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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 中編

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 太陽の光すら届かない暗くて陰鬱な密林を抜けると、戦闘の痕跡が残る悲惨な場所に出くわした。アリエルたちの目の前に横たわるのは、これまでにも何度も見てきた生者の苦痛と死者の静寂がつくりあげた風景だった。


 この薄暗い場所では死者の数を正確に数えることも難しいが、見渡す限り死体が横たわっているのが確認できた。戦士たちの血が土壌に染み込み、戦いの(わだち)が深く刻みこまれていた。


 ふと足元に視線を落とすと、複雑に絡み合う植物の根が大地を(おお)い尽くしていることに気がついた。ソレは血を求めるようにして、ゆっくりと()ってきたのだろう。


 生々しい血溜まりのなかには、枯れた葉や折れた枝と一緒に斧やら槍が散らばっている。つめたい風が吹くたびに、錆びた鉄の臭いと糞尿の悪臭が立ち込めていて、ノノとリリは思わず顔をしかめていた。鼻が敏感な豹人にとって、それは耐えがたい臭いなのだろう。


 地面に横たわる死者の多くは見慣れない蛮族だったが、その表情には恐怖や苦しみが刻まれていた。その戦場のあちこちで地面を穿(うが)つ大きな穴が見られた。凄まじい衝撃によって円形状に陥没した穴のなかには、手足やら内臓が絡み合ったままの死骸が確認できた。その多くは土を被っていたが、欠損していない死骸はひとつもない。


 周囲の密集した木々は戦闘の影響を受け、その多くが根元から折れ、薙ぎ倒されて根こそぎ引き抜かれたりしていた。だからなのか、この場所には陽光が射し込んでいて、ヌラヌラとした鮮血を目にする機会が増えた。森の環境を破壊するほどの大規模な呪術が使われたのだろう。


 倒れた木々の太い幹には、かつて人だったモノの一部がこびり付き、血液が付着していて赤黒く染まっていた。昆虫や鳥たちの鳴き声は途絶え、ただ深い静寂に沈み込んでいる。その静かな空間に、死者たちの苦悶の(うめ)きだけが木霊する。言葉のまま、空気は凍りついていて、死者の怨念に引き寄せられた幽鬼の気配がそこかしこに感じられた。


 その悲惨な戦場のなかでアリエルたちの目に飛び込んできたのは、苔生した巨岩に横たわる戦狼(いくさおおかみ)の死骸だった。その身体は白銀の毛で覆われ、まるで月の光を反射しているかのように輝いていた。しかし美しい毛並みは、血液と汚泥にまみれていて、惨たらしい傷口からは大量の血液が噴き出した痕が確認できた。


 ラライアが率いていた若いオオカミの死骸なのだろう。若さ故の無謀さで戦いを挑み、そして蛮人との戦いで油断したのか、それとも強力な呪術によって打ち倒されたのか、その真相は分からなかったが、死に様からは激しい戦いが行われたことが(うかが)えた。


 しかし群れで行動するはずの戦狼が、単身で死地に乗り込むような無茶な行動を取るだろうか、ましてやラライアたちが同胞(はらから)の遺体を放置するなんてことはあるのだろうか。けれど実際に、アリエルたちの目の前には放置されたオオカミの死体が横たわっていた。


 身体のあちこちに蛮人の槍や刀が突き刺さり、血溜まりのなかに横たわっている。その表情には苦痛と絶望が刻まれ、見開いたままの目には怒りと哀しみが映し出されていた。血に染まった体毛はくしゃくしゃになり、生命が奪われた瞬間の苦痛が浮かび上がっているようだった。


 若い戦狼は恐るべき身体能力だけでなく、捕食者としての本能に基づいた強大な力を持ち合わせているにも(かか)わらず、この密林で息絶えることになった。


 その死を――ある種の現実感を(もっ)て受け入れたとき、アリエルたちは背筋が凍るような恐怖を感じた。その死は単なる戦闘の結果ではなく、何か〝より大きな存在〟がいたことを示唆しているようにも感じられた。近くに戦狼すら倒せるほどの、なにか得体の知れない脅威が潜んでいるのかもしれない。


 それがどのような姿をしているのか分からなかったが、その不確かさがアリエルたちの不安を掻き立て、森の暗闇をより恐ろしいものに感じさせた。今も薄暗い木々の間から誰かに監視されているかのような、嫌な感覚に精神が支配されていく。が、立ち止まるわけにはいかない。


