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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 中編

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74〈屍食鬼の遺灰〉


 戦士長が無力化され、その首が泥の中に転がると、彼が操っていた死人たちも糸が切れた人形のように次々と地面に崩れ落ちていく。すると戦場を支配していた邪悪な気配と、恐ろしげな緊張感が一気に解けていくように感じられた。辺りに立ち込めていた瘴気が薄れた所為なのかもしれない。


 アリエルが動かなくなった死体に視線を向けると、あの忌まわしい〝干からびた手首〟が見えた。死者を蘇らせていた手首も、今はただの乾燥した肉塊に過ぎず、力を失ったかのように汚泥の中に転がっている。


 シェンメイはその手首を拾い上げると、あれこれ考えながら注意深く観察する。そして安全性に問題がないと分かると、足元に転がっていた手首を拾い上げていく。


 それから彼女は、無数の手首を抱えたままアリエルのもとに駆け寄る。

「ねぇ、これを預かっていてもらえない?」


 彼女の言葉に青年は眉をひそめ、血と胃液で汚れていた口元を歪める。

「別にいいけど、そんなもの、一体どうするつもりなんだ?」

 疑念を口にすると、痺れるような痛みと共に顎の動きに違和感を覚えた。


「死人を蘇らせる〝呪物〟なんだよ。こういうものは、きっと高値で取引できる。それにさ、何かの役に立つかもしれないでしょ」


 アリエルはしばし考えたあと、ため息をつきながら手首を受け取る。紐で吊るされたソレは冷たく、手にしているだけで言い知れない嫌悪感と不安を抱くが、青年はそれを黙って〈収納空間〉の中に放り込んだ。


 そのときだった。どこからともなく、あの寂しげで、それでいて怒りと憎しみに満ちた泣き声が聞こえてきた。それは先ほどよりも近づいているようだった。〈古墳地帯〉に漂う霧のように、ソレは静かに忍び寄っていたのだろう。


 その声を聞くと、アリエルはすぐに周囲を見回した。だが声の主を見つけることはできない。それは戦士長が話していた〝聖女の呪い〟で間違いないのだろう。冷たい汗が背筋を伝うのを感じながら、その呪いについてシェンメイが何か知っているか(たず)ねる。


「このままだと俺たちも危ない。なんとか呪いを解くことはできないか?」

 彼女は少しの間、考え込むように沈黙していたが、やがて青年を見つめながら言う。

「できるか分からないけど、試してみるよ。その首を見せて」


 アリエルは腰に吊るしていた〈聖女の干し首〉を手に取ると、紐で吊るされたソレを彼女に差し出した。その干し首は、かつての美しい面影を留めながらも、その内に得体の知れない力を秘めているように見えた。


 シェンメイは干し首を両手で包み込むようにそっと触れ、その滑らかな肌に指を滑らせた。それから彼女は瞼を閉じ、集中するように静かに息を整えたあと、ほとんど聞こえないほどの微かな声で呪文を唱えていく。


 呪文が紡がれるたびに、彼女の手のひらから淡い光が放たれていくのが見えた。光は柔らかな色合いを帯び、干し首の表面を優しく包み込むように輝く。その光は徐々に強さを増しながら周囲を照らすほどの(まばゆ)い光を放つが、やがてゆっくりと弱まり消えていった。


 彼女は瞼を開くと、そっと息を吐き出す。

「大丈夫、なんとかできるみたい。でも――」と、言葉を切った。


 青年はその表情から何か悪い予感がして、問いかけるように彼女の顔を見つめた。

「でも、問題がある?」


「そうだね……」彼女は重々しい表情でうなずく。

「聖女の結界が解けると、私たちもあの怨霊に襲われるようになる」


「それは厄介だな」アリエルは苦い顔を見せる。

「でも、だからといって呪いを放っておくわけにはいかない」


 彼女は首のない戦士長の死体にちらりと視線を向けた。血の気が引いた肌と、無惨に切り落とされた首が泥の中で不自然に転がっている。そこで彼女の表情が変化していくのが見えた。何か閃いたのだろう、彼女は目を輝かせる。


「ちょっと待ってて、考えがある」

 シェンメイの言葉にアリエルは軽く首をかしげたが、無言で見守ることにした。


 彼女は戦士長の死体のそばにしゃがみ込みむと、泥に濡れた衣服や装備を漁り始める。やがて戦士長が腰に吊るしていた革袋を見つけると、それを手に取って中身を確認した。その中には細かい砂粒のような、あるいは何かの灰のようなものが入っていた。


