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塔の浄化作業が終わると、頂上に設置された祠を守るため、建設隊による補修工事が行われることになった。職人たちは半ば崩れかけた螺旋階段を使い、必要な資材を慎重に、そして手際よく運び込んでいく。梁を支える柱がいくつか欠けていることを確認すると、建設隊の長でもある猫人の〈アグ・ザリ〉の指示によって必要な作業が行われる。
ザリは長い尾を揺らしながら、祠を保護するための新たな支柱と補強材を用意させ、その小柄な体躯を感じさせない力強い声で強面の職人たちに指示を出し、かれらの士気を鼓舞していく。
「いいか、野郎ども! この塔が崩れちまえば、俺たちを守ってくれる結界は機能しなくなる。そうなったら、俺たちがどうなるのかは言わなくても分かっているな。だったら、やることはひとつだ。力を合わせて、さっさと塔を修復するんだよ! いいな、時間は待ってくれないぞ!」
ザリは部下に指示を飛ばしながら、鋭い目で進行状況を逐一確認していく。
建設隊の中には地形を操作する呪術に長けた者たちがいる。彼らは塔の基礎部分に呪力を注ぎ込み、わずかに傾いていた塔を調整し、崩壊していた瓦礫を新たな壁材として再利用しながら塔の基礎を補強していく。
職人たちの呪力とモグラを思わせる〈呪霊〉によって瓦礫の一部が持ち上がり、粘土のように変化しながら接合していく様子は芸術のようだった。塔が徐々に補修されていく光景は、砦内にいる者たちに確かな希望を抱かせていく。
塔の頂上部分の再構築も難航していたが、職人たちは知恵を絞りながら次々と問題を解決していった。尖塔を修復するさいには、耐久性を高めるため呪術で硬化処理が施されていく。塔に対する攻撃も想定していて、瓦礫で形作られた祠を保護するため耐震の仕組みも取り入れられることになった。
作業中、ザリはふと祠に眼を向ける。すると浄化された空間が微かな光を放っていることに気がついた。周囲の職人たちもソレに気がつくと、自分たちの作業がどれほどの意味を持つのか、その責任の重さを改めて感じることになった。
防壁の修復がある程度進んでいたことで、塔の補修に割ける人手が増えたのも幸いだった。荒れ果てた塔は徐々にその姿を取り戻し、砦全体に新たな活力が流れ込むのを感じさせた。どんな苦難が待ち受けていようとも、祠が設置された塔は存続し続けなければならない――その意識が、作業に参加する全員の心に刻まれていた。
やがて石に近きもの〈クルフィン〉の手で、〈聖女の干し首〉に新たな〈神々の言葉〉が刻まれた。硬質な金の光を放つ神聖な文字が、その表面を帯のように包み込み、まるで干し首が新たな命を宿したかのように見えた。武具師は最後に祈りを捧げるように手を合わせたあと、ソレをアリエルに手渡した。
『これで準備は整った』
口から煙を吐き出す武具師の表情は、どこか達成感に満ちていた。
アリエルは首の重さと冷たさを感じながら、照月來凪と一緒に塔に向かった。空気は冷たく張り詰めていたが、建設隊が設置した篝火や蝋燭の灯りがあるため、暗く冷たい廃墟のような雰囲気は感じられなかった。ふたりは〈聖女の干し首〉を慎重に祠の中央に設置し、結界の効果を発動するため呪素を準備する。
膨大な呪素が必要になるため、この作業にはアリエルだけでなく、照月來凪の助けが必要だった。
ふたりは〈聖女の干し首〉に手をかざすと、呪素を流し込むため深く息を吸い込んだ。心臓が脈打つたびに体内から呪素が溢れ出し、それが干し首に触れると、まるで吸い込まれるようにして浸透していくのが分かった。干し首は淡い光を放ち始め、浄化された空間と呪素によって変化していく。
呪素の流入に応じて、干し首は次第に神聖な力を取り戻していく。灰色がかった乾燥した長い髪は、ゆっくりと金色の輝きを帯び始め、その黄金の輝きが干し首全体に広がっていくのが見て取れた。
