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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第二章 守人
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01 境界の砦


「これ以上、先に進むのは危険です」青年の抑揚のない声が薄暗い洞窟に響いた。「先遣隊の遺体を見たでしょ? あれは人間の仕業じゃない」


 奈落を思わせる闇に沈み込んだ横穴を見つめながら身形(みなり)のいい青年が立ち止まると、貧相な恰好をした年配の男が(いや)らしい笑みを浮かべながら言った。

「だからなんだって言うんだ。ここまで来て怖気(おじけ)づいたとか言わないよな」


「まさか。あなたは僕を誰だと思っているんです」

 青年の青白い顔に浮かんでいた恐怖が消え、怒りの感情が(にじ)み出るのが見えた。けれど年配の男は少しも気にかけることなく、青年の肩を押し退()けて横穴の前に立った。


(えら)そうにしてんじゃねぇよ。この場所ではなぁ、名家の出自なんて肩書はなんの役にも立たないんだよ。それにな、兄ちゃんも俺たちと同じように罪人……あるいは奴隷としてこの砦に送られて来たんだ。自分の立場ってものが、しっかり理解できていると思っていたんだがなぁ」


「僕を侮辱するつもりか?」

 青年は怒りに任せて腰に差していた太刀に手を伸ばそうとしたが、手首を(つか)まれると驚いて動きを止めた。


「落ち着け」と、アリエルはうんざりしながら言う。「俺たちの敵は他にいる。仲間内で争っている余裕なんてないんだ」

「す、すみません」青年は目を合わせることなく顔を伏せた。


 境界の砦に帰還して二日もしないうちに、見習いを連れて危険な任務につかなければいけなくなるなどと想像もしていなかったアリエルは、うんざりしながら暗闇に視線を向ける。


「おい、赤眼の亜人」年配の男は振り向くと、アリエルに対して乱暴な物言いをする。「吸血鬼だが何だか知らないがなぁ、てめぇも(えら)そうにしてんじゃねぇぞ。守人だからって、俺たちより立場が上ってわけじゃねぇんだ。お前も所詮(しょせん)、使い捨ての戦闘奴隷としてこの砦に送られてきたんだろ?」


「お前は大きな勘違いをしている」

 アリエルがそう言うと、松明(たいまつ)の炎がゆらゆら揺れて暗闇に男の顔を浮かび上がらせる。

「あん、俺が何を勘違いしてるって言うんだ。え?」


 脅しつけるような口調で話す男を面倒に感じながら、アリエルは答えた。

「俺は吸血鬼じゃない。それに犯罪奴隷でもない。〈混沌の領域〉からやってくる怪物どもから森を守る〝境界の守人〟としての責務を果たすためにこの砦にいるんだ。でも――」と、彼は男を睨みつけながら続ける。「守人は皆家族だ。だから上下関係がないっていうのは間違っていない。けれど、それでも俺たちは親や兄弟に敬意をもって(せっ)している」


 神経が(たかぶ)っている所為(せい)なのかもしれない、深紅色(しんくいろ)虹彩(こうさい)に縁取られた瞳孔が金色の光を放つことが(まれ)にあった。その(あや)しい光が男に見えたのだろう。アリエルの気迫にたじろぐと、男は一歩うしろに下がる。


「か、家族がなんだって言うんだ。俺は、お前みたいなガキに頭を下げるつもりはない」

「その必要はない、ただ俺の指示に従うだけでいい。でも、それすらできないと言うのなら、ここで斬り捨てるまでだ」


「おい」と、ふたりの後方に立っていた若い男が小声で言う。「なんでもいいから、さっさと仕事を終わらせよう。なんとかって階段を偵察してこなければ、今夜の(めし)にはありつけないんだろ?」


 アリエルが振り返ると、三人の男が所在なげに立っていた。彼らは洞窟の底から吹いてくる冷たい風から身を守るために、暗闇でぼんやりと発光するアナキツネの毛皮でつくられた白いマントを羽織(はお)っていた。マントは厚く、鋭利な刃物からも身を守ってくれる代物だった。そのマントを羽織(はお)った男のうちのひとりが口を開いた。


