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「我々は外で待つ」
そう言葉にしたのは、照月家を代々守護してきた家柄、八元の武者だった。名を八太郎という。
「たしかに、ここで待つことしかできないな」
同じく八元家の武者であり、八太郎の弟である九郎は続けた。
「その小屋は、俺たちが入るには些か狭いように感じられる」
土鬼の武者は大熊のように大きくて筋骨たくましい身体をしている。得体の知れない人喰い種族もそれなりに背丈があるが、その小屋はふたりが入るには少々手狭だった。
アリエルはうなずくと、腕輪の〈収納空間〉から携行食が入った革袋を取り出して八太郎に手渡した。その袋のなかには干し肉や乾燥させた果実、それに清潔な飲料水などが入っていた。もしものときのために、非常食として持ち歩いていたモノだ。集落で提供された食事には手をつけられなかったが、さすがに何も食べないわけにはいかないだろう。
ふたりの武者は感謝の言葉を口にしたあと、体内の呪素を練り上げながら一時的に身体能力を強化する。今さら部族の戦士たちに襲われるようなことがあるとは考えられなかったが、用心するに越したことはないだろう。照月來凪は忠実な家来に声を掛けたあと、アリエルたちと一緒に小屋の中に入っていく。
女戦士のあとを追うように小屋の中に足を踏み入れると、一瞬にして空気が変わるのが分かった。何か嫌な緊張感が漂っている。小屋の中央には小さな炉があり、その炎が室内を明るくしていた。炉の周りには膨大な呪素を身にまとう呪術師と思われるものたちと、族長イスティリシが座っていた。
若い呪術師たちは、骨やら奇妙な生皮で作られた装身具を身につけていたが、衣類は身につけておらず、その素肌には――男女ともに白い灰が塗りこまれているのが見えた。額には赤い粉で瞳のような模様が描かれ、額にかかる長髪は複雑に編み込まれ、金銀の細い鎖で装飾されていた。
腕には黒く染め抜かれた布を巻いていて、何か儀式的な意味合いのある文字が金糸で縫い込まれていた。かれらの手には人骨でつくられたと思われる古びた杖が握られていて、それも金銀で装飾されていた。呪術師たちが手にする道具は、部族独自の信仰を象徴するものであり、呪術や儀式において重要な役割を果たしているように見えた。
その杖には繊細な彫刻が施されていて、ソレが大気中の呪素に反応して幻想的な輝きを放っているのが見られた。
呪術師たちのそばに座っていた族長にも変化が見られた。彼女は絹のように繊細な薄布を身につけていて、布を透かして見える綺麗な肌には赤い粉で細かな模様が描かれていた。頭には金銀で装飾された細い冠が輝いていた。その表情は怜悧で、知恵と厳格さがにじみ出ているようだった。
女戦士に促されるようにアリエルたちも炉の近くに座った。なにか野草を焚いていたのか、ひどく煙たい。そのニオイにリリは顔をしかめて、首巻を使い口元を覆い隠した。
「すまないな、旅人よ」
族長の声に反応して大気中の呪素が揺らめく。
「いろいろと手間をかけさせたが、我が部族には面倒な仕来りが多いゆえ、あちこち移動させてしまった。さて、私だけの〝輝ける神の子〟よ、質問があるのだろう。我に聞きたいことがあるのなら、ここで遠慮せずに申せ」
まず、〈災いの獣〉とやらについて知りたかったが、アリエルにはどうしても聞かなればいけないことがあった。
「どうして我々が〈災いの獣〉を討伐しなければいけないのでしょうか?」
「ふむ」
族長は黒曜石じみた眸でアリエルのことをじっと見つめたあと、炉を囲むように座っていた呪術師たちに視線を向けた。
「かれらの肌が見えるか、それらは件の獣によって無残に殺された同胞の灰だ。かれらは肉親や兄弟、果ては愛するものたちの血肉を食べることで、その身に悍ましい呪いを宿している。かれらの魂と肉体は森の神々に捧げられるゆえ、もはや通常の生き方はできまい。それもこれも、すべて〈災いの獣〉を討つための犠牲である」
