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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 守人の死体から回収していた太刀や貴重な装備を荷車に放り込みながら、ルズィは泥濘(でいねい)に横たわる地走りの死骸に視線を向ける。邪悪な呪術の影響なのか、その肉体は損傷した箇所から肉や内臓がドロドロに腐り落ちていて、鼻を突く悪臭がたちこめていた。


「襲ってきた混沌の化け物はそいつだけだったのか?」

「ああ、森の神々に感謝すべきなのかもしれないな」


 想像していたよりも体力を消耗(しょうもう)していたアリエルは適当に返事をしたあと、雨に濡れて重く垂れ下がり、頬に張り付いていた月白色(げっぱくいろ)の長髪をひとつにまとめる。理由は分からないが、暗い森で冷たい雨に打たれていると、()れから追い出された(みじ)めなオオカミの気分になる。


 時間の流れと共に雪に変わることのある雨粒は、絶え間なく森の()()を打ち鳴らす。それは部族にとって恵みの雨でもあるが、〈獣の森〉に降る冷たい雨は植物を枯らすこともある。そして旅人の体力を奪い、その動きを止めるにも充分に冷たい雨だった。


「おかしいと思わないか?」ルズィはマントのフードで頭部を完全に(おお)うと、化け物の死骸に片足を乗せる。「地走りは警戒しなければいけない化け物だが、こいつは武装した守人の部隊を全滅できるだけの個体には見えない。なにより、〈獣の森〉の奥地を徘徊している化け物が、どうしてこんな場所にいるんだ」


「君の疑問は理解できるよ」

 ウアセル・フォレリはルズィの言葉に同意したあと、灰白色(かいはくしょく)の厚い皮膚に覆われた化け物の腕を持ち上げる。それは病人じみていて、痩せ細り、ゴツゴツとした骨が確認できるほどだった。


「それにね」と、青年は絹の上品な上衣を雨に濡らしながら続ける。「こいつは身体(からだ)のあちこちにひどい傷を負っていて、いくつかの腕には太い鎖が付いていたよ」


「鎖……ですか」

 ラファが眉をひそめると、ウアセル・フォレリはやわらかな笑みを浮かべる。

「うん。まるで長い間、何処(どこ)かに拘束(こうそく)されていたような傷が残っているんだ。不思議だと思わないかい?」


「傷つき怒り狂った化け物の襲撃に遭った……まぁ、いつものことだな」

 ルズィはやれやれと溜息をついたが、ウアセル・フォレリには別の考えがあった。

「それはどうだろう。僕はね、その化け物が意図的にこの場所まで連れて来られた可能性があると考えているんだ」

「どういうことだ」


「さぁ?」青年は笑みを浮かべながら肩をすくめて、それから言った。

「いいかい、僕は可能性の話をしているんだ。いるはずのない場所にあらわれた化け物。そしてその化け物は何者かによって拘束されていた」


「何が言いたいんだ」

 ルズィが顔をしかめると、ベレグが樹木(じゅもく)の陰から音もなく姿を見せる。

惨殺(ざんさつ)されていた正体不明の守人が、この化け物をここまで連れてきた。そういうことか?」


 ウアセル・フォレリは若き守人から敵意と怒りを向けられていることに気がついていたが、どこ吹く風といった表情で言った。

「君たち守人の名誉を傷つけるつもりはないんだ。そもそも、殺されていたっていう集団が本物の守人なのかも分からないんだからさ」


「もしも――」と、ラファが(たず)ねる。「かれらがあの化け物を連れてきた犯人だとして、いったいどうして守人がそんなことをするのでしょうか」

「化け物に村を襲わせるつもりだった。……とか?」

 ウアセル・フォレリは平然と言って見せたが、そろそろ言葉を選ぶべきなのかもしれないと感じていた。


「それこそありえないことだ」

 ルズィは化け物の死骸から離れると、しゃがみ込んでいたウアセル・フォレリのとなりに立つ。すぐに〈黒の戦士〉が反応するが、青年は手をあげ彼らの動きを制する。指先の動きにも優美さがあるように感じられた。

