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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編

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 アリエルは足元に散らばる人骨を踏み砕くようにして、荒廃した遺跡の中心に向かって歩いていく。方尖柱を思わせる異様な石柱の周囲には、乾いてひび割れた骨が無雑作に積み上げられていて、それらの骨を踏み砕くたびに何か冷たい触感が足元を撫でていくように通り過ぎていくのを感じた。


 死者の怨念なのだろうか。背筋に悪寒が走る。けれどアリエルは立ち止まることなく、人骨の中心に鎮座する石柱に向かって歩いた。その奇妙な柱は青年を不可思議な世界に誘うかのように、呪術的な、ないしは魔術的な瘴気を放っていた。鳥肌が立つような暗く陰鬱な混沌の気配が漂い、かれの心を引き付ける。


 アリエルは自らの意志を手放さないように、呼吸を意識しながら石柱に一歩ずつ近づいていく。柱に近づくにつれて、青年の耳に奇妙な(ささや)き声が聞こえてくる。噂話が好きな小妖精が近くを飛んでいるようにも感じられたが、その背後にはもっと(おぞ)ましい存在が潜んでいるような不気味な感覚があった。


 カラカラと骨を踏み砕いて石柱に一歩近づくごとに、その囁き声が増えていくのを感じる。不可思議な言葉が耳元で囁かれるたびに、足を止めて引き返したくなる。自分は何か大きな間違いを犯しているのではないのか、といった根拠のない、それでいて何か言い知れない不安に苛まれて立ち止まりそうになる。


 やがて青年は石柱のそばにたどり着く。滑らかな石の表面には淡い燐光を帯びた浮き彫りが施されているのが見えた。ソレは微かな瘴気を発していたが、その光に呪術的な力は感じられない。なにか別の力が作用しているのかもしれない。上方に向かうにつれて細く尖っていく石柱を見上げたときだった、青年は柱に絡みつく白い蛇の姿を見た。


 その姿は幽鬼のように透けていて朧気(おぼろげ)で、(まばた)きのあとには消えてしまっていた。幻視だろうか。それはすぐに見えなくなってしまったが、アリエルはその瞬間に、混沌とした畏怖と純粋な恐怖が混じり合った暗い気配を感じた。何かがそこに潜んでいるのだ。そのことは確信していたが、深紅の瞳を以てしても不可視の存在を捉えることはできなかった。


 アリエルの心臓は激しく鼓動し、緊張によって身体が強張るのが分かった。その蛇は邪悪でありながら、自然と(ひざまず)いてしまうような崇高な気配をまとっていた。青年の心は己が目にしたものに対する興味と興奮に囚われる。


 もしかしたら――あれは〝神〟のような存在だったのではないのか。だからこそ恐ろしく、それでいて畏怖の念を感じるのではないのか。死と生の二重性を同時に感じさせる尊厳的な存在がそこにいる。理由は分からなかったが、アリエルは言葉を発しようとして、しかしすぐに口を閉じた。


 発言を許されてもいないのに、自ら神に話しかけようとしていた己の冒涜的で軽率な行為を恥じた。青年は許しを乞うように、すぐに祈りの言葉を口にする。そのとき、ふと石柱に刻まれた模様が目に入る。その模様には――あるいは象形文字には見覚えがあった。それは〈名もなき小さな蛇〉として知られる死と戦の神に関連するものだった。


 その蛇をあらわす文字は、古代の神話や部族の伝説に頻繁に登場する〝忌まわしきもの〟を象徴する古代文字とされてきたが、その石柱では死者や戦士たちの魂を導く文字と一緒に刻まれていた。そっと石柱に触れると、鉄紺に染まる腕に反応して周囲の大気が揺らめくような気がしたが、それは錯覚だったのかもしれない。


 滑らかな石材を撫でるように、アリエルは浮き彫りに沿って指を動かす。そこには死者のための祈りの言葉が丁寧に、細部までこだわって刻まれている。境界の砦に残された古い書物で見たことがあるので間違いないだろう。古代の呪文のような言葉が、深い信仰と神秘的な力を帯びながら石柱の表面に彫り込まれている。


