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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 中編

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 しんとした静寂のなか、アリエルは白い息を吐き出しながら剣を収めた。戦いのあと、空気には血と糞尿にまみれた臓器の臭いが立ち込めるようになる。ザイドの無残な死体が足元に横たわり、汚泥に濡れた瞳が虚空を見つめているのが見えた。そしてその暗い魂も、暗黒の世界に横たわる石棺のなかに囚われていた。


 戦いのなかで彼の手から滑り落ちていた太刀が石畳に転がっているのが見えた。それは彼が訓練を終えて〈境界の守人〉として認められたさいに、総帥に直接手渡されていた刀剣だったが、その頃の輝きは失われてしまっていた。


 それは呪術の効果が付与されているような特別なモノではなかったが、武具師でもある〈石に近きもの〉の手で鍛造された刀剣であり、その刀を手にすることは守人にとって名誉なことだった。しかしザイドは、その大切な刀の手入れすら怠っていた。


 結局のところ、ザイドがなぜ総帥を(さら)ったのか、そしてその背後で何が行われたのかを知ることはできなかった。彼が最後に語った言葉の多くに意味はなく、すべて妄言でしかなかった。アリエルの心には疑問が渦巻くが、今となっては確かめる術はない。裏切り者は死に、真実は彼と共に永遠に失われてしまった。


「やれやれ」と、青年はザイドの頭部に一瞥をくれる。

 もはや死者から答えを得ることはできない。彼が持っていた真実もまた、汚泥のなかに埋もれていく運命だった。手掛かりになるようなモノがないか調べるが、とくに目を引くモノはない。唯一、彼の太刀だけが価値のあるものに思えた。


 彼は泥にまみれた黒装束だけを身につけていた。守人に与えられる黒オオカミの毛皮やしなやかな鎖帷子、それになめし革の防具すら身につけていなかった。


 ザイドの太刀を拾い上げ、軽く振り下ろして感触を確かめたあと、周辺一帯の敵に対応していたシェンメイと合流するために歩き出す。けれど、すでに敵を掃討していたのか、廃墟の出入り口に彼女が立っているのが見えた。それなりの呪素(じゅそ)を消費したのか、彼女の表情には疲労が見える。


 シェンメイが太刀に視線を向けると、青年は軽く肩をすくめて、何となく手にしていた刀を毛皮の〈収納空間〉に放り込んだ。


「こっちも問題は片付いた。すぐにザリと合流して、ここから離れよう」

 彼女もとくに興味はなかったので、無駄な詮索はせず、青年のあとについて歩いた。


 やがて薄暗い路地の向こうにザリの小さな姿が見えてきた。彼は落ち着き払っていたが、その眼には安堵の色が見えた。


「よくやった。‶さすが守人だな〟と褒めたいところだが、怨霊どもが集まってくる前に移動したほうがいいだろう」

 ザリの言葉にふたりはうなずくと、目的地に向かって歩き出した。


 廃墟と化した都市遺跡を進む三人は、モグラの〈呪霊(じゅれい)〉によって浮かび上がる淡い光を放つ道を頼りに移動していた。ある程度の安全は保障されていたが、周囲に漂う瘴気は依然として濃く、都市を徘徊する怨霊が姿を見せるたびに嫌な汗をかいた。〈呪霊〉は瘴気を払ってくれていたが、それは決して安全を保証するものではなかった。


 都市を徘徊する怨霊たちが、たとえこちらの存在を認識していないとしても、彼らの(おぞ)ましい姿が視界に入るだけで心が蝕まれていくように感じられた。彼らの苦痛や憎しみに引きずられているのかもしれない。


 蛮族からの襲撃に警戒して歩いていると、前方の暗がりから微かな金属音を立てる何かが近づいてくるのが聞こえた。しばらくして狭い路地から姿を見せたのは、首のない戦士の怨霊だった。


 古代の戦士と思われるその怨霊は、今もなお戦場を彷徨っているかのように都市を徘徊していた。篝火の光を反射して鈍く輝く板金鎧を身につけていたが、その見事な装飾が施された鎧の隙間からは、絶えず鮮血が滴り落ち、地面に赤い染みを広げていた。しかし怨霊が通り過ぎると、まるで過去の残像だったかのように血溜まりも消えさってしまう。


 その怨霊の歩みは鈍く、目に見えない何かを探しているように、ふらふらと定まらない足取りで彷徨っていた。呪われた魂の苦悩が、その動きにも影響しているようだった。怨霊とすれ違うさいには、ザリの表情に不安が浮かびあがるが、モグラの〈呪霊〉が淡い光を放ち怨霊を遠ざけてくれた。


