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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編

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 呪術師が手にしていた壺のなかを覗き込むと、液体が徐々に減っていることに気づいた。まるで皮膚に浸透していくようにして、黒く粘度のある液体が時間の経過とともに体内に侵入して徐々に減っていた。それと同時に、壺の中に残された液体の色も少しずつ変化し、より濃密な紫黒色に変わっていくのが確認できた。


 しかし状況の変化をただ冷静に眺めていることはできなかった。痛みは絶え間なく続いていて、耐え難い苦痛は時間の経過で収まる気配がなかった。痛みに顔をしかめながら腕の状態を確認すると、液体に浸かっていた前腕部分が露出していくのが見えた。


 皮膚は焼け(ただ)れていて、粘液を滴らせる皮がズルリと剥がれ、崩れ落ちた肉の塊が液体のなかで溶けていくのが見えた。今まで何処に潜んでいたのかは分からなかったが、(うじ)にも似た気色悪い生物が傷口で(うごめ)いていて、それらの小さくて白い生物が肉を溶かし、血を(すす)る音が聞こえてくるようだった。


 見るに耐えない光景に青年は恐怖と吐き気を覚えながらも、激しい痛みに耐え続けることしかできなかった。彼の前腕はまるで死者の腕のように、腐敗し朽ち果てようとしていた。その異様な変化は青年の心に深い恐怖を植え付けていく。


 液体の中で何が起こっているのか、そして何故このような苦痛に襲われなければいけないのか。なにひとつ理解できないまま、ただ苦痛に耐えるしかなかった。


『穢レダ』

 視線を動かすと、泥に埋まっていた頭蓋骨がカタカタと顎を動かすのが見えた。

『生キナガラ、腐ル。恐怖ガ見エル、憎シミガ見エル。ドンナ感ジダ、ソレハ、ドンナ感ジダ』


 苦痛と恐怖に耐えていると、暗く淀んだ声が地の底から聞こえてくる。幻聴を疑っていると、地中から黒い(もや)が立ち昇るのが見えた。地霊……あるいは悪霊の類だろうか、その何かは死の気配をまといながら、ずるずると()いずるようにして近づいてくる。


 喉の奥に奇妙な異物の存在を感じ取る。アリエルは口を閉じて唾で飲み込もうとするが無駄だった。その異物は目の前にある壺のなかに吐き出されることになった。唾液と黒い液体で濡れたそれは、羽毛に(おお)われた〈死〉そのものだったのかもしれない。そしてソレは真っ黒な眸で青年を見つめたあと、黒く艶のある嘴を開いた。


『ソレハ、死ダッタノカモシレナイ、死ダッタノカモシレナイ』

 不快で嫌悪感が込み上げてくるような低い声は、突如真紅の炎をまとい猛烈な勢いでアリエルの身体(からだ)を包み込んでいく。炎で霧散した黒い靄が生々しい悲鳴を上げるのが聞こえた。いや、悲鳴を上げていたのは青年だったのかもしれない。そして壺がひび割れる音が聞こえる。


 壺が崩れるようにして徐々に砂に変わっていく様子は、時の流れが加速しているかのようにすら感じられた。そうして液体に浸かっていた腕が露わになっていく。けれどあの奇妙な液体は消失していて、一滴も地面に零れることがなかった。すべての液体が腕に浸透し、血液に混ざり込んでしまったかのようだった。


 そこでアリエルは異常な変化が起きていることに気がつく。右腕の指先から肘の下まで、肌が深みのある青紫がかった鉄紺(てつこん)に染まり、爪は真っ黒に変色し、皮膚に鱗状の模様が浮かび上がっていくのが見えた。


 混沌の瘴気によって変異したのかもしれない。青年の腕は変貌し、呪素(じゅそ)との親和性が高い〈呪術器〉にも似たモノに置き換わってしまったようにも感じられた。それがあの液体の所為(せい)なのだと分かっていたが、それだけでなく、何か怪しげな呪術が使われていたのかもしれない。