「犠牲……ですか?」
「そうだ、殺せぬものを殺すための呪術を操る術を編み出すための犠牲だ」
彼女の言葉に反応して、アリエルの首飾りが微かな熱を帯びるのを感じた。
「ああ、そうとも。その秘術は我が生み出したものではない。かれらの憎しみによって形作られたモノだ」
「ですが――」と、それまで口を閉ざしていた照月來凪が言う。
「その復讐が私たちに、いったい何の関係があるというのでしょうか」
「我が部族に関係のない者が、どうして部族のために命を張らねばならないのか。それが気になっているのだな」
照月來凪が小さくうなずくと、族長はどこか冷めた表情で笑みを浮かべる。
「忘れられた森は、遥か昔から――それこそ、数多の天龍が大空を翔けていたころより我らの領分だ。そしてその領分には、何人たりとも足を踏み入れることは許されない。それは神々によって定められた法であり、犯すことのできない定めでもある。では、その法を犯した者はどうなると?」
照月來凪は集落で見た無数の死体を思い出し、思わず唾を飲み込んだ。
「そうだ。たとえ〝異界の旅人〟といえども、その定めからは逃れられない。では、どうしてお主らは生きているのだ。我に教えてくれないか。どうして首を刎ねられることなく、未だこうして息をすることが許されているのだ?」
「それは……」
「何かしら犠牲を払った者がいるからだ。その者は己の身を犠牲にして、お主らの命を救った。だが、その犠牲ゆえに、さらなる犠牲を強いられることになった。ひとの運命とは不思議なものよのう」
照月來凪は不安そうな表情でアリエルを見つめる。青年には心当たりがあったが、自分自身がどのような犠牲を払ったのか見当もつかなかった。族長の手で行われた〝結びの儀式〟とやらに大きな意味があることは分かっていた。
けれど、あそこで何が行われたのか訊ねようともしなかった。その理由は分からなかったし、今でも混乱していたが、とにかくあのときには質問できなかった。
やはり族長の言いなりになるような幻術が使われたのかもしれない。彼女に問いただそうとして青年が口を開こうとしたときだった。呪術師のひとりが何か言葉を口にする。しかしそれは部族の共通語ですらなく、まったく理解できない言語だった。
族長は呪術師の言葉にうなずくと、アリエルたちには理解のできない言葉で返事をする。それはひどく奇妙なやりとりだったが、ノノはそこにもっと恐ろしいモノが潜んでいることに気がつく。たとえば、その身を灰に染めた裸の女性が言葉を発すると、微かな腐臭を感じ取ることができた。
それは人喰いの風習がある部族の口臭というより、その肉体から発せられる悪臭のように感じられた。
彼らが死者の灰を身体に塗りたくり、死者の肉を貪るのは、〈災いの獣〉を呪うためでも討伐するための儀式でもないのかもしれない。それが彼らの信仰であり、死者と交わることで、何かしらの超自然的な力を得ようとしているからなのかもしれない。
ノノは嫌悪感を示すように唸る。北部にも身内の毛皮を身につける部族があることは知っていたが、さすがに死者の肉を喰らう者たちがいるとは考えもしなかった。族長は森の神々について話をしていたが、もしかしたら邪神の類を崇拝しているのかもしれない。であるなら、すぐにこの集落を離れたほうがいいだろう。
「残念だが」と、族長はノノを見つめながら言う。
「貴様たちに選択肢はない。この森に足を踏み入れた瞬間、こうなることは決まっていた。もはやイアーラの娘であっても、その運命からは逃れられない」
考えていることを見透かされているような嫌な感じがしたのか、ノノは低い唸り声をあげるが、族長はそれを無視してアリエルを見つめる。
「では、〈災いの獣〉について話をしよう」




