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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
23/499

03


 どこか遠くで水の(したた)り落ちる音が聞こえた。それは洞窟の湿(しめ)った壁に反響して、いつも以上に大きな音に聞こえた。


 アリエルは針の先ほどの光もない暗闇のなかを歩きながら、暗がりに潜むモノたちに注意を向け、かれらを刺激しないように慎重に進み続けた。水に濡れて(すべ)りやすくなっている場所までやってくると、滝のように流れ落ちる水音が聞こえるようになる。


 青年は不確かな足もとに神経を集中しながら、ひたすら歩き続けた。やがて水音が轟音に変わると、彼は立ち止まり、明滅する瞳を動かして進むべき道を(さが)した。岩の裂け目のようにも見える脇道が確認できると、両側が切り立った崖になっている細い道をゆっくり歩いた。


 泥濘(ぬかるみ)で足もとはひどく(すべ)りやすい。ここで足を滑らせて深い穴の底に落ちてしまえば、たとえ神の子でも命が助かる見込みはないだろう。


 どうやら見習いたちの装備を預けるために安全地帯まで戻ったのは正解だったようだ。長雨の所為(せい)で川の流れが激しくなっている。重い荷物を背負っていたら、この場所を無事に渡ることはできなかっただろう。


 深い穴の底から吹き(すさ)ぶ強風に身体(からだ)を揺られながら青年は歩いた。その風の音は古墳地帯に木霊(こだま)食屍鬼(グール)(うめ)き声にも聞こえた。一度でも立ち止まってしまったら、恐怖に足がすくみ動けなくなるかもしれない。だから足を動かし続けた。


 境界の砦の地下は果てのない迷宮になっている。それでも守人たちは地底からやってくる混沌の怪物から人々を守るため、数世紀もの間、〈混沌の領域〉に(つな)がる無限階段の偵察を強いられ続けていた。まともな神経では近づくこともできない場所だったが、誰かがやらなければいけないことだった。


 そして守人たちが選ばれた。


 世界は理不尽な出来事で(あふ)れている。人々が森で終わりのない殺し合いを続けている間、守人は命をすり減らしながら暗闇のなかを歩いている。いっそのこと、混沌が(あふ)れて世界を呑み込んでしまえばいい。そうすれば、こんな嫌な気持ちを(いだ)いで暗闇を歩く必要もなくなるのかもしれない。


 得体の知れない気配が身体(からだ)のすぐ近くを通り過ぎていくのを感じると、アリエルは暗い考えを放り捨て、さっと周囲に視線を向ける。しかし目につくものは何もなかった。長い時間、深い闇のなかに身を置いた所為(せい)なのかもしれない、神経が過敏になっていた。


 岩盤(がんばん)にできた亀裂のような横穴に入り狭い道を進むと、水の音は徐々に遠ざかり聞こえなくなっていく。ここまで()れば目的地はもう目と鼻の先だったが、安心することはできない。混沌の気配に満ち満ちた場所を好み、地底から立ち昇る邪気を()らう生物が徘徊しているため、ここでは〝影のように静かに〟動かなければいけない。


 横穴を抜けて巨大な地下空間に存在する都市遺跡が見えてくると、青年は足を止めて黄金に(いろど)られた石造りの建造物の数々を眺めた。それは、これまでにも何度も目にしてきた光景だったが、〝旧支配者〟たちによって築かれた都市――神話のなかに登場する黄金の都市を現実のモノとして目にする衝撃は変わることがない。


 その都市の上方には、古の偉大な呪術師たちによって造られた太陽が浮かび、青白い光を放ちながら都市全体を照らしている。


 アリエルは眼下に都市遺跡を見ながら、岩盤に背中をつけるように移動して目的の場所まで傾斜を下っていった。まるで昼間のように明るい通りに人気(ひとけ)はないが、視界の(はし)に人影を捉えることがあった。はじめは錯覚だと感じるが、それが何度も続くと、錯覚などではなく現実に何かが存在していることに気がつく。


 しかしその存在をハッキリと認識することはできない。同じ場所に立っているのに、お互い別の時間に存在しているような、そんな不思議な感覚を経験することになる。


 都市遺跡の中央に続く真直ぐな大通りが見えると、アリエルは岩盤を離れ、都市に足を踏み入れる。複雑な建築様式を見せる都市は、森で生きる人々の技術を超越したモノたちの手によって築かれている。通りの両側には黒曜石の巨大な円柱が並び、その上には植物の根のような触手を持つ生物の彫像が立っている。


 それらの彫像は、ふたつとして同じモノがなく、それぞれの彫像は精緻な彫刻によって姿勢や触手の位置が異なるように造られていた。人間よりも大きく太い胴体は壺を連想させ、それを支えるのは地中に根を伸ばすように放射状に伸びている触手だった。


 人間であれば頭部がある場所には、折り重なった花弁(はなびら)が開いたような奇妙な器官がついていることが確認できた。その(いびつ)な器官の中心からは細い触角のようなモノが上方に向かって伸びている。


 今にも動き出しそうなほど精巧(せいこう)な彫像を眺めながら、アリエルは静かな通りを歩いた。かつてこの都市で守人たちは貴重な呪術器や〈神々の遺物〉を発見したと言われているが、その多くは時とともに失われてしまう。そして組織が弱体化していくと、都市を探索することもできなくなってしまった。