生命の息吹を感じさせるその変化は、かつての聖女の美しさを思わせるものだった。ふたりはその光景に圧倒されながらも、呪素の供給を続け、干し首が完全な神聖さを取り戻すための力を注ぎ込んでいく。
乾燥して黒ずんだ皮膚も、滑らかで傷ひとつない白い肌に変化していく。腐敗し、凍りついていた時間が再び動き出したかのように、その姿が鮮やかに蘇っていく。唇には薄い色素が戻り、閉ざされていた瞼が微かに動いたようにも見えたが、さすがにソレは錯覚なのだろう。
干し首の能力に呼応するように、周囲に広がる空間が劇的な変化を見せた。塔だけでなく砦内に漂っていた微かな瘴気が霧散し、代わりに清浄で邪気を含まない空気が祠を中心にして広がっていく。
空間全体が穏やかで神聖な光に包まれ、邪悪な気配が完全に打ち消される。その結界の範囲が広がるたびに、砦全体が〈獣の森〉から溢れ出る瘴気からも保護されていくのが分かった。
「成功したみたいね」
照月來凪が静かに言葉を漏らす。
まだ表情が硬く緊張しているようだったが、その声からは安堵していることが伝わってくると同時に、神聖な光景に対する畏怖も混ざっているようだった。アリエルも深く息を吐き出し、干し首に宿った新たな力を確信する。この結界があれば、〈クァルムの子ら〉の侵入を防ぐことができるのかもしれない。
結界の発動を見届けたあと、アリエルは祠の周囲を軽く見回し、浄化の光が弱まることなく安定して広がっているか確認していく。干し首が設置された祠は、完全にその役目を果たしているようだった。どこからともなく吹き込む冷たい風を感じながら、彼は〈総帥の塔〉にいるルズィに結界の報告をしに行くことにした。
しかし青年の足取りは重い。膨大な呪素を消費したあとの倦怠感が全身に広がり、足が鉛のように感じられる。照月來凪とは、そこで別れることになった。どこかで彼女の助けを必要としている人がいるのだろう。
指令室の重厚な扉を押し開けると、そこでは数人の守人が地図を囲みながら話し合っている姿が見えた。険しい表情を見せていた〝影のベレグ〟は、アリエルの姿に気づくと一瞬だけ表情を和らげたが、すぐに気持ちを切り替えて討議に戻る。
「敵の動きが活発になっている。それを総攻撃の兆しと捉えていいのかは分からないが、斥候の数は増やしたほうがいいだろう」
ベレグの言葉にルズィはうなずくと、地図上に赤い駒をいくつが配置していく。それぞれが敵部隊の位置を示しているようだった。
アリエルが結界の完成を簡潔に報告すると、安堵の声が漏れた。だが状況が切迫しているのか、敵の動きを探るため、さらに斥候を派遣する計画を練り始めた。
アリエルもその任務に参加する意志を伝えたが、目に見えて疲労していたので、ルズィは許可せず代わりに休むよう厳命した。その言葉に青年は反論しようとしたが、疲労の重さを感じて、結局言葉を飲み込んだ。
「了解、少し休ませてもらうよ」
短く答えたあと、アリエルは居室として利用していた塔に向かうことにした。外の冷たい空気が肌に触れるたび、眠気に襲われて意識が薄れていくように感じられた。
軋む扉を押し開くと、寝台に豹人の姉妹が並んで横になっているのが見えた。薄暗い部屋の中でも、彼女たちの毛並みが柔らかな光を反射しているのが見える。姉妹ともに疲れ果てた様子で、静かな寝息を立てていた。その光景にアリエルは思わず眉をひそめた。
どうして自分の部屋にいるのだろうか。疑問が浮かんだが、それ以上考える気力もなかった。彼は黒衣を脱ぎ捨てると、そのまま寝台に向かう。そしてふたりを起こさないように気を使いながら、姉妹の間に身体を滑り込ませた。
彼女たちの温もりが伝わると、冷え切った身体がじんわりと癒されるようだった。心地よい眠気が一気に押し寄せ、アリエルは瞼を閉じた。姉妹の穏やかな寝息が耳元で聞こえるなか、彼はすぐに深い眠りに落ちていった。
 




