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アリエルたちは呪術師の攻撃から身を守るため、深い密林の中を絶えず動き回らなければいけなかった。〈火球〉の呪術によって周囲の草木が炎に包まれ、不可視の衝撃波で足元がぐらぐらと揺れる。しかし依然として敵の居場所は掴めず、目に見えない脅威にさらされていた。
豹人の姉妹は樹木の陰に隠れると、精神を研ぎ澄まして〈気配察知〉で森に潜む脅威を見つけるようとする。しかし〈隠蔽〉だけでなく、〈幻影〉の呪術も使用されているのか、木々や地形そのものが不規則に変化する錯覚にとらわれる。
まるで〈枯木人〉のように枝が自在に動き、その影のなかに敵の姿を垣間見る。けれどそれは存在しない幻で、すぐに鬱蒼とした茂みに変わる。
突然、アリエルのすぐ近くで空気を焼き尽くすような熱風と共に〈火球〉が炸裂する。青年は身を躱し、大樹の幹に背中をつける。その瞬間、大気が揺れ、足元の枯れ葉が渦を巻くように浮き上がるのが見えた。衝撃波が発生する前兆だ。青年は反射的に横に飛び退くと、大樹の根がつくりだす深い溝のなかに身を隠す。直後、凄まじい炸裂音が轟く。
爆発の残響に包まれ、ひどい耳鳴りがするなか、アリエルは息を切らせながら立ち上がる。焦げ臭い空気が森の中に漂い、どこからともなく〈火球〉が放たれ、戦狼の周囲で炸裂していくのが見えた。燃えさかる炎のなか、若いオオカミは一歩も引かず、大樹の幹を蹴るようにして立体的に森の中を飛び回りながら攻撃を避けていた。
悲鳴が聞こえて背後を振り返ると、リリが不可視の衝撃波を受けて倒れるのが見えた。直撃ではなかったので大事には至らなかったが、呪術師の姿を見つけることができなければ、最悪な状況になる可能性もある。
そこでアリエルはあることに気がつく。それはある種の直感のようなものだった。これまで、呪術による攻撃がひとりの呪術師によって行われていると考えていたが、複数の呪術師が連携して攻撃している可能性があった。そのうちの数人は〈幻影〉や〈隠蔽〉の呪術を駆使して味方の姿を隠し、もう一方の集団は攻撃に専念しているのかもしれない。
呪術師たちが使用する術の特性を考えれば、見通しがいい場所に身を潜め、安全な場所から味方を掩護している可能性があった。アリエルは視線を上げ、空高く聳える大樹の枝を注意深く観察していく。
木々の間に射し込む無数の光芒が揺れ動くなか、一際太い枝に青年の目が吸い寄せられる。景色が不気味に歪んでいるのが見えた。現実と幻影の境界がぼやけて見えているのかもしれない。そこに本来、存在しないはずの雑草が生い茂っているのも確認できた。それはひどく不自然な光景に見えた。
森に生息する怪鳥の巣の可能性も考えられた。枝や雑草だけでなく、遺跡などに放置された盾や木材などを使ってしっかりした巣をつくる傾向があるので、雑草が敷き詰められていても不思議ではないのかもしれない。しかしその場所で鳥の姿を見ていなかったことを思い出す。であるなら、〈幻影〉の影響でつくりだされた景色の可能性が高い。
アリエルは〈消音〉の呪術で足音を消すと、木々の陰に身を隠しながら慎重に呪術師たちが潜んでいた大樹のそばに近づいていく。心臓の鼓動が速くなり、精神は研ぎ澄まされていく。周囲では〈火球〉による炸裂音が轟いて、オオカミの唸り声が聞こえていたが足元に集中して歩き続けた。
呪術によって足音は消せるかもしれないが、アリエルの呪術は完璧ではなく、音を立てない空間をつくり出すことはできなかった。だから枯れ葉や枝を踏み抜く音が聞こえてしまう可能性があった。同様に隠密行動に特化した呪術も完璧に扱えるわけではないので、慎重に進み続けるしかなかった。
