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森では多くの木材が手に入るからなのか、部族の人々が生活する家は高床式の木造小屋が一般的だった。村には長屋や二階建ての建物も見られたが、基本的な造りは同じで、大小様々な石や枝、葦などの植物を土に混ぜた厚い壁、そして屋根には芝土を用いるといった工法で建てられていた。
石を粗雑に載せて組上げた石垣を土台にした屋敷は、一見すれば森と同化しそうな植物に覆われた粗末な家に見えるが、木造の家よりも寒さに強い特徴がある。
豹人の姉妹が女性たちと暮らす二階建ての屋敷も芝土と植物に覆われていて、換気のための煙突や木製の窓枠とガラス窓がなければ、そこに家があることにも気がつかないほどだった。しかし現在、その屋敷は高い石壁で周囲をぐるりと囲まれ、川からやってくる水棲生物を監視するための物見櫓まで用意されていて、アリエルを驚かせることになった。
どうやらその石壁は、奇異の目に晒されていたクラウディアたちの身を守るために、ノノとリリが呪術を使い造り出した壁のようだ。アリエルは知らなかったが、ふたりは土の操作にも長けているようだった。やはり豹人の呪術師と呼ばれるだけあって、規格外の能力を持っているのだろう。
屋敷の外に用意された貯蔵庫や厠の側に立つ物見櫓も、しっかりした木材と麻縄で造られていたが、それ以外にも地面から伸びる太い植物が絡みついているのが確認できた。人間の間で植物を自在に操る呪術師の噂は聞かないので、それは豹人たちだけが使用できる特別な術なのかもしれない。いずれにしろ、ノノとリリは屋敷に侵入者を近づけないように周囲を要塞化しているようだ。
しかしそれは賢明な判断だった。聖地で保護した女性たちは、部族の野暮ったい女性たちにない魅力があり、また優秀な治癒士でもあった。彼女たちの秘密が外部の人間に知られてしまったら、貴重な能力者である治癒士を狙って、他部族が誘拐を目的とした攻撃を仕掛けてくるかもしれない。なにより、龍の幼生を保護していることを忘れてはいけない。あの子の存在は、なによりも優先すべき問題だった。
また村は森から接近してくる驚異に対して万全な備えがあるように見えたが、川からやってくる危険な水棲生物に対して準備ができていなかった。密林に潜む獣ほどではないが、川からやってくる生物の被害もあとを断たない。だから物見櫓を用意したのは正解だった。むしろそれは彼女たちを保護する責任を負うアリエルが気づくべき問題点だった。
事前に念話で連絡していたからなのか、屋敷にやってきたアリエルとラファを彼女たちは温かく迎えてくれた。ふたりが身体を温める効果のある甘いお茶を飲んでいる間、旅の疲れを取り身体を清めるため、豹人の姉妹は呪術で温水を用意してくれた。屋敷の側には川が流れているので、水を贅沢に使用することができたのだ。
ふたりは屋敷を出て芝土で覆われた小屋に入り、身体を清潔にしたあと、木材で組まれた浴槽に肩まで浸かった。部族の間で身体を清潔に保つことは一般的な習慣で、手や顔を洗い、泥や垢を落とすことは健康のために重要なことだと信じられていた。
けれど大きな浴槽があり全身浴ができるのは限られた人々だけだった。水源の乏しい地域で生活する人々や呪術によって水が得られない者、また貧しい人々の多くは手足を洗うだけで精一杯だった。
しかしそれでも人々が入浴の習慣を失わなかったのは、森という過酷な環境で生活していたおかげなのかもしれない。不衛生な生活を続ける人々が病になり、命を落としてしまうと身をもって知っていたのだ。だから子どものうちに身体を清潔に保つことの大切さを学ぶことになる。
入浴を終えたふたりには清潔な衣類が用意された。羊毛の下着と手触りのいい衣類は、それまで粗布の黒装束しか身につけてこなかったアリエルにとって、とても上等なモノに感じられた。と同時に、彼女たちが上等な衣類を手に入れられたことに疑問を感じた。彼は神殿で手に入れていた装飾品などを資金に変えて、生活費としてノノたちに渡していたが、それは贅沢な暮らしができるほどの金額ではなかった。
だからその上等な衣類を見てアリエルは資金の出所が心配になった。村の人々に騙されて、危険な仕事に手を出しているのではないのかと。しかし心配する必要はなかった。
ノノとリリは、クラウディアたちの助けを借りながら、切り傷を治す効果のある護符や、簡単な虫除けになる護符を作製して市場で販売しているようだ。そこで得た資金を生活費に当て、それなりに快適な暮らしを送ることができていた。
そこでアリエルは、豹人の姉妹が屋敷に手を加えた理由を理解した。豹人が呪術に長けていることは一般的に知られていたし、彼女たちは自作の護符を販売して、それなりの生活を送ることができていた。そしてそれは野蛮な者たちの興味を引くには充分な理由になった。だからこそ警戒する必要があったのだろう。
しかし森の神々の加護なのか、今のところ彼女たちに目立った被害はないとのことだった。ウアセル・フォレリが村を守る戦士たちに口添えしてくれたことも関係しているのだろう。とにかく、彼女たちの身の危険を心配せずにいられることは幸運なことだった。
あらためて屋敷内に案内されたアリエルとラファは、室内の快適さに驚いた。空気を暖める効果のある護符が使用されていて、広間の中央に炉が設けられていたからなのかもしれないが、外の寒さが嘘のように室内は暖かかった。
そして物置のように雑多な物で溢れていた屋敷は綺麗に片付いていて、アリエルが想像していたよりもずっと広い空間ができていた。実際のところ、その屋敷はウアセル・フォレリが物置のように使用していて、アリエルもその屋敷で人が生活しているところを見たことがなかった。
広々とした室内の壁際には太刀や斧、弓などが立て掛けられ、衣装棚や生活のための細々とした家財道具が置かれ、その上には板が設置されていた。短い梯子を使い上がると毛布や毛皮が敷かれていて、女性たちの寝床が用意されていることが確認できた。基本的に仕切りがなく、彼女たちは同じ空間で生活するようになっていた。
また換気のための窓や煙突の周囲には護符が貼られている。それらは虫除けの効果のあるモノや、彼女たちの声が外に漏れないために音を制御している札、そして侵入者を感知した際に甲高い音を鳴らして警告する護符も貼られているのが見えた。防犯対策に抜かりはないようだ。
屋敷の二階――というより、屋根裏とも呼べる空間は龍の幼生のための場所になっていて、赤子を包み込むようにやわらかな毛布が敷かれ、屋根に設置された窓から暖かい日の光が射し込むようになっていた。ずっと神殿の地下に監禁されていた龍の子を想い、彼女たちが特別な場所を用意してあげたのだろう。
その龍の子はすっかり元気になっていて、あちこち動き回るようになっていた。アリエルたちが炉を囲んで夕食をいただいていると、時折、屋根裏から龍の子が覗き込んでいる様子が確認できた。けれど人見知りするのか、アリエルとラファの前に姿を見せようとはしなかった。
今ではクラウディアたちだけでなくノノとリリにも慣れていて、ふたりの肩に乗ったり、耳で遊んだりしているらしい。リリは迷惑していると話していたけど、念話を介して嬉しそうな感情が伝わってきていたので、龍の子に懐かれて満更でもないのだろう。
その日の夜、アリエルとラファは炉の側で眠ることになった。森の脅威に怯えることなく、久しぶりにゆっくり身体を休められる夜になった。