「これはね、呪術師たちの呪素(じゅそ)で加工された〈屍食鬼(グール)の遺灰〉なんだ」

 彼女はそう説明すると、革袋を傾けて手のひらにサラサラと灰を零していく。その灰は淡い灰色を帯びていて、微かに発光している。


 彼女の言葉に青年は無意識に顔をしかめた。忌まわしい生物の遺灰に触れることに対する嫌悪感が湧き上がってきたのだろう。


 彼女はその様子を見て、クスクスと小さく笑った。

「詳しいことは分からないけど、この遺灰を使うと悪霊から姿を隠せるようになるんだ。たぶん、生者だと認識できなくなるんだと思う。準備するから、しゃがんで」


 アリエルは困惑していたが、言われた通りに身を屈めた。すると彼女は手のひらから慎重に遺灰を掬い取り、彼の頭上からゆっくり振りかけていく。髪や黒衣に付着しながら、遺灰は青年の全身を覆っていく。その遺灰が肌に触れるたびに、体温を奪われるような冷たい感触が広がり、自分自身の存在が希薄になっていくような不思議な感覚を抱く。


「これでよし」

 シェンメイは納得したようにうなずくと、青年に革袋を手渡した。

「今度はあんたの番だよ。わたしにも遺灰を振りかけて」


 口づけを求める乙女のように、彼女は顎を持ち上げながら瞼を閉じる。青年はどこか緊張した面持ちで、彼女に遺灰を振りかけていく。その灰が彼女の髪や肌に触れていくと、淡い灰色の(もや)が広がっていくのが見えた。彼女の姿は徐々に暗い影に覆われていくが、それは一瞬の出来事で、気がつくと靄は消えてしまっていた。


 準備が整うと、彼女はアリエルが差し出していた干し首に両手を添え、その重みを手のひらで感じ取るようにして触れていく。冷たい干し首に指先が触れると、まるで生気を奪い取られるような感覚がして、その異様さに彼女は眉をひそめたが、すぐに冷静さを取り戻して瞼をそっと閉じた。


 シェンメイが集中していくにつれて、手の中の干し首から淡い光がゆっくりと漏れていく。その光は、そこに残されていた魂の輝きのように、彼女の手を包み込んでいく。光は柔らかく、温かさと冷たさが入り混じった不思議な感覚を伴っていた。彼女は集中し、神々に祈るような表情を浮かべながら、聞こえないほどの微かな声で呪文を唱えていく。


 その時だった。アリエルは奇妙な寒気がして、首筋に鳥肌が立つのを感じる。ふと廃墟が立ち並ぶ暗い通りに視線を向けると、そこで何かが揺らめくのが見えた。青年は目を細め、その異様な存在を見つめた。


 廃墟の暗がりのなかに、人の姿をした黒い影がゆっくりと佇んでいるのが見えた。その影は無言で、ただじっとこちらを見つめていた。その視線には、深い憎しみと怒りが宿っているようでもあったが、同時に哀しげな視線でもあった。


 冷たい風に揺らめくように影は立ち続けたが、しだいにその輪郭は曖昧になり、霧散するように消え去っていく。まるで最初からそこに何も存在しなかったかのように、影は跡形もなく消失する。「あれが聖女の思念だったのだろうか」青年は疑問を抱くが、その答えを知る者は、おそらく何処にもいないのだろう。


 シェンメイが瞼を開くと、干し首を包み込んでいた光もすっかり消え失せ、ただの無機質な物体として彼女の手の中に残る。


「干し首の能力を封じ込めることができたみたい」

 その言葉にアリエルは安堵の表情を浮かべたが、すぐに周囲を見回した。


 結界が消え去ったことで、重苦しい空気が漂うようになった。呪いに由来する邪悪な気配は一切感じられなくなっていたが、都市遺跡に巣食う忌まわしい怨霊が消え去ったわけではない、すぐに気を取り直すと、戦士長が出てきた廃墟に向かう。


 そこに総帥がいる確証はなかったが、とにかく向かうしかない。そこにいなければ、総帥が捕らえられていそうな場所を片っ端から探すしかない。


 幸いなことに、〈屍食鬼の遺灰〉のおかげで怨霊はふたりの存在を見失っていた。この機会を無駄にしないように、迅速に動く必要がある。雨が降るようなことがあれば、遺灰は流れ落ちて最悪な事態になるだろう。

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