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早朝に出発して、まだ薄暗い森を移動すると、かつて人々が生活していた小規模な集落が見えてきた。荒廃した高床式の小屋が四軒、井戸を囲むようにして残されていた。屋根は芝土なのか、それとも植物に侵食されただけなのか分からなかったが、それは半分ほど崩壊していて、乾いた藁の寝床は小さなげっ歯類の棲み処になっていた。
この場所まで来れば、〈獣の森〉に生息する危険な生物に襲撃される危険性は減るだろう。しかし一行は足を止めることなく森を進み続けた。できれば今日中に村に到着したかったのだ。すでに目標よりもずっと早く村に近づいていたが、アリエルたちは守人であり、任務の遂行にかけられる時間が決まっていた。
夜の間に激しく降っていた雨は弱まっていて、糠雨に変わっている。その所為なのか、森には霧が立ち込め、鳥や昆虫の気配が感じられなかった。けれど獣の森を支配する邪悪で陰鬱な気配はしない。ここでは穏やかな時間が流れているようだ。
かれらはそのまま移動を続け、日が暮れるころ、ついに要塞集落を囲む防護壁が見えてくる場所までたどり着いた。壁は土塁と頑丈な木材が並べられたモノで、その高さは六メートルを優に超えていた。
危険な森の側にある村の防護壁としては不安になるような高さだったが、森を切り開いたときに入植者たちの身を守るために呪術師たちの手を借りて造られていて、深い窪地状の堀も用意されていて堅牢な防護壁になっていた。実際に、これまでも何度か混沌の生物の襲撃を受けていたが、大きな被害を出すことなく撃退することができていた。
〈黒川〉とも呼ばれる要塞集落は広い川幅のある水辺に面していて、村を囲む半円形の防護壁は大規模なモノだった。そこでは世話人の家族や、境界の砦で任務に就く守人たちの家族が生活していて、種族を問わず四百から五百ほどの人々が滞在していた。
主要な道路というには、あまりにも粗末な道に門がひとつ用意されていて、その先に行商人に同行する護衛が食事をしたり、身体を休めたりするための長屋が並んでいる。
大通りを進み集落の中心地に向かうと円形状の広場があり、集落を管理している責任者たちのための家が立っている。それぞれの小屋には小さな居間や広間、こじんまりした寝室などが備えられていて、広場の中央には森の神々を祀る二階建ての立派な建物も用意されていた。その建物の大広間では集会も行われ、村の人々が自由に出入りできるようになっていた。
また集落にはいくつかの区画があり、村を守る戦士たちのための長屋や訓練所、狩人たちの詰所、それに治癒士たちが滞在する診療所などがある。もちろん市場もあれば、職人たちの工房が連なる区画や、旅人や守人たちに娯楽を提供する酒場や娼館が立ち並ぶ通りも確認できる。
ちなみに聖地で保護した女性たちと豹人の姉妹が暮らす屋敷は、集落のはずれ、川に面した場所にあるため比較的静かな場所になっていた。
ウアセル・フォレリの隊商は空っぽの羊小屋と、最近になって完成したばかりの高い壁を見ながら、深い掘りに架けられていた橋を渡って門に近づく。両開きの大門のすぐ脇には戦士たちの詰所があり、門を警備する戦士たちは塩漬け肉を噛んで、洗っていない頭や身体を掻いたり、談笑したりして暇な時間をやり過ごしていた。
その村を守る戦士たちは、黒衣を着た守人の接近に困惑しているようだったが、慌てることなく責任者と連絡を取る。保安上の理由から村に滞在できる守人の人数が制限されているため、予定のない守人の訪れに驚いているのだろう。
重そうな両刃の斧を手にした数人の戦士がやってくるのが見えると、アリエルたちは警戒されないように最大限の注意を払う。かれらは世話人や守人の家族を守る役目を持った戦士で、砦の守人が敬意を払うべき対象だった。ここで揉め事を起こして恨みを持たれるようなことがあっては、組織運営に問題が生じるだろう。
その戦士たちの責任者を相手したのはウアセル・フォレリだった。彼は境界の砦から持参していた手紙を責任者に手渡し、護衛任務として同行した数名の守人が村に滞在することの許可を求めた。森の一大勢力でもある〈黒い人々〉の頼みを断れる者はいないので、それはある種の強制力を持った要求でもあった。
ウアセル・フォレリが責任者と話をしている間、アリエルたちは見知った戦士たちと情報交換を行う。どうやら村には傭兵団が来ているようだった。流れの傭兵がふらりと村にやってくることは珍しいことではないが、その傭兵の一団は豹人で構成されているようだ。
北部地域を支配する豹人は境界の守人とも交流があり、敵対的な立場になかったが、北部を離れる豹人の多くは種族の掟を破り追放された者や犯罪者の集まりであるため、敵対していなくとも警戒しなければいけない対象だった。
森で回収していた守人たちの装備は、村を守る戦士たちに一旦預けることになった。守人が大量の武器を持って村に入ることは許されていなかったし、荷車を引いて歩き回るわけにもいかなかった。それらの装備は砦から派遣された守人が回収してくれるだろう。
村に入る許可が与えられると、ルズィたちは戦士たちの情報に感謝して、太い丸太を使用してつくられた巨大な門を通って村に入った。入り口のすぐ近くにある駄獣のための柵のなかでは、手枷や足枷をつけた罪人の姿をみることができた。これから村の牢に入れられるのか、みすぼらしい格好の男たちは村の戦士たちに向かって口汚い悪態をついていた。
罪人は境界の砦の守人たちが引き取りに来るまでの間、この村で世話になるのだろう。野盗や殺人犯、強姦犯だと思われる男たちが鎖を引き摺りながらぞろぞろ歩く。片目のない者や指の欠けた者、ほとんどが身体の一部に障害を抱えた不具者の集まりだった。戦士のように鍛えられた大柄の人間もいたが、そのすべてが道徳心や名誉を持たない根っからの悪人に見えた。
そのなかの何人が厳しい訓練に耐えて守人になれるのかは分からなかったが、いずれ彼らのことを兄弟と呼ばなければいけないことを考えるだけで、アリエルはうんざりした気分になった。
すでに日は傾いていたが、大通りでは多くの人々の姿を見ることができた。辛い仕事に従事する肉体労働者や農作業用の荷車を引く男、駄獣を連れて歩く老人や、子どもを抱く若い女性、無邪気に遊ぶ子どもの姿を見ることもあった。その多くが疲れた顔をした人々だったが、酔っぱらった陽気な男女や、旅芸人の姿も見ることができた。
黒川は辺境にある村だったが〈黒い人々〉の行商人が頻繁にやってくる場所なので、それなりの物資が村で流通し、人の流れもある。境界の砦の物資が不足しないのも、〈黒い人々〉のおかげなのかもしれない。しかし旅人の多くは武器を所持しているため、村の治安が良いとは決して言えなかった。
村の広場までやってくると一行は解散することになった。今日はゆっくりと身体を休めて、後日、話し合いを行うことになったのだ。ウアセル・フォレリは〈黒の戦士〉を連れて村の有力者に会いに行き、ルズィとベレグは酒場に入っていった。彼らはそのまま娼館に向かうと思われたので、アリエルはラファと一緒に、豹人の姉妹に管理してもらっていた屋敷に行くことになった。
この村で守人は珍しい存在ではなかったが、旅人や行商人は黒衣を身につけたアリエルとラファに好奇の目を向けていた。もちろん、ふたりは気にもしなかった。他人にどう思われようと、人々を脅威から守っているという誇りを持っていた。そしてそれは誰にも変えることのできない事実だった。