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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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36〈爬人〉

 アリエルは、司令官の天幕までの距離を計りながら、見張りに立つ兵士たちの動きを観察していく。喧騒に紛れつつも、目立たないよう慎重に行動する。周囲にある天幕の影を利用して接近する途中、衛兵の位置を正確に把握するため、呪術師に気取られないよう〈気配察知〉を使用する。


 兵士の数を把握したあと、司令官がいると思われる天幕に視線を向ける。すると厚い布地が透けるようにして、異様な輪郭が浮かび上がる。人の姿とは明らかに異なり、広い肩幅と蛇のように()じれた胴体が確認できる。


 どうやら司令官は亜人種のようだ。その膨大な呪素(じゅそ)と威圧感に、アリエルは一瞬身構えてしまうが、深呼吸して冷静さを取り戻す。まずは周囲にいる兵士を片付ける、それが最優先だ。目的を再確認したあと、近くで待機していたシェンメイに合図を送る。


 アリエルは敵兵に変装していたが、不自然な行動は疑惑を招くだろう。斥候に完璧に〈擬態〉していたシェンメイは、見張りに立つ衛兵たちに声をかけ、アリエルに注意が向かないように敵の視線を引きつけていた。その間、アリエルは闇に溶け込むように動いて、人目につかない場所に立っていた見張りの背後に近づいていく。


 最初の標的は、篝火(かがりび)の近くに立っていた若い兵士だった。〈消音〉で足音を消していたからなのか、彼の耳に入るのは遠くの騒音と口論する傭兵たちの怒鳴り声だけだった。兵士は背後から羽交い絞めにされ、短刀が喉に突き刺さる瞬間まで、アリエルの接近に気がつかなかった。そのまま兵士の身体を引き()って近くの天幕に押し込む。


 二人目の兵士は天幕のそばで警戒していたが、シェンメイが別の兵士に声を掛けると、小便しに行くと言って持ち場を離れた。アリエルはそのあとを追うと、倒した兵士から奪っていた槍を使い、首の付け根に穂先を突き刺した。兵士の目が驚愕に見開かれるも、その声が発されることはなかった。


 始末した兵士の死体は、便所代わりに使用されていた深い堀のなかに落とした。槍に付着していた血液を念入りに拭き取ったあと、目立たないように〈収納空間〉に放り込んで行動を再開する。


 数人の衛兵を排除した段階で、シェンメイがこちらに合図を送るのが見えた。兵士たちの注意を引くのも限界なのだろう。ある程度の数の兵士を始末していたので、騒ぎになることなく、残りの兵士たちも一気に片付けられるだろう。アリエルはその瞬間を見逃さず、彼女の動きに合わせて一気に残りの兵士たちを始末していく。


 シャンメイの幻惑術が発動すると同時に、彼らの視界は(かす)み、アリエルが次々と短刀を振るう。数秒のうちに、地面には動かなくなった死体が散乱することになった。


 緊張感のある戦闘が終わり、死体をどうするべきか思案していると、天幕の奥から鈍い布擦れの音が聞こえた。細心の注意を払い行動したつもりだったが、気づかれてしまったようだ。つぎの瞬間、天幕の中から司令官が姿をあらわす。


 その異様な姿に、アリエルは思わず顔をしかめる。上半身は人間と酷似していて、左右対称の腕を持っていたが、その肌を覆うのは滑らかな(うろこ)だった。象牙色を基調とした鱗は篝火の炎を受けて微かに輝き、光の加減で薄緑色の光沢が波のように流れているのが見えた。その中に点在する赤い斑模様が、まるで警告のように不規則に散りばめられていた。


 顔立ちはほぼ人間の形状を保っているものの、その眼は爬虫類特有の縦長の瞳孔を持ち、冷徹で感情の読めない鋭さを宿していた。鼻は低く潰れ、口元は人間のそれよりも少し広がりを持っている。薄く引き締まった唇が微かに動くたび、口内の鋭い牙が見えた。


 下半身は完全に大蛇そのものだ。地面を這う尾は異様な太さを持ち、硬質な鱗が幾重にも重なり合い、圧倒的な存在感を持っていた。その長い尾は移動だけではなく、戦闘の際には敵を締め上げ、骨を砕くための凶器にもなるのかもしれない。動くたびに地面の砂や小石が巻き上げられるほどの重厚感を持つ。


