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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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 雨にも冬の冷たさが宿っているのか、やわらかな(しも)のような霧雨が降っていて、樹木と化け物の灰白色(かいはくしょく)の体表をヌラヌラと濡らしていく。


 アリエルは〈黒の戦士〉にウアセル・フォレリの護衛を任せると、懐から護符を取り出して使用する。森の人々が〝護符(ごふ)〟と呼称する使い捨ての呪術は、作成時に使用される紙や、作成者の能力によって品質が決まる。


 彼が使用した護符は砦の守人たちに支給されている一般的な〈身代わり護符〉で、今までの経験上、その古びた茶色い粗紙(そし)に大きな効果は期待できなかった。でもだからといって使用しない選択はなかった。


「どうして〝地走(じばし)り〟が!?」

 地走りと呼ばれた異形の生物はラファの声に反応して素早く胴体を動かし、その細長い身体(からだ)の尖端についているしゃれこうべを少年に向ける。と、次の瞬間、ラファの目の前の空間が(はじ)け、衝撃波を受けた少年が吹き飛んでいくのが見えた。


「クソっ!」

 アリエルは厚い毛皮のマントを肩の後ろに投げやると、抜刀して駆け出した。いつの間にか風は止み、冷たい雨の音だけが葉を揺らしていた。


 地走りは無数の腕を動かしながら木々の間を()うように移動する。その身体(からだ)は同種の個体と比べれば痩せ細っているように見えたが、それでも人間より太い胴体を持っている。そのため、巨大な生物が動くだけでも心理的に受ける圧力は計り知れない。


 アリエルがその化け物に接近して、躊躇(ためら)うことなく斬りかかろうとしたとき、それは身体(からだ)を奇妙にくねらせて刃を避けると、細長い胴体をムチのようにしならせる。横手から凄まじい衝撃を受けたアリエルは、地面を転がりながら周囲の樹木(じゅもく)身体(からだ)を何度も打ち付ける。


 骨が軋み全身の筋肉がズキズキと痛んだが、青年はすぐに立ち上がると化け物が振り下ろした胴体の一撃を、あと一歩のところで避けてみせた。使用者の身代わりとなって攻撃を受けるはずの護符は、しかし想定していたよりも強力な衝撃を受けたことで、ほとんど効果を発揮できないまま消滅してしまっていた。


 ノノに護符の作製を頼むんだったと青年が後悔していると、そこに勢いよく矢が飛んできて地走りのヌメヌメとした体表に突き刺さる。その瞬間、化け物は痛みに地団駄を踏み、グロテスクな身体(からだ)を何度も地面に叩きつける。地走りの注意が()れた隙を突いて、アリエルはさっと接近すると、目にも止まらない速さで刀を振り下ろした。


 化け物はミミズじみた奇妙な胴体をくねらせて刃を避けようとする。しかし胴体の側面についた腕のような器官は鋭利な刃に切断され、赤黒く粘度のある体液が噴き出す。返り血を浴びた青年は、その体液の冷たさに身体(からだ)が震えるのを感じた。


 しかし混沌の生物も痛みを感じているのか、身体(からだ)の一部を切断された地走りは後退すると、人間の頭蓋骨にも似た頭部をアリエルに向ける。その暗い眼窩(がんか)の奥で光が(またた)くのが見えた瞬間、凄まじい衝撃波がほとばしり、それをまともに受けた青年は容赦なく吹き飛ばされる。


 朦朧(もうろう)とした意識のなか、アリエルは弓弦が鳴る音と、空気を切り裂きながら突き進む矢音を聞いた。


 ラファは手持ちの矢を使い切ると、弓を手放し腰の刀を抜いた。

 その音を耳にした地走りは、()ちることのないしゃれこうべを少年に向けた。しかしその暗い眼窩(がんか)が発光する前に、少年は身を低くして風のように駆け出した。異形の生物との予期せぬ遭遇に恐怖して、手が震えるのを感じていたが、少年はすぐにアリエルの言葉を思い出す。


 我々が(いだ)くすべての恐怖は、〝鋭い刃のように心に消えない傷を残す〟そしてそれは、我々の判断力を鈍らせる。だから小さな戦士は自分自身に言い聞かせる。手が震えているのは太刀が重いからだ。決してあの化け物を恐れているからではないのだと。