 そしてアリエルの腕が永遠に失われて、別の存在に変わり果ててしまったのだと理解できた。青年は自らの腕を見つめながら戸惑いと恐怖を覚えた。だが、先ほどまで感じていた耐え難い痛みは――まるですべてが嘘だったかのように、跡形もなく消え去っていた。もはや痛みの感覚すら思い出せなかったのだ。


 奇妙な鳴き声と複数の小さな足音が聞こえてきたのは、アリエルが冷静になろうと努めていたときだった。


 周辺一帯に立ち込めていた濃い瘴気に引き寄せられたのか、木々の間から二足歩行する化け物が姿をあらわす。その異形は、暗い洞窟や古戦場で見られる〈混沌の化け物〉だった。子どものような小さな身体(からだ)を持つ人型の怪物で、全身が老竹色の硬い皮膚に覆われていたが、それは血管の位置や脂肪、そして内臓が透けて見えるほど透き通っていた。


 そしてその小さな身体に不釣り合いなほど大きな頭部を持っていて、ニヤリと笑みを浮かべると、不揃いの牙が見えた。口は異様に大きく、耳元までぱっくりと開いている。獲物を捕らえやすくするために進化したのかもしれない。その残忍な笑みは不気味で、見ているだけで嫌な寒気がするほどだった。


 その化け物の姿を見た瞬間、アリエルは族長の思惑に気がついた。はじめから化け物があらわれることを知っていたのだ。


 心配そうに青年を見つめていた豹人の姉妹に手を借りながら、よろよろと立ち上がる。理由は分からないが、手に入れた能力の使い方は知っていた。あの液体と一緒に何かが頭のなかに流れ込んできたのかもしれない。それは〈混沌の化け物〉に対して、異常なほど執着していて、ひどく腹を空かせていた。


 アリエルは醜い化け物に向かって腕を向ける。すると周囲の空間が暗く淀んでいくのが見えた。光や色彩が乱れ、陽炎のように大気が揺らめく。どこか幻想的な風景だったが、それは異次元の扉が開かれ、現実と夢幻が交錯するような異様な光景だった。


 その異様な気配に気がついたのか、数体の化け物が声を上げ、こちらに向かって駆けてくる。アリエルは先頭を走っていた化け物に手のひらを向けたあと、ぎゅっと手を閉じた。


 その瞬間、空間に亀裂が走り、暗い歪みの中から滅紫(めつし)の粘液にまみれた異形の口があらわれて化け物の上半身に()みつくのが見えた。千切れた切断面から内臓がこぼれ落ちて、膿のような体液がドロリと流れ落ちていく。その場に残された二本の足は、走っていた勢いのままに地面を転がる。


 それは〈災いの獣〉が使用していた異能だ。族長はその能力のことを〈混沌喰らい〉と呼んでいたが、その理由が分かったような気がした。そしてまた空間を引き裂くようにして化け物のすぐそばに異形の口があらわれる。化け物たちは抵抗することもできず、突如出現する異形の口に喰い殺されていく。


 苦痛に満ちた悲鳴が響き渡り、グロテスクな光景が繰り広げられていく。化け物の肉体は異形の口の中で咬み潰され、咀嚼されて体液が飛び散り、食い千切られた肉片が地面に転がる。


 アリエルが手にした異能は恐るべき破壊力を発揮し、周囲に恐怖をまき散らしていく。異形の口が出現するたびに、死の音が聞こえてくる。咬み切る音、骨が折れる音、悲鳴が合間に聞こえてくる。化け物たちは絶望に叫び、苦悶の声を上げながら異形の口に飲み込まれていく。


 混沌から這い出た化け物を喰い殺すたびに、その力を取り込むような高揚感に襲われる。異能を使えば使うほど、身体の内側から力が湧き上がってくのを感じていたのだ。しかしその力に代償があることを彼は理解していた。


 しだいに青年の腕に変化があらわれ始める。鱗状の模様から羽根のようなものが生えてきていて、変色していた箇所が広がっていくように感じられた。それは青年の身体を侵食していくような(おぞ)ましい光景に思えた。化け物を倒せば倒すほど、身体が変化していく。そしてそれは青年が〈災いの獣〉に似た何かに変異していることの証明でもあった。

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