敵の呪術師による攻撃が続けられるなか、青年は動きを止め、息を殺しながら敵の位置を確認する。それから苔生した樹皮に手をかけ、手掛かりを探しながら慎重に登っていく。大樹の幹は太く、しっかりと身体を支えることができたが、突風が吹くたびに腕を固定し、枝葉のざわめきが遠ざかるのを待つ必要があった。
慎重に枝に手をかけ、ひとつひとつの動きを確認しながら登っていく。枝から垂れ下がる苔状の地衣類は滑りやすくなっていて、どうしても音を立てる可能性がある場合には、動きを止めて〈火球〉が炸裂する瞬間を待つ。そして爆発の瞬間、近くの枝に向かって飛び付くようにして移動していく。
その過程で何度か落下しそうになったが、身体能力を強化する呪術は使用しなかった。敵に微かな呪素の流れを察知され、潜んでいることが発覚してしまう可能性があるので、自力で登っていくしかなかったのだ。
やがて敵が潜んでいると思われる枝に到達した。大樹の枝は太く、それなりの歩幅があるため、数人の呪術師が一箇所に潜んでいてもおかしくない。アリエルは死角になりそうな場所で身を屈めると、空間に微かな歪みが発生している場所を注意深く探し、僅かな異変を見つけると状況が分かるまで観察を続けた。
やはり呪術師たちは〈幻影〉を使って身を隠していたのだろう。見る角度によって雑草がツル植物に変化したかと思うと、陽炎のように大気が揺らめく様子が確認できた。
光の加減や呪素の乱れが影響しているのかもしれない、一瞬だったが、呪術師たちの姿を見ることができた。敵は〈赤頭巾〉に所属する手練れの呪術師だと思っていたが、どうやら蛮族の呪術師たちのようだ。獣の毛皮を身にまとった上半身裸の男たちが、杖を手に古代の呪文を口にしているのが見えた。
その小汚い呪術師たちが口にする呪文は共通語ではなく、古代の言葉で紡がれ、その声は古の神々のための祈りのように荘厳であり、力強い響きを持っていた。数人の呪術師だけで大規模な〈幻影〉を発生させられるのは、部族の伝承のなかで受け継がれてきた古の呪術のおかげなのかもしれない。
アリエルはそっと息をつくと、〈収納空間〉から長弓を取り出し、指先で弦の状態を確かめながら矢をつがえる。その動きは静かで、呪術師たちの注意を引くことはない。その間も青年の視線は呪術師たちに向けられたままだ。その眼差しは鋭く、意識は敵にのみ向けられ、世界そのものが忘れているかのようだった。
気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと呼吸しながら弓弦を引く。微かな鼓動音だけが聞こえてくる。やがて青年は一瞬の躊躇いもなく、標的に向かって矢を放った。弓弦が解かれる瞬間、耳元で微かな風切り音が聞こえた。
矢は空気を切り裂きながら進み、闇の中の幽鬼のように、標的に向かって真直ぐ飛んでいく。そして、矢が目標に命中する瞬間、静寂の中に鋭い音が鳴り響き、敵はその場に崩れ落ちる。アリエルが放った一撃は混乱した戦場に一瞬の静寂をもたらす。
青年は敵に反撃の猶予を与えることなく、間髪を入れずに矢を射る。目にも止まらぬ速さで矢が放たれると、闇の中に光の筋が見えた。次々と放たれる矢は雷のように凄まじい勢いで飛び、敵の身体を貫いていく。
敵は矢に貫かれるたびに悲鳴を上げ、その苦しみと混乱の中で枝から足を踏み外していく。そうして地面に向かって落下する彼らの身体は、太い枝に何度も衝突を繰り返しながら鈍い音を立てていく。
グシャリと嫌な音を立てながら潰れていくさまは絶望的で、また息をしている者たちの心に恐怖心を植えつけていく。アリエルの狙いは正確無比で、敵を動揺させ戦場での優位性を確保していく。そして敵の半数を射殺したところで、それまで敵の姿を隠していた〈幻影〉が見事に消え去る。
戦狼だけでなく、ノノとリリも潜んでいた敵の姿を見つけられるようになると、すぐに反撃を行う。安心しきっていた敵対者たちは反撃に対して戸惑い、ひどく混乱することになり、攻撃の隙を与えてしまう。




