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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 後編
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35 〈子どもたち〉


 アリエルたちは処刑の場から離れると、口を開くことなく足早に敵陣の奥深くへと歩を進めた。その沈黙は、先ほど目にした処刑に対する感情を隠すためでもあり、周囲の兵士たちに不審がられないためでもあった。


 シェンメイはふと背後を振り返ったが、すぐに視線を前に戻して唇を固く引き結ぶ。その目には微かな怒りと憎悪が浮かんでいるように見えた。姉妹のため、その命を犠牲にまでして復讐に奔走していた彼女にとって、それは許しがたい光景だったのかもしれない。


 処刑の喧騒から離れると、敵陣は異様な静けさに包まれていく。見張り櫓や歩哨こそ配置されているものの、その動きには活力が欠けている。疲れた様子の兵士たちは、刀や槍を手にしたまま遠くを見つめ、傭兵たちは焚き火の周りに集まって口論している。


 守人による夜襲や森に棲む混沌の化け物の襲撃で疲弊しているのか、どの顔にも緊張と疲労が張り付いている。時折聞こえる短い笑い声すら、皮肉めいて空々しい。


 やがて陣地の中心に近づくと、状況はさらに陰惨なものに変わっていく。あきらかに兵士や傭兵ではない部族民の死体が、濡れた地面のあちこちに転がっている。腐敗が進んだ若い女性の遺体は、腹部が大きく裂かれていて、その内臓には蛆虫が湧いている。


 頭部はかろうじて原形を留めているものの、眼球は潰れ、恐怖に引き()った口のなかでは黒い甲虫が(うごめ)いている。その近くの泥濘(でいねい)には、何かの獣の脚と思われるものと人間の指が無造作に放り出されていた。地面に散らばる内臓や肉片が、その光景に更なる不気味さを添えている。


 奥に進むにつれ、空気が重苦しく変化していくように感じられた。どこからともなく漂ってくるのは、熟した果実を尿で煮詰めたような不快な悪臭だ。鼻を刺すその悪臭に加え、煙たい臭いが混じり、口許(くちもと)を覆っているにも(かか)わらず喉に嫌な刺激を与える。


 やがて、どこかの部族から拉致されてきたであろう子どもたちの姿が目に入った。やせ細った身体、無表情で焦点の合わない目。薄汚れた衣服はボロ布同然で、身体のあちこちに擦り傷が見られた。子どもたちは天幕や焚き火のそばで何かを無心で噛んでいたが、それが何なのかを確認する気にはなれなかった。


 すぐ近くの天幕の中を覗くと、さらに異様な光景が広がっていた。煙の立ち込めるその空間には、幼い子どもたちと一緒に半裸の兵士たちが横たわりながら幻覚作用のある植物で作られた葉巻を吸っていた。乾燥させた葉を粉末状にしたものを鼻から吸引している者もいる。


 その顔には陶酔に満ちた笑みが浮かび、まるで現実から逃避しているかのようだった。天幕の隅には薬草や水薬の瓶が乱雑に置かれていて、いくつかは割れていて毛皮に染みを作っている。その瓶の破片で怪我をしたと思われる全裸の少女は、虚ろな表情で足の裏にできた傷を見つめていた。


 周囲にいる子どもたちも、ぼんやりとした目付きで焚き火の炎を見つめたまま動かない。彼らの薄汚れた顔には感情の影すら見えず、擦り切れた布きれをまとった小さな身体は微かに震えている。けれどその胸の内に潜むものは、単なる空虚さ以上のものだった。


 何か大切なモノを奪われ、それでも誰かに従わざるを得ない恐怖と諦めが、深い影となって彼らの心を支配しているように見えた。この子どもたちの中には、襲撃者たちによって徴発され、戦士として戦わされている者もいるのだろう。


 辺境の部族間の争いでは子どもを麻薬漬けにし、彼らの感覚や理性を麻痺させたうえで快楽や陶酔感に依存させ、組織に忠誠を誓わせるという手法が今も使われていると聞いたことがある。けれど統率の取れた軍隊を擁する首長が、同様の手段を用いているとは思いもしなかった。それとも、現場の独断で行われているのだろうか?


