50〈塔の戦い〉
土鬼の大男がドサリと倒れると、周囲で戦いを目にしていた襲撃者たちの動きが一瞬止まるのが見えた。守人たちはその一瞬の隙を見逃すことなく、鋭い剣技で襲撃者たちに襲いかかり次々と斬り倒していく。剣戟が響き渡り、飛び散る血液で室内は赤黒く染まっていく。
と、そのときだった。突然どこからともなく〈火球〉が放たれた。あまりにも巧みな呪術の操作だったために、アリエルは呪術発動の兆候を見逃してしまう。〈火球〉が直撃する瞬間、青年は反射的に腕を持ち上げ、黒い羽根が特徴的な籠手で攻撃を防ごうとする。〈火球〉は接触と同時に爆散する。
耳元に響く轟音と激しい衝撃でアリエルは後方に吹き飛ばされ、背後の石壁に背中を強く打ちつける。
鈍い痛みに顔をしかめつつも追撃に警戒して顔を上げる。視界が揺れるなか、戦っている集団の中に異質な戦士が立っているのが見えた。他の襲撃者同様に黒衣をまとっているが、その姿には異様な威圧感があった。
黒い布から覗く頬には奇妙な模様の刺青が刻まれていて、それはまるで生きているかのようにうねり、絶えず動いているように見えた。彼女の細い目は冷酷で、感情の欠片も感じられない氷のような冷たさを放っている。視線が合うと、彼女の口元に不気味な笑みが浮かびあがる。その笑みは彼女がまとう異質な雰囲気をさらに強調していく。
彼女が呪術師で間違いない。手元には目に見えるほどの膨大な呪素が集束していて、大気がピリピリとした緊張感で満たされていくのが感じ取れる。彼女の周囲には呪力の火花が飛び交い、まるで空間そのものが彼女の呪力に影響されているかのようだった。〈火球〉を形成しているのは明らかで、次の瞬間には強力な攻撃が放たれるのだろう。
「終わりだ、赤眼の守人」
呪術師が小声でつぶやくと、手のひらに集束していた呪素が赤く輝いていく。その光は次第に大きくなり、火の球が形成されて凄まじい熱気に大気が揺らめくのが見えた。アリエルは攻撃に備え意識を集中させると、周囲の戦闘音が遠ざかり、世界がゆっくり動きはじめる。
その一瞬の間に青年は考えを巡らせる。攻撃を避けるのか、それとも反撃するのか。選択肢は少なく、かれの周囲には守るべき兄弟たちがいる。アリエルは腰を落として身を低くすると、ザザの毛皮から棒手裏剣を取り出し、流れるような動作で手裏剣を打つ。
回転を加えることなく真直ぐ放たれた手裏剣は、狙いすましたように呪術師の手首に突き刺さる。次の瞬間、青年に向かって撃ち込まれるはずだった火球が暴発する。アリエルは敵に向かって転がると、わずかに軌道がそれていた〈火球〉を躱し、そのまま呪術師の懐に飛び込む。
「これで!」
手元の剣に呪力を流し込むと、凶悪な刃が赤黒い瘴気を放っていく。それは血を求めるように手の中で震える。その感触にアリエルは顔をしかめながらも、躊躇することなく強烈な一撃を放った。
「やられるの!?」
呪術師は驚いた表情を浮かべ、そして攻撃を避ける間もなく額に刃を受け、断末魔の叫びとともに崩れ落ちる。
アリエルは攻撃に警戒して後方に飛び退くと、息を整えながら周囲を見回す。しかしすでに襲撃者たちの多くは打ち倒されていて、最後に残っていた戦士もルズィの刃によって斬り殺される。
足元から立ち昇る血の匂いと、雨とともに吹き付ける冷たい風が熱を持った身体を冷やしていく。戦闘の緊張が解けると疲労が一気に押し寄せてくるようだったが、まだ終わりではない。今も砦のあちこちで兄弟たちが侵入者と戦っているのだ。耳を澄ましてみると、姉妹の呪術が炸裂する音や、金属がぶつかり合う音が微かに聞こえてくる。
すぐに支援しに行きたかったが、まず目の前にいる兄弟の治療をすることにした。アリエルは毛皮から〈治療の護符〉を何枚か取り出す。呪素に反応して薄く光を放つ護符は、あらゆる傷の治癒を促進する効果が付与されている。
