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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 巨大な樹木(じゅもく)の太い根に覆われた溶岩洞窟で野営地の設営をしていると、パラパラと降っていた雨が本降りになるのが分かった。アリエルは樹木(じゅもく)の根に腰掛けて洞口から鱗状(うろこじょう)に広がる岩壁を眺めていたが、ひどく疲れていて何もする気が起きなかった。でもだからといってこの場所にいても、仲間たちの邪魔になるだけだと感じていた。


 ヤァカの世話をしていたラファに声を掛けたあと、アリエルはカビ臭い毛皮と照明装置として機能する古びた呪術器を手に取る。錆びついた金属の枠とガラスで造られた小さな手提(てさ)げ照明は頼りないが、読書をするのに最適だったので青年は好んで使用していた。


 その古びた呪術器を目線の高さまで持ち上げると、体内に流れる力をガラスの囲いのなかに流し込むように意識する。持ち手に触れている箇所から(わず)かな力が移動しているのを感じると、装置のなかに発光する小さな球体が出現するのが見えた。発光体はふわりと浮かんだまま、薄汚れたガラスを通して周囲を照らす。


 つねに綺麗な水で満たされる水筒のように、その照明装置も部族の間では一般的な呪術器だったが、その原理をしっている者はいない。金属の枠に神々の言葉が刻まれていることは知っていたが、ほんの(わず)かな力で生み出された発光体が霧散(むさん)せずに、ガラスの囲いのなかに浮かんでいられる理由を説明できる者はいなかった。


 そして炎や雷の存在を(うたが)う者がいないように、人々は自然現象としてソレを受けいれていた。


 アリエルは冷たい岩壁に手を当てながら照明装置で洞窟のなかを照らす。つねに風が流れ込んでいるのか、空気は冷たく()んでいて、吐き出される息が光のなかに白く浮かび上がるのが見えた。


 照明を動かすと、薄い板状の石柱が天井から垂れ下がっているのが見えた。それらの柱の間には小さな蝙蝠(こうもり)が潜んでいるのか、光を当てるとモゾモゾと身動きするのが見られた。


 ふと青年は頬に水気を感じて顔をあげた。天井は(すみ)を流し込んだような暗闇に沈み込んでいたので位置を特定することはできなかったが、どこかに地上とつながっている場所があるのかもしれない。しばらく暗い天井を眺めていると岩壁を(つた)い流れる水音と、水滴が岩を打つ(かす)かな音が聞こえてきた。


 快適に過ごせそうな場所を見つけると、青年は毛皮でしっかり(くる)まり、暗闇に耳を澄ませながら座る。照明に浮かび上がる真っ黒な岩壁は濡れていて、赤黒い血液を流しているようにも見えたが、それは暗闇が見せている(まぼろし)だろう。アリエルは暗闇から伸びる恐怖の手を振り払うと、聖地〈霞山(かすみやま)〉の神殿で回収していた神々の子供たちの特性について書かれた本を開いた。


 神々の血を継ぐものたちの優劣は、血統や血の濃さで決まる。と、書かれていた。神々の特徴や形質を、より多く受け継いでいる子孫が優れた能力を発揮することができると。また古の盟約により、遺伝的特徴が少なくとも能力を使用できる場合もあるとされている。しかし神々の血族として、血を色濃く受け継いでいる〝始祖〟と呼ばれるものたちより傑出した存在になることは(けっ)してないという。


 アリエルは自分自身の遠い祖先のことを思った。親を知らず、自分自身がどの種族に(ぞく)しているのかも知らなかった。もちろん、その血に宿る能力を与えてくれた存在のことも知らなかった。でも彼には、自分が始祖と呼ばれるものたちに限りなく近い存在という確信めいた気持ちがあった。


 それは思春期特有の(かたよ)った思想――たとえば、自分自身が特別であるという思い込みなどではなく、実際に能力を使用することで()られた確信だった。死者の怨念(おんねん)とも呼べるモノを世界に現出させることのできる能力者は、どの種族にも部族にも存在しない。それはアリエルだけの固有の能力だった。


 遠くのほうで地響きのような音が聞こえたかと思うと、アリエルは顔をあげたが、その音はすぐに聞こえなくなる。青年は照明装置の位置を直して、それから読書を再開した。


 神々の血を受け継ぐものならば、誰もが呪術を使用することができると書かれていた。炎を操り、風を操作し、水をつくりだせると。しかし始祖が使用する固有の奇跡や種族特有の能力は、呪術と異なり使用者が限られている。


 世界を燃やし尽くす黒炎を生み出し、暗黒に輝く星々を制御し、混沌の生物すらも操る能力。文字通り、世界の(ことわり)の外にある能力は始祖だけに与えられた特権だ。


 上古(じょうこ)とも呼ばれる最も古い時代、始祖たちはその強大な力を使い神々の(いくさ)に参加することもあれば、暗黒に広がる星々に己の王国を築いたとされている。しかし多くの神々が最果ての地に去ると、神々に近きものたちは傲慢になり、弱者を(しいた)げるようになる。


