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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 中編

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 戦士長と思われる大男が動き出すと、アリエルたちはすかさずそのあとを追った。かれは動かなくなった〈転移門〉を背にして、無数の天幕が張りめぐらされた通りに足を進めた。その通りに立ち並ぶ天幕の間から、焚火の煙が立ち昇り、風に乗って焦げた肉の臭いが漂ってくる。


 通りを歩く戦士長は蛮族たちの視線を集めていたが、誰も彼と目を合わせることはなかった。戦士長の威圧的な態度が、無意識に恐怖を煽っていた所為なのかもしれない。瓦礫(がれき)に座り込んでいた蛮族たちは、あえて目を逸らしているようだった。


 戦士長が恐ろしいのか、それとも厄介な仕事を押し付けられることを嫌っているのかもしれない。いずれにしろ、誰ひとりとして戦士長に関わろうとする者はいなかった。


 狭い路地に入っていく戦士長のあとを追うと、通りの両側に無数の死体が吊るされている場所に出た。それらの死体は廃墟から突き出した枯れ木に吊るされていて、風が吹くたびに左右に揺れていた。辺りには鼻を突く腐臭が漂っていた。便所も近いのかもしれない、大量の排泄物に引き寄せられた蠅の羽音が耳障りだった。


 篝火の明かりに照らされるなか、吊るされた死体に無数の傷があることや、荒縄が肉に食い込んで血が滲んでいる様子が確認できた。戦士長は枯れ木の前で立ち止まると、満足そうに吊るされた死体を見上げる。彼が見ていたのは、守人を裏切った兄弟たちの死体だった。何人かの顔に見覚えがあったので、まず間違いないだろう。


 守人を裏切って襲撃者たちのために働いたが、裏切り者を信用するほど愚かではなかったのだろう。裏切り者たちは〈境界の砦〉について知っていることをすべて吐き出すまで徹底的に拷問され、そして殺されていったのだろう。彼らに与えられた苦痛は、想像を絶するものだった。


 襲撃者たちは砦に財宝が隠されているのか質問したのだろう。金は、貴重な呪術器はあるのか? 食糧の備蓄はあるのか、戦士は何人いるのか、動ける射手は残っているのか? 守人の装備についても質問したのかもしれない。ラガルゲに乗っている戦士はいるのか、負傷者は何人いる? 砦に金は隠されているのか? 砦の地下には黄金の都市があるのか?


 何度も繰り返される同じ質問。裏切り者たちはそのたびに傷を負わされた。問い詰められるたびに殴られ、無理やり爪を剥がされ、皮膚が無惨に剥ぎ取られ、錆びた刃物で肉が抉り取られる。痛みに呻き、声が枯れるまで叫び続けたが、彼らは容赦しなかった。そうやって裏切り者たちは、生きたまま徐々に解体されていった。


 やがて裏切り者たちの精神と肉体は苦痛に耐えきれなくなり、意識は遠のき、やがて絶命した。彼らの死体は、他の死者たちと共に無造作に吊るされ、見せしめにされた。彼らがどれほどの苦痛を味わい、どれほどの恐怖を抱いたのかは、今や誰も知ることはできない。ただ無惨に吊るされた死体が、彼らが味わった絶望を物語るように揺れる。


 ふと暗闇の向こうから低く(うな)るような声が聞こえた。暗闇に目を凝らすと、鎖で繋がれた屍食鬼(グール)が飢えた目でじっと死体を見つめているのが見えた。


 (おぞ)ましい化け物はゆっくり死体に近づくと、その肉を貪るために牙をむいた。化け物の飢えは凄まじく、肉が引き裂かれ、骨が砕ける音が聞こえてくる。屍食鬼たちの動きに合わせて鎖が軋み重く響いた。篝火の明かりは、その恐ろしい光景を淡く照らしていた。


 戦士長は無言のまま、その光景を見つめていた。アリエルもまた、その場で息を潜め、状況を観察していた。戦士長の次の動きを見逃さないように、慎重にその後を追う準備をしていた。この場で襲いかかってもよかったが、近くに戦士たちの気配を感じたので、騒ぎになることを避けた。


 それに、吊るされた死体のなかに裏切り者たちを率いていた〝ザイド〟の姿がないことが気になっていた。兄弟たちを(そそのか)したであろう男が今も生きているという事実に、アリエルは奇妙な苛立ちを感じずにはいられなかったが、どこか別の場所に吊るされている可能性もあった。


 遠くから荷車の軋む音が聞こえてきた。アリエルが暗がりに視線を向けると、鶏が詰まった籠や、数頭の痩せこけた羊、それに塩漬けの川魚を積んだ荷車がやってくるのが見えた。運び手たちの顔には疲労と飢えが浮かび上がっていて、重い足取りで進んでいた。


 突然、屍食鬼の気配に驚いたヤァカが大きく身を振った。すると若い戦士――まだ十一か十二の少年――は必死に綱を引き締めたが、力が及ばず、ヤァカの勢いに引きずられて戦士長の背中にぶつかってしまった。嫌な緊張感が漂うなか、戦士長は冷酷な視線で少年を見下ろし、そして無言で拳を振り上げた。


