手を突き入れると、片刃の大剣を取り出して見せた。その動作に躊躇(ためら)いはなく、慣れた仕草だった。手が何もない空間に消えたかと思うと、そこからずっしりとした片刃の大剣が引き出される。〈収納空間〉として機能する腕輪を所持しているのか、それとも空間そのものを変化させる呪術が使えるのかもしれない。


 その剣は〈爬人〉の身体に見合った圧倒的な大剣で、刀身にも部族由来の複雑な模様が彫り込まれていて、まるで蛇の鱗のように煌めいていた。


 常人の力では扱えないほど重たいように見えたが、〈爬人〉は片手で軽々とそれを持ち上げ、まるで木刀のように振って見せた。そのたびに、鱗肌にも似た刃が篝火の炎を受けて不気味な光を放つ。


「さすがにマズいな……」

 アリエルは思わず弱音を吐く。呪術、物理、どちらの攻撃もことごとく受け流す司令官の姿に、嫌な汗が流れる。


 すでに周辺一帯の兵士は排除していたので、すぐに増援がくるとは思えなかったが、司令官を暗殺して静かに立ち去ることはできそうになかった。


 血の臭いが立ち込める静寂のなか、視界の端でシェンメイが動くのが見えた。彼女は足元に転がっている敵兵の死体に手をかざし、体内の呪素を操作する。


 すると重力を無視するかのように血溜まりがゆっくりと浮き上がり、赤黒い液体が細長い形状に変化していくのが見えた。液体は硬質な鋭さを帯びていくと、深紅の刃に変化していく。篝火の炎に照らされた刃は、その内側に血脈のような模様が浮かび上がり、禍々しい存在感を放つ。


 彼女は腕を大きく横に薙ぎ払うようにして振り、血の刃を〈爬人〉に向かって撃ち放った。その鋭い刃は音もなく標的に突き進む。


 けれど彼女の種族特有の異能も、〈爬人〉の力には及ばなかった。その血の刃は、呪素によって形成された氷の塊と異なり、たしかにそこに存在していた。しかし〈爬人〉に接近すると状態が維持できなくなり、鋭利な刃は空中で揺らぎながら液体に変化し、地面に飛散し赤黒い染みを作るだけに終わった。


 シェンメイは舌打ちすると、鋭い目付きで〈爬人〉を睨みつけた。その表情には焦りと怒りが混在していたが、冷静に次の行動に移る。


 彼女は足元に転がっていた金属製の盾を見つけると、その縁を蹴ってみせた。盾が宙に浮き上がった瞬間、彼女はそれを手に取り、盾を構えたまま全速力で〈爬人〉に向かって突進する。


 途中、地面に転がっていた兵士の死体から剣を拾い上げる。凛とした鋼の音が冷たい空気のなかで音を立て、緊張感が一層高まっていく。


 シェンメイの接近に気づくと、〈爬人〉は悠然と上半身だけを彼女に向けて捻る。その瞳は冷たく光り、挑発的な余裕さえ感じさせる。けれど、その冷静さの裏でとぐろを巻いていた長い尾がするすると動くのが見えた。


 つぎの瞬間、太い尾が目にも留まらない速度で振り抜かれる。風を切る音が耳元に聞こえたかと思うと、シェンメイは視界の端で尾が迫ってくるのを捉えた。


 すぐに立ち止まると、腰を落として盾を構える。その衝撃は凄まじく、金属製の盾が衝撃で凹み、悲鳴のような音を立てるほどだった。盾が衝撃を吸収しきれず、彼女の身体は宙を舞うように吹き飛ばされ、そのまま無防備に天幕に突っ込んでいく。


 厚手の布が裂ける音が聞こえ、彼女は天幕の中を転がっていく。木箱やら何やらに身体を打ち付けるたびに、鋭い痛みが彼女の全身を走り抜け、最終的に支柱の根元に激突してようやく止まった。息を整える間もなく彼女は立ち上がり、すぐさま体勢を立て直そうとしたが、その表情は苦痛に歪んでいた。


 アリエルは〈爬人〉の冷ややかな視線を感じ取っていたが、〈爬人〉はその場から動こうとしなかった。ただ長い舌をゆっくりと出し入れしながら、まるで獲物の動きを観察する捕食者のように立ち尽くしている。


 余裕のあらわれなのか、それとも何か別の理由があるのかもしれない。いずれにしろ、この膠着状態を打破するには接近して攻撃を仕掛けるしかない。アリエルは足元に転がる兵士たちの死体をちらりと見たあと、ゆっくりと瞼を閉じた。


 その瞬間、異様な気配が周囲の空気を換えていく。どこからともなく血を凍らせるような冷たい風が吹くようになり、それは辺りに漂う血の臭いを一層濃くしていく。死の臭いだ。それは空気そのものを重くし、その場にいる者に言い知れない恐怖を与えていく。


 アリエルがゆっくりと目を開くと、その瞳は深紅に明滅していた。けれど青年が見る世界は、その鮮やかな色彩とは対照的に、黒と白の陰影に支配されていた。


 まるで現実から色彩が奪われたかのように、無彩色の世界に変容していた。けれど生命あるモノは――たとえば〈爬人〉やシェンメイは、白い輝きに包まれていて、この暗黒の世界の中で異様なまでに際立っていた。


 そしてアリエルの血に宿る力に応じるように、足元に転がる兵士たちの死体から黒い(もや)が次々と立ち昇るのが見えた。その黒い靄は半透明で、輪郭が揺らぎ、どこか人間を思わせる不確かな形状に変化していく。まるで幽霊のように揺らぐそれらの黒い影は、漆黒の剣を静かに構え、〈爬人〉と対峙する。


 それは〈死者の影〉――青年の血に宿る異能によって生み出された戦士たちだった。その黒い影は足音を立てず、ただアリエルの意志に従って動く人形のように規律正しく整列していく。まるで青年の殺気に共鳴しているかのように剣を握り締め、いつでも攻撃が仕掛けられる構えを取る。


 アリエルも深紅に明滅する瞳を〈爬人〉に向けると、自らも剣を構えた。鋸歯状の刃は赤黒い輝きを放ち、〈死者の影〉が手にする剣と共鳴するかのような鋭い音を立てている。冷気を帯びた風が彼らの足元で渦巻き、異様な緊張感が場を包み込んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