「あんたが吸血鬼でも俺は構わない。問題にしなくちゃいけないのは、まだ女を知らないようなガキが俺たちの指揮官をしているってことだ」


「まだ続けるのか?」と、別の男が不機嫌に言う。「さっきも言ったけどな、そんなことはどうでもいいんだよ。俺は仕事を終わらせて地上に戻りたいんだ。こんな暗い穴のそこで生産性のない言い争いを聞きくために、ここまで来たんじゃないんだ」


 それを聞いた年配の男は顔をしかめる。

「気に入らねぇな。お前も育ちのいい坊ちゃんじゃねぇか」

「育ちがいいだって?」と、男は皮肉めいた笑みを見せる。「いいか、よく聞け。俺は商人だったんだよ」


「商人だと……? 商人がなんでこんな場所にいるんだ」

「店の金庫から売上金を盗んだと疑いをかけられたのさ」

「盗ったのか」


「そんなことをするわけないだろ!」

「冤罪をかけられて、死ぬまで牢屋に入るか、混沌からやってくる怪物を退治するのか選ばされたのか」


「もういいだろ!」と、背の高い青年が前に出る。「俺たちの過去なんて知ってどうする」

「それもそうだな」

 年配の男は嫌な音を立てながら(たん)を吐くと、ゴツゴツした岩が転がる足元に注意しながら薄闇の先に向かう。


「若様、俺たちも行きましょう」

 背の高い青年はそう言うと、まるで恋人のように名家のご子息の手を取って歩き出した。アリエルは最後尾につくと、頼りない男たちの背中を見ながら歩いた。


 古い言葉で〈ノイル・ノ・エスミ〉と呼ばれる〈無限階段〉に続く砦で、境界の守人として任務について数年になるが、初めて砦の地下にある洞窟に派遣されたときのことは今でも覚えている。だから彼らの緊張や恐怖は理解できた。けれど、それらの感情はこの洞窟では命取りになる。


「おい、吸血鬼」と、背の高い青年がアリエルを睨みながら言う。彼の名は確か〝ロン〟とかいう平凡な名前だったような気がする。「本当にこの道であっているのか?」


 アリエルはロンが身につけている黒い革鎧にちらりと視線を向けた。それは名家の小者が――身分の低い奉公人が身につけるには(いささ)か高価なモノに思えた。名家の坊ちゃん……名前は忘れたが、その坊ちゃんからの贈り物なのかもしれない。

 しっかりと手を(つな)いで歩く二人は恋仲だったのだろう。後継者として使えない息子が、どうして辺境の砦に送られてきたのか分かったような気がした。


「安心しろ」と、アリエルは見習いたちの動きに注意しながら言う。「ここから無限階段までは一本道だ。どんなに間抜(まぬ)けでも道に迷うようなことはない」


「そうかよ」ロンはそう言うと、ワザと聞こえるように舌打ちした。それは名家の坊ちゃんと話すときの猫なで声ではなく、亜人に対する侮蔑(ぶべつ)を含んだ口調だった。「おい、吸血鬼。俺たちが洞窟に派遣されてから、もう二日は経っているんだ。そうだろ? 偵察任務を終わらせて地上に戻ったら、俺たちは本当に守人になれるのか?」


「砦に来てどれくらい()つ?」アリエルは落ち着いた声で()く。

 ロンは眉を寄せると、あれこれと考えてから言った。

「訓練の期間を合わせれば三か月になるだろうな……それがどうした?」


「これから月に何度か、あんたたちは無限階段を偵察するために、この暗い洞窟に派遣されることになる。運が悪ければ、〈混沌〉からやってきた怪物の相手をすることになるだろうな。それから半年の間、訓練と任務を続けながら何事もなく無事に生き延びることができたら、晴れて守人の兄弟として迎え入れられることになる」


