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冷たい雨が降りしきるなか、アリエルたちは広場に足を踏み入れる。守人たちの視界に飛び込んできたのは、血と泥にまみれた激しい戦いの光景だった。
すでに襲撃者の大半が泥濘に横たわっていたが、侵入者たちは抵抗をつづけていて守人たちと刃を交え、命を懸けて戦っていた。剣戟な鳴り響き、戦士たちの血と汗が雨と泥に流されていく。
古参の守人は一瞬の躊躇いも見せず戦いに加わった。敵のひとりが振り下ろした剣を受け流すと、滑るような動きで踏み込んで喉元を斬り裂く。暗部だと思われる黒衣の戦士は倒れる間際、守人を睨みながら悔しげに息絶えた。
「後ろだ!」
仲間の声に反応し、立ち止まっていたアリエルは即座に振り返る。顔を黒い布で覆った敵が突進してくるのが見えると、青年は身を低くし、敵の突きを躱しながら鋭く斬り上げた。脇腹から肩口にかけて斜めに深々と食い込んだ剣先から血液が飛び散る。が、そこで終わらない。青年はさらに踏み込んで敵の首を刎ねる。
一方、ルズィたちもそれぞれの敵と激しい戦いのなかにあった。剣の打ち合う音と呪術による炸裂音が轟き、広場は混沌としていく。遠雷の瞬きとともに壮絶な光景が闇のなかに浮かび上がる。あまりにも生々しい光景を目にした守人たちは、唯一の安息の地でもあった砦が戦場になったことを痛感する。
「こっちだ!」
守人のひとりが声を上げた。彼が指差す方向には砦の大扉が見えていたが、その扉に並ぶほど背の高い戦士が立っていた。全身を覆う黒革の鎧に加え、筋肉に覆われた巨体は圧倒的な威圧感を放っていた。
土鬼の戦士だろう。彼の手には巨大な斧が握られていて、その強烈な一撃で守人のひとりが胴体を両断され、内臓を撒き散らしながら吹き飛んでいくのが見えた。扉を守る守護者のように立ちはだかる姿から、ザイドたちが砦内に逃げ込んだ可能性が高かった。
「そいつの相手は俺に任せろ」
ルズィは大男と対峙する。ツノを持つ巨漢は冷酷な目で見下ろしたあと、嘲笑を浮かべてみせた。そして次の瞬間、斧を振り上げ、恐るべき速度で振り下ろした。全力の一撃だ。剣で受け止めることはできないだろう。
ルズィはその一撃を紙一重のところで躱すと、すかさず反撃に転じた。鋭い一閃が巨漢の腕に深く食い込む。だが土鬼の戦士は怯むことなく前に出て、強烈な一撃を見舞おうとする。致命傷になりかねない攻撃を躱しつつ、ルズィは隙を突いてもう一度攻撃を仕掛けようとするが、すかさず巨漢は斧を振り下ろした。
しかし彼は冷静に斧の軌道を見極め、最小限の動きで躱してみせると、流れるような動作で身体が触れる距離まで近づく。そして大男の腹部にそっと手のひらをあてる。つぎの瞬間、土鬼の背中が破裂し、渦をまく赤黒い炎が勢いよく飛び出す。〈業火〉の呪術を叩き込んだのだろう。戦士は力なく倒れる。
横手から飛び込んできた戦士を斬り倒すと、ルズィはアリエルに向かって叫んだ。
「先に行け! すぐに追いつく!」
アリエルはラライアに声を掛けようとしたが、彼女はオオカミの姿で数人の襲撃者と交戦中だった。彼は覚悟を決めて、ひとりで砦内に足を踏み入れることにした。
薄暗い廊下は冷え冷えとしていて、咽かえるような血の匂いが漂っていた。壁に掛けられた錆びた刀剣や楯が、壁掛け燭台の微かな灯りに照らされて幽霊のように揺れている。
アリエルは敵の気配に注意しながら闇の中を慎重に進んでいく。やがて若い守人と世話人のものだと思われる遺体が目についた。彼らは果敢に戦ったが、敵の手にかかり無残に倒されていた。壁や床に飛び散った血痕は生々しく、彼らが必死に抵抗したことが窺えた。
廊下を進むにつれて緊張感が高まっていく。薄闇の向こうから嫌な視線を感じながら耳を澄ませるようにして進んでいると、突然前方から空気を切り裂く音ともに矢が飛んでくるのが見えた。アリエルは咄嗟に壁際に置かれていた長机を蹴り倒し、矢を避けるために机の背に身を隠した。しかし矢は机を突き抜け、青年の肩を斬り裂くように飛んでいった。
