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出発の準備が整うと一行は都市遺跡を離れることにしたが、まずはヤシマ総帥の救出に協力してくれたザリたちを建設隊との合流場所まで護衛することにした。つめたい風が吹き荒ぶなか、ザリは〈呪霊〉呼び寄せるが、モグラたちは荷車を引くポォルタの近くには寄りつこうとしなかった。
荷車に積まれた金属の棒は、そのままの状態でも〈呪霊〉を遠ざけるだけの力を持っていて、モグラたちはそのことを本能的に理解しているのだろう。そしてそれは、暗がりに潜む怨霊たちにも効果があるようだった。そうであるなら、ポォルタに〈屍食鬼の遺灰〉を振りかける必要はなかったのかもしれない。
嫌々ながら遺灰を受けいれたポォルタに申し訳ないことをしてしまったと、アリエルが反省していると、ヤシマ総帥の落ち着いた声が聞こえた。
「それで――建設隊のために、我らは何をすればいい?」
ザリがどれほどの危険を冒して助けてくれたのかを理解していたし、彼の誠実さに感謝もしていた。だが、感謝だけでは到底釣り合わないことも知っていた。
大人の背丈の半分もない小さな猫人は、真剣な面持ちで考えたあと口を開いた。
「守人の砦まで連れて行ってくれ。命ある者を憎む怨霊が徘徊する〈古墳地帯〉にはいられないし、雇い主の部隊も壊滅した。もうこの場所にとどまる意味はない」
それは容易いことではない。青年はヤシマ総帥の顔色を窺うが、彼の表情は変わらなかった。考えを巡らせたあと、総帥は静かに言葉を発した。
「困難な道程になるが、窮地から救い出してくれた友の頼みだ。断るわけにはいかない」
その言葉にアリエルはうなずいたものの、不安を振り払えなかった。大人数での移動になるだけでなく、〈古墳地帯〉にいる骸骨兵の群れから建設隊の物資も守らなければいけなくなる。それに大人数の集団は目立つため、〈屍食鬼〉や〈幽鬼〉の襲撃に遭うかもしれない。彼らは容赦なく追跡してくるだろう。
アリエルは如何にして建設隊を守り抜き、無事に〈古墳地帯〉から脱出するのか、その方策を練らなければならなかった。
通りのあちこちに死体が放置され、怨霊の呻き声が聞こえるなかザリは口を開いた。
「この都市遺跡に連れてこられたときに利用した〈転移門〉とやらが使えれば良かったんだが、あれはもう動かないからな……」
その言葉にアリエルは眉を寄せたあと、ある疑問が心に生じるのを感じた。〈転移門〉は本当に動かなくなったのだろうか、と。
ザリの言葉が意味するところを理解しながらも、アリエルは自分自身の目で見てきたことを思い返していた。実際のところ、あの〈転移門〉が機能を失ったのは、アリエルたちが別の前哨基地に繋がる門を閉じたからだった。
つまり、〈転移門〉そのものに致命的な問題はなく、適切な場所に門に繋げることさえできれば、ふたたび〈転移門〉として機能する可能性があると考えたのだ。
重い沈黙が続くなか、アリエルは口を開いた。
「ヤシマ総帥、考えがあります。建設隊と合流したら、都市の中心に設置された〈転移門〉まで行きましょう」
「ふむ……」と、総帥はアリエルの目をじっと見つめる。「理由を訊いても?」
アリエルはその目を真っ直ぐに見据え、考えをまとめながら説明した。総帥はじっと青年の話に耳を傾け、その理論に納得した様子でうなずいた。
しかしザリは眉間に皺を寄せたままだった。戦士長の命令で何度も〈転移門〉の状態を確認していたので、青年の言葉に懐疑的だったのかもしれない。だが、ヤシマ総帥とアリエルの確信に満ちた態度に押されるように、ザリは小さく息を吐き、彼らの判断に従うことに決めた。
「……とにかく、信じてみるしかないな」
その声には一抹の不安と、わずかな希望が込められていた。
しばらくして、アリエルたちは無事に建設隊と合流することができた。朽ち果てた廃墟の中、建設隊はすでに出発の準備を整えていて、どこからか連れてきた屈強な駄獣が物資を満載した荷車を引いていた。荷台には鉄製の部品や工具、食料が山積みにされていた。混乱に乗じて襲撃者たちの物資も頂戴したモノなのだろう。
