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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編

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71〈獣を狩りし者〉


 無数の石柱が暗闇にそびえ立ち、不気味な暗闇が光を吸い込むように空間を満たし、暗黒の世界に漂う静寂は凍りつくような恐怖を運んでくる。どこか遠くから長く尾を引くような女性の悲鳴が聞こえてくる。苦痛と恐怖が入り混じる悲鳴だ。その女性の悲鳴がアリエルの心を引き裂くような感覚を呼び起こし、彼の意識を現実世界に引き戻していく。


 それでもなお、暗く淀んだ(ふち)から(ささや)き声が聞こえる。外なる世界と内なる世界の境界が触れ合い、混じり合い渦をつくり出していく。ほんの少しばかり青年の意識は混濁のなかに沈み込むが、アリエルの名を呼ぶ声で少しずつ浮上していった。


 顔をあげると炉のなかで揺れる炎と、その向こうで微笑む美しき女族長の姿が見えた。炎は不安定な光を放ち、小屋の中で影が踊るように揺れている。その光に照らされた族長イスティリシの表情には力強さと優雅さが交じり合い、炎を受けた黒い眸は黒曜石のように光り輝いていた。


 アリエルは族長の姿を見つめつつ、自分がどこにいるのか、そして女性の悲鳴が何を意味しているのかを理解しようとした。だが――答えを見つけることはできない。ふと視線を落とすと、鉄紺に染まった右手が目に入る。やはり夢幻の類ではなかったようだ。


 青年の周囲には、炉を囲むように呪術師たちの死体が残されていて、鼻に突く腐敗臭を漂わせている。奇妙だったのは、死体の周囲につくられた血溜まりが――まるで数日のあいだ、そこに放置されていたかのように乾燥し黒く変色したいたことだ。


 豹人の姉妹や照月(てるつき)來凪(らな)も不可思議な現象に戸惑っているようだったが、さすがに二度目の変化だったので、何か呪術めいた力が働いていることに気がついているようだった。すぐに落ち着きを取り戻し、ここで何が起きているのか突き止めようとしていた。


 族長は、現在の状況を飲み込めていないアリエルたちの様子を楽しむように微笑んで見せたあと、すらりと立ち上がる。小屋の中を明るく照らす炎の光がその表情に妖艶な輝きを添える。彼女が動くと静寂が破られるように外から宴会の音楽と人々の笑い声が聞こえてきて、一瞬にして儀式的な厳粛さが失われ、浮かれた雰囲気に変わっていくのを感じた。


 困惑しているアリエルたち余所に、族長は何かしらの意味を含む微笑みを浮かべたあと、唇が微かに動かし呪素(じゅそ)に満ちた声で言葉を紡いでいく。


『今宵、忘れられた森は神々の神秘と約束のなかで眠る。そうして森は星々の祝福と冥界の呼び声、そして輝きと暗闇によって満たされることになる。歓喜と憎しみが交差するこの夜に、戦士たちは自らの運命を見出し、誉れ高い我が一族の存在は森に知れ渡ることになる。そして始まりを告げる鐘が響き渡る。さぁ、獣を狩りし者たちよ、宴を楽しんでくれ』


 アリエルたちは族長に誘われるように小屋から出ると、暗闇の向こうに煌々(こうこう)と灯る広場を眺める。陽気な音楽と笑い声、そして肉の焼ける香りが混ざり合い、賑やかな場所になっていることが分かる。小屋の外で待機していた八元の武者も状況の変化に戸惑っているようだったが、照月來凪の姿を見て安心する。


 そこに見知った女性がやってくる。アリエルたちを集落に案内してくれた女性だ。部族の人間は誰も彼も似たような容姿をしていたが、彼女は獣の爪や牙、それに毛皮で作られた装身具を身につけていたので、ひと目で彼女だと分かった。しかしラガルゲの姿は見当たらない。夜も深いので、もう眠っているのかもしれない。


 彼女に案内されながら広場に向かう途中、まさに地獄のような光景に遭遇する。足首から逆さにされた人々が両腕を切断され、腹部は縦に裂かれ、内臓が取り出されている状態で鎖に吊るされている。