 原初の炎から神々の秘密が盗み出されたのも、その時代だと言われている。愚者(ぐしゃ)の神と呼ばれることになる知られざる小さき神は、力を持たない種族に神々の言葉を教え、そして言葉に宿る力の使い方を教えた。のちに小さな神は捕らわれ、()ちることのない石の身体(からだ)を与えられ、永遠の責め苦を――残酷で目を覆いたくなるような拷問を与えられることになる。


 アリエルはいくつかの書物で呪術器の誕生秘話について読んだことがあったが、神話を(から)めた物語を読むのは初めてだった。だからなのだろう、本の内容に没頭していた青年はラファが近づいてくることにまるで気がついていなかった。


「また神々の子供たちのことを勉強しているのですか?」

 アリエルが顔をあげると、松明(たいまつ)を手にしたラファが立っているのが見えた。炎の揺らめきに目を(しばたた)かせたあと、少年がとなりに座れる空間をつくる。ラファは壁の亀裂に松明の持ち手をさし込んで固定したあと、アリエルのとなりにそろりと座った。


「神々の奇跡を操る始祖に興味があるんだ」

 アリエルの言葉に少年は首をかしげる。

「でも始祖と呼ばれる人々の多くは、その存在が秘匿されていると聞きました」

「そうだな。だからこうやって書物でかれらのことを学ぼうとしているんだ。ラファは興味がないのか?」


 少年はじっとアリエルの顔をみつめたあと、はにかんだような表情をみせた。

「僕は読書をするより、身体(からだ)を動かすことのほうが好きなんです」

「そうみたいだな」

 アリエルが苦笑して本の革表紙に手をのせると、少年は恥ずかしそうに(うつむ)く。


「……僕の家族は、それなりに有名な呪術師の家系だったんです」

 ラファの言葉に青年はうなずいた。

「らしいな。だから訓練所で小さな戦士が兄弟たちを圧倒しているのを見て、すごく驚いたことを今でも(おぼ)えてるよ」


「残念ながら、僕には呪術の才能がなかったんです。だけど優秀な師がいて、健康で丈夫な身体(からだ)がありました」


 森で暮らす人々は、種族を問わず呪術を操る力が(そな)わっていると言われているが、それを呪術として体外(たいがい)に放出するための能力には個人差があり、ある程度の才能や修練が必要とされている。


「ラファが名家の出身だってことは知ってたよ、砦でも噂になっていたからな。でもどうして名家の子どもが砦に?」

 少年はアリエルの言葉にうなずいたあと、照明装置のなかで浮かんでいる発光体を見つめながら、とても大切な秘密を打ち明けるように教えてくれた。


 少年は呪術で名を馳せた名家に生まれたが呪術の才能がなかった。時に神々は気まぐれで、それは森でよく聞く話だったが、少年の父親は納得がいかなかった。だから優秀な師範をつけ、少年のなかに眠っている能力を目覚めさせようとした。しかしついにその日がやってくることはなかった。父親は少年を役立たずと呼び、無視するようになった。


 けれど少年には、戦士として、そして呪術師としても優れた叔母がいた。彼女は少年の才能に気がつき、体術や剣術の稽古をつけてくれるようになった。家族のなかで少年を愛していたのは、彼女だけだったのかもしれない。けれどその叔母が(いくさ)で死んでしまうと、家族のなかで少年の相手をする者はひとりもいなくなる。


「叔母が亡くなってからは、ひとりで過ごす時間が増えました。僕は毎日、叔母に稽古をつけてもらった森に行って風景を眺めて過ごしました。ときには叔母が好きだった大樹(たいじゅ)の枝に座って夕陽を眺めたりもしました」


 少年は今にも泣き出してしまいそうな顔で言った。

「時々、あの頃を思い出すことがあるんです。順調だったはずの人生が、些細(ささい)なことでダメになるって学んだ日のことを……。そういうときには、悲しみや怒り、懐かしさ、それから少しの幸福感と安らぎを一度に感じるんです」


「ラファの叔母は素晴らしい人だったんだな」

 アリエルの言葉に少年はうなずく。

「叔母は……きっと誰よりも優れた森の戦士だったんです。だから森の神々は彼女を連れて行ってしまったんです……」


 彼女が亡くなると、ほどなくして少年は家族に見捨てられ、そして辺境の砦に送られた。それは森でよく聞く話だった。子どもたちにとって残酷で物悲しい話だ。


 少年の話が終わると、ふたりは洞窟の暗闇から聞こえてくる水滴の音に耳を澄ませた。アリエルはその静かな世界のなかに、ひとり夕陽を見つめる少年の背中を見たような気がした。あの少年は、今も孤独のなかにいるのだろうか。


 アリエルは立ち上がると、少年に向かって手を伸ばした。

「行くぞ、ラファ。ウアセルが心配して黒の戦士を送ってくる前に野営地に戻ろう」

 少年は無邪気な笑みを浮かべると、アリエルの手をそっと握った。

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