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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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05〈ウアセル・フォレリ〉


 ウアセル・フォレリは多くの才能に恵まれていたが、彼の最大の幸運は〈黒い人々〉の一族として、この世に生を受けたことだった。


 浅黒い褐色(かっしょく)の肌に透き通るような青い瞳を持ち、すらりと背が高く筋肉質だが、彼は(たたか)いを好まず、それよりも知識を得ることに貪欲(どんよく)で、暇さえあれば父親の書斎で読書に(ふけ)る子どもだった。そしてそれは、鉱山や毛皮交易などで財を成した裕福な一族に生まれたからこそ享受(きょうじゅ)できることだった。


 彼は若くして一族の呪術師たちと肩を並べられるほど呪術の操作に長け、そして多くの書物を通して森の歴史に精通していた。もちろん、年頃の青年を放っておくほど部族の女性たちは大人しくなかった。


 青年は好きなときに彼女たちと寝て、好きな酒を楽しみながら、しかし読書や学びのための時間を(ないがし)ろにすることはなかった。知識と探求心こそ彼のすべてだったからだ。そして彼はそれを病的に信じていた。


 あるいは、美しい女性たちの微笑(ほほえ)みの裏にあるモノを見透かしていたからなのかもしれない。青年は決して肉欲に(おぼ)れず、たしかな信念のもとに一族の仕事を手伝い、〈森の子供〉たちを意味する〝フォレリ〟の姓に恥じない生き方をしてきた。


 しかし十四歳の命名日の祝いに特別に連れて行ってもらった〈境界の砦〉で、彼は衝撃的な出会いを果たすことになった。


 剣戟(けんげき)が響き渡る訓練所で、その少年は異質な存在感を放っていた。体格に恵まれたわけではないが素早い身のこなしで守人たちを攻めたて、確実に勝利を引き寄せていた。少年が動くたびに月白色(げっぱくいろ)の髪は輝き、深紅(しんく)の瞳は(あや)しく(またた)いた。


 それは書物で何度も目にしてきた古の神々が舞い踊る姿に似ても似つかなかったが、そのときに青年が頭に思い描いたのは、まさに神々のための武舞そのものだった。


 武術の稽古が終わると、ウアセル・フォレリは赤い眼の少年に声を掛けた。息を切らし、刀の重さで熱を持った腕の筋肉を()んでいた少年は眉を寄せ、警戒の表情を見せた。


 少年は〈黒い人々〉の商人を何度も目にしていたが、背が高く、青い眸をした青年の上品な笑みを見て驚いた。金糸で複雑な模様が刺繍された絹の服を着た青年は、自分よりも二歳ほど年上だったが、ずいぶんと大人びているように思い、これこそ首長の風貌だと感じたほどだった。


 きっと神々は〈黒い人々〉のいいところだけを集めて、この青年に与えたのだろうと考えた。そして同時に、それがどれほど残酷な現実なのかも理解した。境界の砦には強盗犯や強姦犯、それに仲間に裏切られ負債を抱え財産を失い砦に送られて来た者、家族を持たず部族に馴染めなかった者などで(あふ)れている。そしてかれらの多くは(みにく)(まず)しい顔立ちをしていた。


 駄獣(だじゅう)に蹴られた所為(せい)で頭部が(へこ)んでいる者や、栄養失調で発育が悪く()じれた背中を丸めて歩く者、つねに肥溜めのような体臭を発している者や歯が抜け落ちた者、そして森で手足を失くした者や戦災孤児など、言い出したら切りがない。でもその青年は、彼らが持っていないすべてを持って産まれてきたように思われた。


 それは驚きに満ちた出会いだったが、ウアセル・フォレリが少年に()かれたように、アリエルと名乗った少年も彼の存在に強い興味を持った。そしてそれがふたりの友情の始まりでもあった。


 あるとき、青年はアリエルにこんな質問をした。

「君の種族を教えてくれないか」と。


 〈神々の森〉として知られる原生林には、多種多様な種族が存在するが、その多くは排他的(はいたてき)で他種族を嫌う傾向がある。人間の部族の間でも亜人の存在が受け入れられないこともあり、種族に関する質問は、ときに大きな問題を(はら)んだ繊細な話になることも多かった。