 かれらの死体は薄汚れた桶の上で揺れていて、その桶は赤黒い血液と内臓で満たされていた。部族の職人がやったのだろう、ある小屋には見事に解体されバラバラにされた死体が山積みにされていた。それは猟師が獲物を解体するかのように、非情な手つきで処理されたものだったが、決して粗末に扱われていなかった。


 宴会の場になっていた広場に足を踏み入れると、焚き火の前に裸の女性が立っているのが目についた。ぼんやりと(うつむ)いていた女性の肌や顔立ちから、彼女が部族の人間ではないことが一目で分かった。


 その女性の肌には儀式的な模様が刺青のように描かれているのが確認できた。頭髪はすべて剃られていたが、頭部にも複雑な模様が描かれていたので、部族の奴隷というわけではないのだろう。その模様が何を意味するのか考えていると、部族の戦士が女性に近づくのが見えた。


 若い戦士の手には鋭い刃が握られている。かれは女性の背後に立つと、彼女の腹部に冷たい刃をあて、模様に沿って皮膚を一気に引き裂いた。大量の血液が噴き出し、その鮮やかな血液は女性の下半身に流れ、彼女の陰毛を濡らし、足元の桶に滴り落ちていく。


 しかし強い幻覚作用のある植物の汁を飲んでいるのか、女性はまるで痛みを感じていないように立ち尽くしている。酩酊状態に見られる意識のなさが彼女の表情にあらわれていて、それが異様な光景に儀式的な神聖さを与えているようでもあった。


 その異様な光景のなか、小刀を手にした女性が静かに近づいてくる。彼女はぼうっと立ち尽くす女性の皮膚を巧みに剥いでいき、その肉を丹念に削り取っていく。小刀を手にした女性の動きに躊躇(ためら)いはなく、どこまでも静かで冷酷なものだった。


 鋭い刃が女性の肌に触れると、赤々とした鮮血が流れ落ちていく。そうして彼女は驚くほど容易に肉を切り裂いていく。全身が血にまみれていくが、彼女は一切の抵抗を示さず恍惚(こうこつ)とした表情で焚き火を見つめている。自分だけでなく周囲の光景に対しても無関心のように見えた。


 やがて上半身の皮膚を剥ぎ取られた女性は、まるで生ける屍のような姿に変わり果てる。血管や筋繊維がむき出しにされ、その生々しい光景は吐き気を催すものだったが、部族の人間は時が止まったかのように女性を見つめている。


 そこに何も身につけていない部族の戦士が近づいていく。小刀を手にした女性は戦士を(ひざまず)かせ、その口のなかに切り取られた生肉を入れる。戦士は抵抗することなく生肉を受け入れ、口の端から血液を滴らせながら咀嚼する。戦士の表情には異常なまでの喜びが浮かんでおり、飢えた獣のように女性の肉を飲み込んでいく。


 その間も、焚き火の周りでは人々が狂ったように踊り続けている。大量の汗を掻き、筋肉が痙攣しても踊ることを止めない。かれらの踊り狂う姿は炎を囲む悪鬼のようにも見えた。そして血肉を求める人々の列がつくられていく。


 広場には腐敗臭と血液の濃い臭いが充満している。それは集落を包み込むように広がり、息をするたびに鼻腔に突き刺さるような不快感を与えた。その匂いに触発されたかのように、人々はますます狂気に取りつかれていく。かれらの表情は緩み、目は虚ろになり、幽鬼に取り憑かれたかのように手足を振り乱す。


 踊り手たちの顔には喜悦と狂気が入り交じる。生きたまま肉を切り分けられていた女性は、すでに肉塊に変わっていた。そこにまた裸の人間がやってくる。その男性の身体にも、あの奇妙な模様が見られた。小刀を手にした女性は、まず男性器を切り落として炎のなかに投げ入れる。男性の生殖器を取り除くことに、なにか重要な意味があるのだろう。


 そして同じ光景が繰り返される。部族の人々は桶に溜まった血を浴びながら狂ったように踊り続け、広場全体を異常な雰囲気で包み込んでいく。その光景は悪夢から抜け出せないときのような感覚を与え、アリエルたちの心を恐怖と混沌で満たしていく。

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