「そうだろうか?」と、青年は死骸から視線をそらさずに言う。


「どうしてオオカミは()れで行動するんだ?」と、ルズィは言った。「なぜなら、それが連中の習性だからだ。そしてそれは守人も変わらない。俺たちの仕事は混沌の化け物を殺すことで、やつらを(けしか)けて村を襲わせることじゃない。そもそも、誰がそんなことを望むんだ?」


「小さな世界に閉じこもっている当事者には理解できないことなのかもしれないけど、権力者たちにとって、それなりの武力を持つ〝調停者(ちょうていしゃ)〟気取りの守人は目障りな存在なのさ。その守人の信用を失墜させることができるのなら、連中はどんな手も使うはずだよ」


「俺たちを支援する権力者のひとりは首長だ。いったい誰が彼を敵に回したいと考える」

「問題はそこだよ」と、青年は上衣が汚れるのも気にせず手を拭いて立ち上がる。「これが首長の計画だとしたら、いずれ君たち守人は危うい立場に追い込まれることになる」


 友人たちの会話を黙って聞いていたアリエルは、この問答が良くない方向に転がっていることに気がついた。ウアセル・フォレリの飛躍した憶測は、ある程度、(まと)()ているのかもしれない。


 ……しかし現実には、かれらは混沌の生物による襲撃や仲間の死に対してひどく混乱していて、まともに何かを考えられる余裕はなかった。だからこそ、守人が悪事に加担しているという推測は、兄弟のつながりを重んじるルズィには受けいれられない話だった。


 感情というのは複雑なもので、頭で理解していても、怒りに流されて気持ちを制御できなくなることが多々ある。彼が気分を害して、問題をより難しくする前に、話題を変えたほうがいいだろう。


 アリエルはそろそろと歩くと、友人たちの背後に立つ。

「もうすぐ日が暮れる。また厄介な化け物に襲撃される前に移動しよう」


 青年の気持ちを(さっ)したのか、ベレグがすぐに反応する。

「野営に適した場所を探しに行く。ルズィ、俺と一緒に来てくれ」

 ルズィは名前を呼ばれると見るからに嫌な表情を見せたが、獣の森で感情を優先させることの(おろ)かさを彼は知っていた。


 ふたりがいなくなると、アリエルはウアセル・フォレリのとなりに立って急速に腐り落ちていく化け物の死骸を見つめた。


「この(あた)りで何が起きているのか、調べたほうがいいみたいだね」

 友人の言葉にアリエルはうなずく。

「頼まれてくれるか?」


「任せてくれ」と、彼は笑みを浮かべる。「僕はね、そういうことが得意なんだ。でも覚悟しておいたほうがいいかもしれないね」

「……たとえば、守人に裏切り者がいるかもしれないってことか?」

「そうだね。君はかれらほど守人という組織に執着(しゅうちゃく)しているわけじゃないけど、多くの守人は、これまでの人生の大部分を辺境の砦で過ごしてきたからね」


「それは俺も同じだよ」

「違うよ――」と、ウアセル・フォレリは真剣な面持ちで言った。「君が外の世界に希望を(いだ)いて、その赤い眸を砦の外に向けている間も、絶望と共に辺境に送られてきた者たちは、自分たちがしていることに何らかの意味があると信じて苦しい生活に耐えてきたんだ」

「それが……?」


「裏切り者によって、そのささやかな誇りまで傷つけられ奪われたとき、()たして彼らは正気でいられるだろうか?」

「俺なら許せないね」と、アリエルは即答する。

「なら、君は裏切り者を始末するのかい?」

「するだろうね。間違いなく」


「守人たちが争ったとき、誰が(とく)をするんだろうね」

「あぁ」と、アリエルはひとり納得する。

「つまり、そういうことだよ。僕たちは厄介な問題に首を突っ込んでいるのかもしれない」

「それは今に始まったことじゃないだろ?」


 ウアセル・フォレリは悲しげに微笑(ほほえ)んだあと、世間知らずの愛すべき友人を、どうすれば守ることができるのかを考えることにした。

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