アリエルは負傷して座り込んでいた守人のそばにしゃがみ込むと、適当な布で血液を拭き取り、護符を傷口に押し当てる。髭面の男は痛みに顔を歪めるが、護符が熱を持たない炎に包まれていくと、傷口の出血が徐々に収まっていく様子が確認できた。完全に治療することはできないが、少なくとも出血は止められる。
「助かった」壮年の守人は弱々しく微笑みながら言う。
その言葉に青年はうなずきで答える。かれの治療が終わると、すぐに別の兄弟の状態を確認していく。奇襲を受けたさいに手ひどくやられたのだろう。守人の多くは背中や肩を斬りつけられていて、あまりの痛みに立っていることさえ困難だったことが窺えた。
兄弟たちの治療が一段落したことを確認すると、ルズィのそばに向かう。かれは砦周辺の様子が記された地図を床から拾い上げていたが、手に付着した血で地図が汚れるのを見て「クソったれ」と舌打ちする。
「腹の傷は?」
アリエルの言葉にルズィは思い出したように腹部の傷を確認し、それから青年から受け取った護符を押し当てる。
「大丈夫だ。それより掩護に感謝する。エルとラライアが来てくれなければ、もっと厄介なことになっていたかもしれない」
「ヤシマ総帥は無事なのか」
「ああ、ザイドたちが安全な場所まで連れて行ってくれている」
「そうか……なら俺とラライアは兄弟たちの支援に向かうよ」
「そうしてくれると助かる。あっちには照月家の武者と豹人の姉妹がいるけど、敵のなかには強力な呪術師が紛れ込んでいるからな」
アリエルはふたたび戦闘の準備を整えていく。懐に忍ばせた棒手裏剣を確認し、護符の残りを数え、次なる戦いに向けて気を引き締める。ラライアに声をかけて部屋から出ていこうとしたときだった。青年は立ち止まって振り返る。
「ところで、ザイドたちは何しに総帥の塔に来たんだ?」
「相談があるとか何とか言ってたけど、襲撃でうやむやになったんだ。なにか気になることがあるのか?」
「気になるといえば気になることがある。襲撃者たちが利用していた〈転移門〉を見つけたときにも、ザイドの部隊と居合わせたんだ。あのときは偶然だと思って気にならなかったけど、樹木の陰に身を潜めながら何かを待っているような様子だったんだ」
「何かって、まさか敵の呪術師と落ち合う予定でも――」
ルズィはそこまで言うと、アリエルの目じっと見つめながら何かを考える。彼の目には、ある種の疑念が浮かび始めていた。そしてソレは誰もが恐れていたものでもあった。
「誰にもその存在を知られていなかった遺跡の近くに偶然に居合わせただけじゃなくて、今回も襲撃の現場に偶然を装って居合わせた……のか?」ルズィは思考を巡らせるようにして言葉を口にしていく。
「総帥の塔は――」アリエルが言う。「つねに兄弟たちが見張りに立っていて、手練れの襲撃者たちでも近寄るのは難しいはずだ」
「なのに」ルズィが続きを口にする。「襲撃者たちは誰にも知られずに監視の目を掻い潜って侵入してきた……いや、それだけじゃない。連中はどうやって砦に侵入してきたんだ?」
雨の音が強くなるなか、ふたりの間に緊張感が漂う。ザイドが砦内から手引きをしていたのなら、それも難しいことではなかったのかもしれない。ルズィはじっとアリエルの顔を見つめたあと、すぐに決断を下した。
「クソっ、すぐにザイドたちのあとを追うぞ。あいつが裏切り者なら、このまま放置するわけにはいかない」
アリエルはうなずくと、兄弟たちにルズィの言葉を伝える。
「総帥が簡単に連れ去られるとは思えないが、何か起きる前にザイドの部隊を追跡し捕縛する。全員、警戒は怠らないでくれ、ザイドは臆病者だが狡猾でもある。俺たちの追跡を予想して伏兵を忍ばせているはずだ」
「行くぞ!」
ルズィの声とともに彼らは塔を出て雨が降りしきる広場に向かう。襲撃者たちと戦う兄弟たちの声が聞こえるようになるにつれて緊張感が高まり、ふたたび戦いの渦中に引き込まれていく嫌な感じがした。