「この場所にまた来なくちゃいけないのか!?」

 ひどく驚いている青年を見ながら、アリエルは頭を振った。

「また、じゃない。境界の守人になるのなら、死ぬまで偵察任務を繰り返すことになる」


「クソったれ!」

 ロンは言葉を吐き捨てると、気弱な坊ちゃんの手を引きながら先行する男たちのもとに早足で向かった。


「おい、赤眼の吸血鬼!」

 しばらくすると年配の男の声が暗い洞窟に反響した。混沌の先兵とも呼ばれている怪物の()れが潜んでいる洞窟で、そんな大声を立てるなんて愚かにも程がある。


 アリエルはしゃがみ込んでいた男の間近(まぢか)に立つと、男を見下ろしながら言った。

「死にたくなかったら、その声をどうにかしろ」

「はぁ?」と、年配の男は青年を見上げながら言う。「何を(えら)そうに――」


 男の言葉を(さえぎ)るように首に短刀を突き付けると、彼は息を呑んで口を(つぐ)んだ。

「俺たちは無限階段のすぐ近くにいるんだ」と、アリエルは冷たく小さな声で言う。「怪物どもに俺たちの存在を知られたら終わりだ。わかるな?」

「あ……あぁ、わかるよ」

 男が固唾を飲むと、アリエルは短刀を収めた。


「それで、何を見つけたんだ」

「こいつだ」と、男は額の汗を拭きながら言う。

 地面には血液と泥が付着した太刀が落ちていた。

「先遣隊の誰かの装備だろうな」と、アリエルは刃の欠けた刀を拾いながら言う。「戦利品として運んできたが、重たくて諦めたんだろう」


「戦利品? 誰がそんなことをするんだ?」

「混沌の先兵たちだ」

「戦利品って……あの怪物には知恵があるのか?」


「訓練期間に(やつ)らの生態を嫌というほど教え込まれたはずだ。あの怪物どもは人間の子ども並みの知恵がある」アリエルはそう言うと、周囲の足跡を注意深く観察した。「……マズいな。一度、野営地まで引き返したほうがいいのかもしれない」


「引き返すって、どうしてだ?」と、ふたりの(そば)にやってきたロンが不機嫌に言う。


(やつ)らの足跡だ」

 アリエルのように暗闇でもハッキリとモノが見える瞳を持たないロンは、松明を地面に近づけた。泥濘(ぬかるみ)には混沌の生物が残したと思われる足跡が大量に残されていた。どうやら怪物は()れで行動しているようだ。


「あの怪物は通常、二、三体で行動している。だけど先遣隊を襲った(やつ)らは()れで行動しているようだ。見習いが対処するには、あまりにも危険な相手だ」


「待ってください」と、名家のご子息が言う。「無限階段とやらの偵察をしなければ僕たちは地上に戻れないのでしょ?」


「そうだ」と、アリエルはうなずいた。

「それなら、さっさと任務を終わらせて帰りましょうよ」


「賛成できない。侮辱するつもりはないが、あんたたちの実力では怪物の()れを相手にして生き延びることはできない」

「ならどうするのですか?」と、中性的な顔立ちをした坊ちゃんは不満そうに言う。


()れが無限階段を通って、地下深くに存在する混沌の領域に帰るまで待つ」

「どれくらいの間、この洞窟で待つのですか?」

「二日か三日だ」

「そんなに待てません!」

 青年が声を荒げると、その声は洞窟の壁に反響する。


「刀を抜け」

 アリエルの言葉に青年は困惑して、妖しく明滅する深紅(しんく)の瞳を見つめた。

「いや――もう手遅れだ。(やつ)らが来る」

 その直後、深淵(しんえん)から恐ろしい声が聞こえてきた。

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[良い点] 天神般的好書 [気になる点] 內容 [一言] 優質的 愛來自中文
2023/07/27 23:52 退会済み
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