 あとで遺体を回収できるように、すぐ近くに〈輝石(きせき)〉を残していくことにした。その軽石は呪素(じゅそ)に反応して微かな光を放ち続ける特性があり、鬱蒼とした森で迷わないように道標として利用されることもあった。


 それからアリエルたちは、戦いの痕跡を追うように森のなかを進んだ。途中、ひどく損傷した死体を見つける。


 それは黒衣を身につけた守人の死体だったが、何か凄まじい衝撃を受けたのか、頭部が吹き飛んでいた。死体は、そのときの衝撃でつくられた穴のなかに横たわっていた。その穴の縁に座っている戦士の姿が見えたが、彼は死んでいて、近づいたときの振動に反応して穴のなかにゆっくりと倒れ込んでいった。


 呪術師が率いていた投石部隊による攻撃だろうか。ここでは敵味方を問わず、激しい攻撃が行われたようだ。周囲を見回すと、衝撃波で薙ぎ倒された木々が見えた。蛮族の戦闘部隊と守人が集中攻撃を受けて、この場所でまとめて殺されたようだ。


 その場から離れようとすると、ひとりの蛮人が倒木に寄り掛かっているのが見えた。彼は目を負傷していたのか、両目を塞ぐようにボロ布を頭部に巻いていた。彼は目が見えず、武器も持たず、ただその場に座っているだけの状態だった。ここで行われた戦いの唯一の生き残りだったのだろう。


「誰だか知らないが、もうたくさんだ」と、蛮人は訛りの強い共通語で言った。「俺はこの馬鹿げた戦いから降りる。てめぇらはそこで好きなだけ殺し合いをつづけていろ」


 蛮人はそう言って立ち上がると、適当な枝を拾い、それを杖のように使いながら木々の間に消えていった。たとえ目が見えていたとしても、彼が生還することは難しいだろう。


 それからもアリエルたちは何人かの生存者に遭遇したが、多くの場合、戦士たちは戦闘の影響で錯乱していてまともに話すことすらできなかった。よほど悲惨な目に遭ったのだろう、筋骨逞しい蛮人の多くが身体を震わせ、意味のない言葉を繰り返しつぶやいていた。


 鬱蒼とした木々が生い茂る密林のなか、空気を裂くような甲高い悲鳴が聞こえた。どこかに負傷者がいるのかもしれない。アリエルたちは警戒しながら声が聞こえる方向に進み、悲鳴の発生源に近づいていく。


 すると陥没した穴のなかに蛮族の戦士が横たわっているのが見えた。かれは腹部から血を流していて、ひどく苦しそうにしていて、辺りには彼の仲間だと思われる死体が散乱していた。リリが近づこうとしたが、ノノはすぐに彼女の動きを制した。アリエルにも敵の気配が捉えられなかったが、彼女の〈気配察知〉には敵の姿が確認できていたのだろう。


 アリエルはノノの言葉に従い、樹木の陰に隠れたまま敵の姿を探すことにした。相手は戦い慣れした戦士、あるいは暗部に所属する精鋭なのかもしれない。気配を捉えることはできたが、敵の正確な位置を把握することができずにいた。穴の中にいた哀れな戦士は、五分ほど悲鳴を上げ続けていたが、やがて聞こえなくなり森に静けさが戻る。


 その奇妙な静けさのなか、瞼を閉じるようにして精神を集中させていたアリエルは、膨大な呪素の流れを見つける。それは巧妙に隠蔽されていたが、たしかに呪術を扱う者によって操作されていた。標的を見つけたかもしれない。アリエルはすぐに相手の姿を確認したかったが、今は動くことすらできなかった。


 どれほどの時間が経っただろうか、ノノに手振りで敵の位置を教えてもらうと、アリエルは毛皮の〈収納空間〉から長弓を取り出し、敵の遺体から回収していた特殊な矢をつがえる。攻撃に気づかれないように一撃で始末する必要があった。ゆっくり弓をおこしたあと弓弦をひき絞ると、弓が微かな音を立ててしなる。


 そして放たれた矢は音すらも置き去りにして、目に見えない力をまといながら飛び、暗がりに潜んでいた敵を射殺した。それは一瞬の出来事で、敵は攻撃されたことに気づきもしなかった。

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