 名も忘れられた黄金の都には、数多くの秘宝が眠っている。けれど守人たちにできることは、混沌の脅威に見つからないように、ネズミのように隠れ進むことだけだった。


 三十分ほど歩くと、都市の中心に塔が立っているのが見えてくる。高さ数百メートルの巨大な塔だ。地底に続く無限階段は、その塔の内部に隠されている。


 石にも金属にも見える不思議な材質でつくられた大門は閉じられていたが、くぐり戸として機能する扉は開いていた。高さ五メートルほどの両開き扉の向こうに、目的の階段が見えた。


 アリエルは門に近づくと、その周囲に展開されている半透明の薄膜に触れる。それは神々の奇跡によって生成された結界で、この世界にとって脅威になる混沌の生物を通さないために存在していると言われていた。もっとも、アリエルたちを襲撃した小さな怪物は脅威とみなされず、往来できてしまうので確実な結界とは言えなかった。


 青年は結界が機能していることを確認したあと、その薄膜の向こうに広がる暗闇に視線を向けた。海底のように静かで、冷たい空間。そこに無数の(うじ)()っているのが見えた。


 手のひらほどの大きさの白い(うじ)は、壁や床を埋め尽くすほどの数が確認できたが、少なくなることもなければ、大量に発生してこちら側にやってくることもない。ただそこに存在する不思議な生物だ。


 それから青年は振り返ると、静寂(しじま)に沈む壮麗(そうれい)な都市を見つめた。偵察任務は呆気(あっけ)なく終わった。混沌の生物の襲撃もなければ、迷宮じみた洞窟で迷子になることもなかった。


 しかし本来、偵察任務とはこういう仕事だった。だからこそ見習いたちの実地訓練も行われる。けれど、どんなに警戒していても予期せぬ問題は発生する。


 見習いたちは不運にも混沌の怪物に遭遇して命を落とすことになった。そのことにアリエルは責任を感じていなかったし、責任を負う必要もないと考えていた。かれらは運に恵まれなかったのだ。そして運命に逆らうことができるものなどいない。



 安全地帯まで戻ってきたアリエルを出迎えてくれたのはラファだった。

「よかったです!」と、少年は無邪気な笑みをみせる。

「怪物どもの襲撃に遭ったと聞いて、心配していたんです」


「よかねぇよ」と、近くにいた髭面の守人が言う。

「そいつがしっかり面倒みてねぇから、見習いが全員死んじまったんだ」


「でも――」

 反論しようとするラファを睨みつけながら髭面の男は言う。


「でもじゃねぇんだよ。貴重な見習いを死なせやがって、だから俺は亜人なんて信用できねぇって言ったんだ。それなのに兄弟たちが甘やかすからこんなことになるんだ。俺たちの任務はなぁ、戦場でトカゲ野郎のナニを(くわ)えてまで、女をねだるようなガキに(つと)まる仕事じゃねぇんだよ」


 髭面の男は立ち上がると、大股でアリエルの(そば)まで歩いてきた。男が動くたびになめし革の鎧から小さな摩擦音が聞こえた。けれどアリエルはそれを無視して、濡れたアナキツネのマントを外し、泥まみれになっていた装備を手際よく脱いで保管棚に置いていく。


 とにかく疲れていたし、見習いをいたぶることを趣味にしているような男の相手はしたくなかった。


 けれどラファは我慢ができなかった。少年は臆病だったが、兄のように(した)っているアリエルが悪く言われていることが許せなかった。

「隊長は……誰かにモノをねだるようなことはしない」


 それを聞いた髭面の男は、ニヤリと(いや)らしい笑みを浮かべた。

「おい、なにか聞こえなかったか?」

 彼の言葉を聞いて、洞窟の通路を見張っていた守人たちが笑う。それに気を()くしたのか、髭面の男はラファに詰め寄る。

「おい、小さいの。もう一度、俺に口答えしてみろ」


「もう止せ」

 アリエルはうんざりしながら立ち上がると、ラファと男の間に立った。男は舌打ちして、それから不愉快そうな顔で言った。

「頭を下げて丁寧に頼めば、許してやらないこともない」


 アリエルが肩をすくめて、頭を下げようとしたときだった。

「てめぇじゃねぇ。俺が許すのはな、その小さいのだけだ」と、髭面の男は笑う。「でも、てめぇも許してほしいって言うなら考えてやるよ、女を一晩貸してくれるっていう条件で――」


「守人としての名誉のかけらもない人でなしだな」

 アリエルは言葉を吐き捨てると、男に背を向け、かれのことを完全に無視することにした。けれど髭面の男はアリエルが怖気(おじけ)づいたと勘違いして、それを攻撃の機会と(とら)えた。男が拳を振り上げた瞬間、青年は身体(からだ)(ひね)って男の腹を蹴り上げた。


 かれが胃液を吐き出しながら倒れると、青年はすぐに馬乗りになり、硬い地面に男の頭を何度も打ちつけた。手加減するつもりだったが、気がついたらひどく興奮していて、男が血を流しても手を止めることはなかった。

 暗がりのなかに兄弟たちの大声が響くまで、それは続けられることになった。

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