 地走りはムチのように胴体をしならせ、それをラファに叩きつけようとする。しかし少年は(たぐい)まれな身体能力(しんたいのうりょく)と、天性の戦闘技術によって攻撃を紙一重で避けながら化け物を斬りつけていく。


 ひとつ、ふたつ、みっつと化け物の腕が切り落とされ、地面に転がることになる。が、それでも化け物の勢いが(おとろ)えることはなかった。


 守人の死体が放置されていた岩場の斜面まで吹き飛ばされていたアリエルは、すぐに身体(からだ)を起こすと、おぼつかない足取りで地面に取り落としていた刀を拾い上げる。そのとき、偶然に名も知らぬ守人の切断された腕が転がっているのが目に付いた。


「ちょうどいい」と、青年は深紅(しんく)の瞳を明滅させる。

「お前たちの恨みを晴らしてやる」


 その場にしゃがみ込むと、目を(つむ)り、その血に宿る呪われた力を解放する。


 すると青年の周囲は薄暗くなり、樹木(じゅもく)が軋み、地面が音を立てぐらりと揺れる。それは一瞬のことだったが、(あた)りに潜んでいた生き物は不吉な気配を感じ取り逃げ出していく。風も吹いていないのに落ち葉が音を立てて舞い上がると、周囲に散らばる死体から黒い(もや)が立ち昇るのが見えた。


 それは守人たちが死の間際に感じていた恐怖や憎しみによって、この世界に形作られた邪悪で(おぞ)ましいモノの集合体だった。アリエルは足元から()い寄る恐怖と感情に(とら)われ、怒りや憎しみで胸が張り裂けそうになる。


 心臓が激しく脈打ち、息をするのも苦しくなる。けれど、どこか遠くからオオカミの遠吠えが――静水のように()んだ響きを持つ遠吠えが聞こえると、アリエルは息を吐き出しながら心を落ち着かせる。


 ゆっくり(まぶた)を開くと、すぐ目の前に黒い(もや)によって形作られた幽鬼が立っているのが見えた。青年は影に向かってうなずいて、それから言った。

「お前たちの仇を(ほふ)れ」

 黒い影が霧散(むさん)し消えると、アリエルはそっと息を吐き出した。


 その黒い影が(ふたた)び姿をあらわしたのは、地走りの胴体が横薙(よこな)ぎに振るわれ、ラファに直撃する瞬間だった。邪悪で不定形な影が姿を見せたとき、小さな戦士は、まるで世界から色が消えたように感じた。


 ラファに直撃するはずだった化け物の胴体は鋭い音を立て(はじ)け飛び、体液やら肉片が(あた)りに飛び散る。そのときになって初めて、地走りは目の前に出現した脅威に気がついて、すぐにしゃれこうべを向け空虚(くうきょ)眼窩(がんか)を発光させる。


 立て続けに衝撃波が放たれ、空間が破裂し轟音が響き渡る。が、影を消し去ることのできるモノが存在するとすれば、それは暗黒よりも深い黒、深淵にたちこめる漆黒(しっこく)だけだった。


 不定形の影は衝撃波の影響を受けることなく、その朧気(おぼろげ)な姿を変化させると、獣じみた動きで地走りに向かって駆ける。そして異形の生物に取り付くと、邪悪な牙をたて、その肉を()み千切っていく。


 地走りは痛みにのた打ち回り、密生する樹木(じゅもく)に何度も身体(からだ)を打ち付けて激しく暴れるが、黒い影は爪を喰い込ませ、異形の生物を咬み殺していく。


 能力を使い、それなりの体力を消耗(しょうもう)していたアリエルが戻ってきたときには、すでに地走りは力を失くし、地面に横たわったまま動かなくなっていた。そして黒い影もまた、力を使い果たしたのか、風に散らされる煙のように消えていった。


「終わったみたいだな……」

 アリエルは〈黒の戦士〉に守られていたウアセル・フォレリの無事を視線だけで確認すると、地面に突き刺した刀を杖のように使い体重を預けていたラファの(そば)に行く。少年は空気を深く吸い込んで息を整えていたが、目立った傷は確認できなかった。


 アリエルが近づいてくると少年は刀を鞘に収める。刃は欠けていてひどい状態だったので、砦の鍛冶場で打ち直せるか分からなかったが、森に捨てるわけにはいかなかった。〈獣の森〉に残すのは化け物の死体だけでいいだろう。

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