 鈍い音が聞こえ、少年の小さな身体が泥濘の中に倒れ込んだ。けれどそれだけでは終わらなかった。戦士長は表情を変えず、少年の顔面に何度も無慈悲に足を振り下ろした。重々しい音が路地に響き渡り、少年の顔は見る影もなく陥没していった。息絶えた少年の身体からは、魂が抜けていく様がありありと見て取れた。


 戦士長は自分の行いに満足すると、少年の無残な遺体を藪の中に向かって放り投げた。すると暗がりに潜んでいた屍食鬼たちが血の臭いに誘われて姿をあらわし、少年の遺体に(むさぼ)りついた。戦士長はそれを見届けると、何事もなかったかのように立ち去っていった。


 戦士長の姿が消えると、屍食鬼に怯える哀れなヤァカと、目の前で繰り広げられた残酷な行為を見守ることしかできなかった人々だけが残された。少年を失ったヤァカは、微かな鳴き声をあげると、藪のなかに潜む化け物たちから距離を取る。路地の空気は一層冷え込み、人々は息を潜めるようにして、荷車を引いてその場から離れていった。


 戦士長のあとを追い、アリエルたちは荒れ果てた廃墟の間を進んだ。瓦礫と苔に覆われた路地を抜けると、巨大な神殿の廃墟が目の前にあらわれた。かつては荘厳だったであろう石造りの建物は、いまや時の流れに屈し、半ば崩壊している。無数の亀裂が走る壁面には風化した彫刻が残り、歴史の重みを感じさせた。


 戦士長のものと思われる大きな天幕は、その廃墟の前に堂々と張られていた。天幕の周囲では篝火がたかれ、多くの戦士が行き交っていた。彼らは刃を研ぎ、食事をとり、時折、他の戦士と乱暴に言葉を交わしていた。だが戦士長が近づくと、そのすべての目が瞬時に彼に向けられ、しだいに静寂が広がっていった。


 異変に気がついたのは、ちょうどそのときだった。アリエルは背後から感じる奇妙な感覚に気づいて振り向く。するとシェンメイの身体が変化し、その身を包み込んでいた幻影が消えていくのが見えた。天幕の周囲に張り巡らされていた強力な結界の影響で、彼女が用いていた〈擬態〉の術が解けてしまったのだろう。


 シェンメイの姿がゆっくり元の姿に戻っていくが、周囲の戦士たちに気づかれた様子はなかった。それに慌てる必要もなかったのかもしれない。すでに敵の陣地に深く入り込んでいたので、多少の変化があっても目立つようなことはないだろう。


 戦士長は、そのまま天幕に入るかと思っていたが、そこに部下と思われる男が近づき、何か短く言葉を交わした。するとふたりは別の場所に向かって歩き出した。すぐに後を追おうとしたが、ふと足を止めて天幕に視線を向ける。結界を張るための呪術器があるかもしれない。


 その呪術器を手に入れることができれば、結界を解いて、襲撃者たちの陣地に混乱をもたらすことができるかもしれない。アリエルはすぐに決断し、シェンメイに目配せする。呪術器を手に入れることを優先し、戦士長のあとを追うのはその後にする。


 慎重に天幕の入り口に近づく。周囲には見張りの戦士たちが立っていたが、幸運にも彼らの多くは篝火の周りで談笑していて、こちらに注意をむけていなかった。しかし、その中のひとりがアリエルたちに気づき、両刃の斧を手にしながらふたりのことを呼び止めた。


「おい、そこのお前、何の用だ?」

 アリエルは適当な返事をしようとしたが、戦士はシェンメイに目を向けた。そして薄布を身にまとった彼女の身体をじろじろ見たあと、ひとり納得したようにうなずいてみせた。


「ああ、代わりの女を連れてきたんだな……」

 彼はそう言うと、それ以上の質問をすることなく道を開けた。どうやら戦士長のために女性を連れてくることが、ここでは日常的な行為の一部として見なされているらしかった。


 アリエルはこれから目にする光景に内心でうんざりしつつも、この機会を逃さないため、さっさと天幕の中に足を踏み入れることにした。重い空気が漂うその空間には、何かが腐敗したような臭いが漂い、ふたりは思わず鼻をつまんだ。


 まず目に飛び込んできたのは、裸にされ、手足を縛られたまま寝床の上に横たわる女性の姿だった。身体中に痛々しい傷が見られ、美しかったであろう顔は腫れあがり苦痛と絶望に覆われていた。彼女は戦士長の残忍で果てのない欲望の犠牲になっていた。その寝床には、彼女と同じように無惨な姿で放置された数人の女性が横になっていた。


 その中には、すでに息をしていない女性の姿もあった。彼女たちの痩せこけた身体と衣服の名残から、戦士たちに無理矢理連れてこられた部族の人間なのだと推測できたが、あまり考えないようにした。天幕の中に充満する空気が青年に重くのしかかるが、この地獄のような場所から必要なものを手に入れて、すぐに出ていくことにした。

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