その集団の中に、労働者として連れてこられた部族民の子どもたちがいることも確認できた。彼らの顔には疲れと恐怖が刻まれていて、絶望の中で怨霊の脅威に晒されていたことが窺えた。子どもたちは憔悴しきってはいたが、希望を捨てずに生き延びていた。
アリエルは無言で子どもたちを見つめていた。前哨基地の結界を解いた時のことが頭によぎっていたのだろう。彼らの命を顧みることなく、己の目的を達成するためだけに結界を解いていた。その結果、都市のあちこちで怨霊が出現するようになり、襲撃と無関係な労働者たちにも被害が出ていた。
結界を解いた時には気にもしなかったが、生き延びた者たちの姿を見て、内心に僅かな罪悪感が生じるのが分かった。
アリエルは、ほとんど無意識的にシェンメイに視線を向ける。彼女は無表情だったが、青年が感じている後悔や罪悪感について、いちいち説明せずとも理解していたのだろう。でも〝それが何だと言うのだろうか〟すでにふたりの手は血に濡れていた。犠牲者が多少増えたところで何も変わらない。だから彼女はただ肩をすくめてみせた。
とにかく建設隊と合流すると、彼らは迅速に都市の中心部に進む決断を下した。〈転移門〉が設置された広場に向かうため、襲撃に警戒しながら大通りを進む。荷車を引くヤァカの鳴き声が聞こえるなか、無数のモグラたちが職人たちを取り囲んでいた。建設隊のなかにも〈呪霊〉を操る者がいるのだろう、彼らの指揮でモグラたちは動いていた。
廃墟の通りにヤァカの蹄の音と荷車の軋みが木霊するなか、一行は瘴気が立ち込める通りを進んでいく。やがて真直ぐ伸びる大通りの先に、重厚な石造りの門が見えてくる。その巨大な門は、この荒廃した都市遺跡が持つ雰囲気とは、明らかに隔絶された何か得体の知れない圧倒的な存在感を放っている。
広場に面する他の建物と一線を画す設計思想が、空間全体に異様な気配を漂わせているのかもしれない。じっと見つめていると、視線を拒絶するかのような言い知れない感覚に襲われ、思わず鳥肌が立つのを感じた。しかしそれは、怨霊よって虐殺された呪術師たちの死体が放置されていた所為でもあるのかもしれない。
いずれにせよ、その〈転移門〉は都市遺跡が築かれた時代よりも、さらに古い時代に築かれたモノに違いない。歴史の深淵に沈んだ忘れ去られた文明の残滓とでも呼べるモノだ。
門の表面には複雑な模様が精緻に刻まれていて、円環の縁に沿って神々の言葉が彫りこまれていた。それらの模様は――まるで生きているかのように、光を放ち微かに脈動しているように感じられた。
門の表面に浮かび上がる淡い光は、薄暗い広場で明滅しながら〈転移門〉の輪郭を浮かび上がらせる。その光は不安を掻き立てると同時に、門全体が何らかの呪力を帯びていることを雄弁に物語っていた。
建設隊の職人たちは、その異様な門を目の当たりにして不安げに顔を見合わせた。彼らの目には、ただの歴史的建造物以上の存在として映っていたのだろう。
職人たちの動揺を余所に、アリエルはシェンメイを連れて門に歩み寄る。そして門のそばに設置されていた腰の高さほどの石柱に近づく。これまでの経験によって、ソレが〈転移門〉の操作盤として機能していることは分かっていた。
その石柱の表面にもまた、複雑な文字や符号が刻まれていた。指で触れると、冷たく滑らかな石の感触が伝わってくるが、その奥に何かしらの力が蠢いているのを感じ取ることができた。
アリエルはそこに潜むものを感じ取ろうとして、指先で文字をなぞっていく。そして瞼を閉じて心を研ぎ澄ます。青年が〈転移門〉の操作を始めると、石柱の表面に刻まれた模様が淡く輝き始め、門全体が微かに振動するのが分かった。
職人たちが恐怖に耐えかね、一様に不安を口にするようになったが、アリエルは雑音に耳を貸さず意識を集中させながら黙々と作業をつづけた。それは一種の賭けのようなものだったが、上手くいけば〈境界の砦〉の近くにある〈転移門〉とつなげられるはずだった。