「クソっ」
アリエルは悪態をつきながら肩を押さえる。敵は呪術で強化された矢を使っている。わずかに身を乗り出すと、矢が放たれた方向を確認する。すると暗がりに紛れている敵の姿がぼんやりと見えた。さらに暗闇の向こうにも膨大な呪素が渦巻いているのが感じ取れた。敵の呪術師と合流したのだろう。
ザイドたちを裏切り者だと断定することはできなかったが、少なくとも現在の状況から見ても、彼らが敵方に密通していた可能性は高いだろう。
アリエルは息を整えながら全身に呪素を巡らせ、負担にならない程度に身体能力を強化していく。敵は射手だけでなく、呪術の使い手も近くにいる。逃げ場のない狭い廊下で戦うにはあまりにも不利な状況だったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
机の陰から顔を出して敵の動きを確認しようとしたときだった。燭台で揺れる蝋燭の光を反射して、矢の先端がキラリと光るのが見えた。アリエルが咄嗟に頭を引っ込めると、かれの頭上を矢が通り過ぎていく。
敵の呪術師はアリエルがまとう呪素の気配を探り、射手に動きを伝えているのだろう。青年に向かって矢が的確に撃ち込まれるようになる。それらの矢は、先ほどの攻撃よりも威力は出ていなかったが、木製の机を破壊するには充分だった。
アリエルは転がるようにして壁際の柱に身を隠すと、敵が新たな呪術を準備しているのを感じ取りながらも、反撃の機会を待つことにした。
額に冷たい汗が流れるなか、アリエルは息を整えていく。ここで敵の呪術師を倒さなければ、先に進むことはできないだろう。青年は壁と柱の隙間に身を潜めながら、周囲を見回した。すると壁に掛けられた鉄の楯が目に入った。それは錆びつき、かつての輝きを失った古い鉄の塊でしかなかった。しかし敵の攻撃を防ぐのに充分な強度がありそうだった。
アリエルは決意を固めると、壁の隙間から一気に飛び出した。次々と矢が撃ち込まれるなか、彼は立ち止まることなく楯に向かって突進した。そして壁のすぐ横を駆け抜けながら楯を手に取る。その冷たさとズッシリとした重さに驚くが、そんなことに構っている余裕はなかった。
素早く楯を構えると、身を低くして矢を防ぎながら暗がりに潜む敵に向かって突撃した。楯の面に当たった矢が甲高い音を立てながら弾かれていくなか、アリエルは全力で走り続けた。敵は諦めることなく矢を撃ち込んできていたが、錆びついた楯は充分に役割を果たしてくれた。
アリエルが楯を構えたまま射手に接近し、楯の面を叩きつけるように身体ごとぶつかると、射手は吹き飛ばされて地面に後頭部を打ち付けて動かなくなる。その隙を見逃すことなく、青年は次の標的である呪術師に向かって駆け出した。
呪術師は驚愕の表情を浮かべ、必死に攻撃の呪文を唱えようとしたが、アリエルの動きには追いつけなかった。正面から楯の打撃を受けると、その衝撃で地面に倒れ込んだ。
アリエルは一切の躊躇もみせず呪術師に馬乗りになると、楯の端を両手で持ち直し、敵の頭部に向かって楯を叩きつけた。最初の一撃で呪術師の頭部が割れて血液が飛び散る。次の一撃で頭蓋骨が砕ける鈍い音が聞こえた。それでも何度も、何度も、敵の頭部に楯の先端部分を叩きつけていく。
グシャリと肉が潰れ、骨が砕ける音が聞こえ、割れた頭蓋から脳漿が飛び散る。床に血溜まりができるとアリエルは手を止めて、荒い呼吸を繰り返しながら黒衣をまとった呪術師を見つめる。そして完全に息絶えたことを確認すると、ようやく立ち上がった。
彼の手は血にまみれ、楯の先端も真っ赤に染まっていた。しかしそれでも青年は冷静さを失っていなかった。戦闘の緊張感と疲労が一気に押し寄せるなか、倒れていた射手に止めを刺し、それから血の糸を引く楯を足元に捨てて廊下の先に進む。