 兵士たちが横たわる天幕には、小さな木箱が乱雑に置かれている。その中には乾燥した葉や不気味な色の液体が入った小瓶が詰められている。何人かの子どもが、その箱の中身を取り出し、焚き火の熱で温めた瓶の中に何かを混ぜて飲んでいる姿が見えた。彼らの表情はほとんど変わらず、感情のない人形のようにも見えた。


 もしかしたら先ほど処刑されていた部族民は、この子どもたちの家族や知り合いだったのかもしれない。そう考えると、胸の奥が締め付けられるような嫌な感覚がした。協力を拒んだ部族民は見せしめとして惨たらしく処刑されたのだろう。そして残された子どもたちは、彼らの命を奪った者たちの支配下で、戦士として作り変えられていく。


 子どもたちはきっと、死ぬまで戦わされる運命にある。彼らの記憶は歪められ、かつて愛した家族や友人を殺した者たちを――姉妹を凌辱した者たちを、新たな〝家族〟と教えられ、彼らのために命を犠牲にするように仕向けられる。自らの意思で選んだわけでもなく、子どもたちは他人に人生を支配されたまま、その最期を迎えることになる。


 アリエルは胸の中の不快感を必死に抑え込み、ゆっくりとその場をあとにした。シェンメイも不快感に顔をしかめていたが、その足取りに迷いはなく、あくまで暗殺すべき標的を見据えていた。


 アリエルが首長の指示で汚れ仕事をしているとき、これよりも悲惨な光景を目にしていた。そしておそらく、知らず知らずのうちに、そうした行為に加担していた。だからこそ善人のフリをして、正義感を振りかざす気にもなれなかったが、それでも――この場所で行われていることの何もかもが気に入らなかった。


 すべてを破壊したいという衝動と、自らの感情すら殺しかねない怒りが胸のなかで根を張っていくような、ひどく嫌な感覚に支配されていた。けれど、ここで感情を露わにすることはできない。敵陣のど真ん中で冷静さを失うわけにはいかない。


 どこからともなく生きたまま炎に包まれ、処刑されていく部族民の悲痛な叫び声が聞こえてくると、ふと頭の片隅に過去の記憶がよみがえった。


 首長の仕事で派遣されたある部族民の村でのことだった。薄暗い時刻、地面に掘られた大きな穴の縁に男女が膝をつき、一列に並ばされていた。彼らは恐怖に震え、すすり泣く声が途切れ途切れに聞こえていた。けれどそれも長くは続かない、部隊長の合図とともに無慈悲な戦士たちが首を()ねたからだ。


 鋭い刃が肉を切り裂き、骨を断つ音が耳に残り、首を失った男女が力なく穴の中に崩れ落ちていく。彼らは敵対的な部族民であり、抹殺されるべき存在だと信じ込まされていたので、そのときには何も感じなかった。組織に与えられた任務を疑問なく遂行するのが、正しいことだと本気で信じていた。


 けれど今になって考えると、もしかしたら自分も子どもたちのように洗脳されていたのかもしれない。組織のためと信じて、何の疑問も抱かずに悪事に手を染めてきた。その〝正義〟の行いは、本当に正しいものだったのだろうか。


 聖地〈霞山〉を攻撃したときのことも思い出される。なぜあれほど大規模な攻撃が必要だったのだろうか。誰が、何のために命じたのか。その理由は記憶の中でぼんやりとしていた。けれど、あのときの戦いは奇妙なほど鮮明に思い出せる。敵の怒り、恐怖、諦め――その一瞬一瞬の感情が、焼き付いたように頭に残っている。


「ねぇ」

 袖を軽く引かれると、アリエルは我に返った。シェンメイは険しい表情で何かを見つめている。その視線の先には、標的がいると思われる天幕が張られていた。周囲には見張りの兵士が数名配置されている。どうやら目的の場所についたようだ。


 アリエルは深呼吸したあと、意識を切り替えた。今は目の前の任務に集中しなければならない。罪悪感や後悔に囚われている暇はない。目標は明確だ――標的を排除し、ここを脱出する。それだけ分かっていれば充分だ。

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