 けれど質問されたアリエルは、きょとんとした顔で答えた。

「知らない」と。


 アリエルは孤児だった。境界の砦のすぐ近くにある〈獣の森〉で拾われた子どもで、砦にいる多くの守人のように、親を知らない孤児だった。だから種族は(おろ)か、神々に与えられる〝真名〟――呪術師たちにとって極めて重要な意味を持つ本当の名前も知らなかった。


 ウアセル・フォレリは、自分がしてしまった軽率な質問に後悔し、すぐに親友に謝罪した。彼は親の仕事を手伝う過程(かてい)で、隊商と共に多くの村を訪れ、(まず)しい人々の暮らしや子どもたちを目にしてきた。


 しかし自分の心臓の(そば)に置いていた親友と呼べる人間に、悲惨な過去があることを知り青年は打ちのめされた。薄い膜を通して見ていた世界が色づいて、現実味を帯びる。


 森で暮らす人々の苦しい生活が、もはや他人事として考えられなくなったのも、その経験があったからなのかもしれない。それからというもの、青年はこれまで(たくわ)えてきた知識を活かし、人々の生活を改善するための取り組みを行うようになった。


 人々の望みは作物を育てられる肥沃(ひよく)な土地と、略奪と戦争の影に(おび)えない暮らし、そしてなにより、健康な子どもを(さず)かることだった。けれど豊かな土地には人々を餌食にする獣や昆虫が徘徊し、種族間の衝突もあとを断たない。大いなる〈神々の森〉は生命に満ち溢れているが、同時に死の森でもあるのだ。


 青年が知恵を絞り作物に適した土壌(どじょう)を見つけ、水を運ぶための灌漑水路(かんがいすいろ)をつくる計画を立てても、労働力は(いくさ)によって奪われてしまう。


 いつからか青年の目は、権力者たちの影響が及ばない森の外に向けられるようになった。人々を救う方法があるとすれば、それは森を出て、豊かな土地を手に入れるほかないのだと。けれど森の外に出た者は存在しない。脅威が蔓延(はびこ)る森での長旅はあまりにも過酷で、そして〝森の外〟というものが本当に存在しているのかを証明することもできなかった。


 しかしウアセル・フォレリは、ついにその手掛かりを見つける。密林に埋もれた遺跡を調査したときに偶然発見した文献(ぶんけん)によって、たしかに森の外に文明が存在し、森で生活する人々のように神々の血を継ぐものたちがいることが分かった。

 そして人々を森の外に(みちび)く〈遺物〉が存在することを突き止めることができた。



 言い争いだろうか、騒がしい声が聞こえてくると、ウアセル・フォレリは重い本を閉じて廊下に続く両開き扉の前に立った。この砦では何もかもが大きい。扉や机、椅子に至るまで大きくつくられている。かつて多くの亜人が組織に所属していた名残だろう。


 廊下に出ると、慣れ親しんだ友人の顔が見えた。どうやら守人たちと言い争いをしていたのはアリエルのようだ。彼は数人の守人に囲まれていたが、ウアセル・フォレリは落ち着いていた。これもいつものことだと。


「てめぇ、もう(おり)から出てきたのか!」

 過剰歯(かじょうし)だと思われる歯並びが最悪な男が唾を飛ばしながら凄む。けれど真正面から敵意を向けられたアリエルは素っ気なく返事をする。

「二日も地下牢(ダンジョン)にいたんだ。ただの喧嘩にしては重すぎる罰だと思うけど」

「ただの喧嘩だと! やつはな、やつは――!」


「それとも」と、アリエルは男の懐にすっと入る。

「お前が地下牢(ダンジョン)に戻る手伝いをしてくれるのか?」


 アリエルの言葉に男が尻込むのを見て、ウアセル・フォレリは思わず吹き出してしまう。声をあげて笑う青年に目が集まると、彼の周囲に立っていた〈黒の戦士〉が前に出る。


「大丈夫だ」と、青年は笑みを浮かべながら言う。

「友人に会いに来ただけで、君たちと争う気はない」


 殺気立っていた守人たちは、軽い口調の青年とは対照的に鋭い目つきで自分たちを睨む〈黒の戦士〉を見て興醒(きょうざ)めし、悪態をつきながらその場からいなくなった。


「それで」と、アリエルは口の端に笑みを浮かべながら言う。

「俺が助けを求めているって、誰が言ったんだ?」


「ねぇ、君。僕は頼まれなくても助けに入る、それが友人というものさ。忘れたのかい、僕たちは今でも親友なんだぜ」

 ウアセル・フォレリの言葉に、アリエルは笑いだしてしまう。

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