 青年はその文字をじっと眺め、より多くのことを理解しようと試みるが、かれの知識では限界があった。もっと多くのことを学ぶことができれば良かったのだが、砦の書物の多くは組織の衰退とともに管理されることなく朽ち果てていた。


 神の存在を感じ取ったのか、近くにやって来ていたリリが眼を見開くようにして、じっと石柱を見つめている姿が確認できた。彼女は艶やかな黒い体毛を逆立たせて、長い尾を感情的に振ってみせた。


 アリエルは深呼吸したあと、〈転移門〉を開くことを意識しながら石柱に触れ、それから鍵となる腕輪に呪素(じゅそ)を流し込んでいく。


 指先が冷たくなるような感覚のあと、血流にのって全身に巡っていた呪素が抜けていくのが分かった。いやな感覚だ。痛みはないが、言葉では表現できない恐怖が頭を過ぎる。あるいは、それは死に対する原始的な恐怖なのかもしれない。


 そう、あの忌々しい恐怖だ。〈境界の守人〉だけでなく、この森で生きるありとあらゆる生命が向き合わなければいけない感情だ。その恐怖が濃縮されて、一気に襲い掛かってくるような感じだ。


 突然、大気を引き裂くような甲高い音が聞こえる。そうして〈転移門〉との間に一時的な精神のつながりを得たことを確認すると、アリエルは仲間たちに声をかけ崩壊しかけた建物を出る。振り返ると、先ほどまで(そび)えていた荘厳な遺跡の姿はどこにもなかった。そこには植物に埋め尽くされた大小様々な瓦礫(がれき)が散乱しているだけだった。


 仲間たちは建物が消失したことに驚いていたが、アリエルはあの遺跡の中で見た光景が幻の類ではなかったことを確信していた。石柱のそばで感じた崇高な気配や大量の骨が、ただの幻想だったとは到底思えなかったのだ。


 青年の瞼には、あの建物で見た光景がまだ鮮明に残っていた。それとも、この遺跡では現実と夢幻の境界が曖昧になっているのだろうか。すぐにこの地を離れたほうがいいのかもしれない。邪悪な気配に敏感なノノは妹の手を取ると、アリエルを急かすように歩き出した。


 瓦礫が散らばる植物に侵食された大通りを歩いていくと、石造りの〈転移門〉が見えてくる。その門は巨大で異様な存在感を放ち、周囲の建物を圧倒するような存在だった。その門も古代の技術や職人たちの手によって精巧に彫刻され、神秘的な雰囲気を漂わせていた。


 石工の多くは声を発するだけで巨石を持ち上げ、自在に石を加工し、そこに神々の言葉すら刻み込めたという。壮麗な遺跡を見ていると、それも事実のように思えてくるから不思議だ。


 やがて門の内側で異変が起きるのが見えてくる。最初、それはほんの小さな亀裂だったが、徐々に広がり、しだいに亀裂は大きくなり空間の歪みを生み出していく。薄い膜から漏れる光は夜の星々のように美しく輝き、門の周囲に神秘的な輝きを放つようになる。


 その歪みは大気中の呪素に反応し空気を震わせていく。門をじっと見つめていると、大気が陽炎のように揺らめいて、空間そのものが揺れ動くかのような錯覚を抱く。異次元への扉が開かれ、未知の世界が呼び寄せられているような感覚がするが、あながち間違いとは言えないだろう。


 門の内側で誕生した星々が踊るように光を発するのを見ながら、アリエルたちは移動のための最終確認を行う。〈空間転移〉可能な場所は限られていて、おそらく前回同様、中継地点として機能する閉ざされた異空間に移動することになる。そこで敵と遭遇するとは思えなかったが、なにが起きるのか予測するのが難しい空間なので、事前の準備は怠らないほうがいいだろう。


 抜き身の刀を手にした照月家の武者を先頭に、仲間たちが〈転移門〉に入っていくのを見届けたあと、アリエルは背後を振り返って遺跡を一瞥し、それから〈転移門〉に足を踏み入れた。

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