 上半身には実用的で堅牢な革鎧を身につけている。その鎧は無駄な装飾を排した機能性重視の装備だったが、よく見ると爬虫類を思わせる精巧な浮き彫りが刻まれている。鱗模様の浮き彫りは、彼の出自や一族の文化的な誇りを象徴しているかのようだ。


 その鎧の肩部にはわずかに隆起した飾りがあり、陣地にいる兵士や傭兵たちに彼が特別な存在であることを示していた。


 司令官は尾をゆっくりと引きずりながら、周囲を冷ややかな目で見渡す。口元が微かに歪み、何かを感じ取ったのか、その瞳孔は鋭く収縮した。彼の動きのひとつひとつが、圧倒的な威圧感と潜在的な脅威を放っていた。


 アリエルは実物を見たことはなかったが、書物でその種族について学んだことがあった。蛇に似た姿をしているが、蜥蜴人に連なる〈爬人(はじん)〉と呼ばれる種族で、冷静沈着で計算高い性格を持ち、ほとんど感情を表に出さないという。そのため、同盟を組む者たちでさえ油断ならない存在として警戒されていたようだ。


 自然界そのものや〝龍〟を崇拝する宗教的な側面を持ち、古代から続く儀式を大切にしている。一部の爬人は〈龍神〉の巫女として神殿で過ごし、その存在は部族内でも神聖視されているという。神秘的な儀式は密林の奥深くや地下の遺跡で行われるため、外部の者が目にすることは滅多にない。


 砦に残された古い書物には、彼らが大地と水の調和を大切にして生きる一方、戦士として残忍な側面で敵を打ち倒す姿が描かれていた。


 彼らの社会は明確なに基づいていて、知識と狡猾さが強みとみなされている。長老や呪術師たちは部族の指導者として古の呪術や予言の言葉を操り、部族全体の運命を導くといわれている。その一方で、戦士階級は優れた剣術と俊敏な動きで敵を圧倒する。また長い尾で締め上げられた者は、反撃する間もなく息絶えるという。


 しかし、かつてその力を恐れた他種族の連合による大規模な戦争によって、爬人の部族はほぼ壊滅状態に追い込まれていた。それ以来、彼らは密林や遺跡の地下深くに姿を隠し、表舞台から消えたとされていた。傭兵や探索者が彼らの居住地を探し出し、古代の知識や遺物を手に入れようとしたが、生きて戻った者はほとんどいなかったという。


 天幕の外で目にしたその司令官の姿は、まさに書物の記述そのものだった。光沢を放つ鱗、鋭い目つき、そしてその身にまとう冷徹さ。彼の動きのひとつひとつに、〈爬人〉が持つとされる威厳と力を感じ取ることができた。


 アリエルの心には、得体の知れない種族に対する好奇心の入り混じった感情が渦巻いていた。しかし、どうして他部族との関わりを嫌う〈爬人〉が首長の軍に所属しているのだろうか?


 爬人は他部族や他種族との関わりを避けることで知られていた。しかしその掟に反して、彼は首長の軍に身を置いていた。それはどうしてなのだろうか?


 そこで青年は〈クァルムの子ら〉のことを思い出していた。あの種族も、長いこと存在そのものが知られていなかったが、どういうわけか戦場に姿を見せていた。


 辺境で活動する守人が知らないような何かが――部族社会の中央で、あるいは権威を持つ者たちの間で、思惑が入り乱れているのかもしれない。そしてそれは〈境界の守人〉に対する襲撃にも関係しているのだろう。


 ふと周囲に目を向けると、無数の天幕が闇の中でゆらめいて、篝火の炎が不規則に踊っていることに気づいた。まるでこの場所そのものが、人間の理解を超えた暗い力に囚われているかのようだ。アリエルの手は無意識に腰の短刀に伸びる。〈爬人〉でもある司令官の周囲で大気が揺らめくのが見えたのは、ちょうどそのときだった。


 呪術を使うつもりなのだろう。攻撃に備えて身構えると、金属を打ち合わせたような甲高い音とともに異様な呪力が展開され広がっていく。その影響なのか、シェンメイの〈擬態〉は解除され、アリエルが変装のために使用していた術も霧散してしまう。一時的に呪術を無力化する結界を展開したのかもしれない。

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