 聖域めいた空間を嫌ったのか、首のない怨霊はすっと闇の中に溶け込んで見えなくなってしまう。けれどその存在感は消えることなく、周囲の空気を重くし続けていた。


 しばらくして総帥が囚われている廃墟が見えてくる。薄暗い篝火のそばに放置されていた戦士たちの無惨な死体も目に入った。炎の中で爆ぜる薪が、死者たちの無言の苦痛を照らし出していた。


 しかしそこで目にしたのは戦士たちの死体だけでなく、その身体に覆いかぶさる黒い影だった。暗闇の中で黒い影が不気味に(うごめ)き、死肉を貪り食っているのが分かる。アリエルたちは慎重に近づくと、その正体を見極めようとした。篝火の微かな光が、やがてその忌まわしい姿を浮かび上がらせた。


 それは〈屍食鬼(グール)〉だった。死の臭いを嗅ぎつけ、血肉を求めて彷徨う呪われた存在。屍食鬼の姿は、人間と化け物が混ざり合ったような不気味な混血種を思わせた。皮膚は厚く、腐乱死体を思わせる紫がかった灰色で、無数の裂け目が所々に見られる。その裂け目からは黒い体液が滲み出し、腐敗した毒が流れているかのようだった。


 屍食鬼は鉤爪を備えた手で死肉を(つか)み、容赦なく引き裂いていた。その動作は飢えた獣のように荒々しく、手当たり次第に肉片や臓器を口に運ぶ。屍食鬼の口は不気味に裂け、鋭い牙が覗いていた。口から滴り落ちる血は糸を引き、醜悪な顔を赤に染め上げていく。


 その化け物は前屈みの姿勢で移動し、獣のように地面を這いながら目の前の死体を貪る。辺りには吐き気を催すほどの血と腐敗した生物の臭いが漂っていたが、その一部は屍食鬼の体臭でもあった。


 それらの化け物は、鎖に繋がれ死体の処理をさせられていた屍食鬼だと思っていたが、〈古墳地帯〉から迷い込んできた個体なのかもしれない。すでに都市遺跡に張り(めぐ)らされていた結界は崩壊していたので、都市に侵入するのは簡単だった。


 いずれにせよ、屍食鬼たちの数が増えて、手に負えなくなる前に始末しなければならない。アリエルたちは屍食鬼の注意を引かぬよう静かに移動し、攻撃に適した場所まで移動する。幸いなことに、総帥が囚われていた廃墟のそばには無数の置楯が放置されていたので、身を隠す場所には困らない。


 今回は猫人のザリも協力してくれるようだ。彼が足先で地面をトントンと叩くと、地中からモグラたちが顔を覗かせ、鼻をひくひく動かす。するとザリは小声で何かを口にする。


 その囁き声を耳にしたモグラたちは地中に潜ると、屍食鬼たちに向かって土を掘り始めた。その動きは素早く、まるで土の波が屍食鬼に向かって突き進んでいるようだった。


 やがて死肉に夢中になっていた屍食鬼たちの足元がグラリと揺れ、地面が瞬く間に液状化していくのが見えた。数体の屍食鬼は逃れようとして、赤子を抱くように死体を抱えるが、すべてが遅すぎた。彼らの醜い身体は泥濘の中に引き込まれていく。


 屍食鬼は必死にもがき、地面を引っ掻くように爪を立てるが、土の操作に長けた〈呪霊〉たちの呪術は抵抗を許さず、より深く、より確実に彼らを地中にのみ込んでいく。


 しかし、それですべてが終わったわけではなかった。石畳の上にいた屍食鬼や、逸早く異変に気づいた化け物も液状化した地面から逃れていた。そして生き残った化け物は、恐怖に駆られるように一斉に走り出した。


 しかしアリエルとシェンメイは屍食鬼を逃がすつもりはなかった。青年は逃げる化け物の背中に向かって(やじり)にも似た無数の〈礫〉を撃ち込む。それは逃げ惑う屍食鬼に直撃し、その硬い皮膚を容赦なく貫いていく。


 シェンメイも〈氷槍〉の呪術を使い、屍食鬼の頭部を貫き、冷気でその身体を凍らせていく。氷柱(つらら)めいた氷の塊に貫かれた化け物は動きを止め、次の瞬間、地面に倒れて粉々に砕けていく。


 逃げ惑う屍食鬼を相手にした戦闘は激しく、だが短かった。そして総帥が囚われていた廃墟は、もう目と鼻の先だった。

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