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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 まるで音そのものが消失したような奇妙な静けさのあと、アリエルたちは暖かな陽光が射しこむ森のなかに立っていることに気がつく。先ほどまで感じていた神秘性を帯びた〝異様な気配〟は消えていて、南部の湿原とも異なる印象を受けた。


 そこは白い幹に紅い葉を持つ樹木が密生する見知らぬ地域だったが、大気中に呪素(じゅそ)の流れが感じられるので、普段から慣れ親しんでいる森の何処かなのだろう。リリは足元の落ち葉に視線を落としたあと、樹木の間から聞こえてくる音に耳を澄ませた。なにか大きな生き物が、枯葉を踏みしだく乾いた音を立てながら近づいてくる。


 アリエルが抜刀するのと同時に、豹人の姉妹も体内の呪素を練り上げて攻撃の準備を整える。けれど森に立ち込める静謐(せいひつ)な雰囲気が失われることはない。戦場で感じられる敵意も、背筋が凍るような殺気も感じられない。ただ樹木の間に冷たい風が吹き荒び、枝や落ち葉が乾いた音を立てるだけだった。


 やがて〈ラガルゲ〉に乗った男女が姿を見せる。ラガルゲは森に多く分布するモリトカゲに似た大型生物で、太い胴体にどっしりとした四肢を持ち、全身が粒状の硬い鱗に(おお)われた恐ろしい姿をしていた。しかし黒みがかった茶色の体表から、社会性があり気性の穏やかな種類であり、人を乗せるために飼い慣らされた個体だと分かった。


 少なくともラガルゲに襲われる心配はしなくてもいいようだったが、ラガルゲに乗っている男女は見慣れない種族だった。一見すれば人間と変わらない姿をしていたが、やや灰色がかった薄青色の肌を持ち、顔立ちは普通だったが大きな瞳に白目はなく、真っ黒でどこか不気味な印象を与えた。


 男女ともに見事な毛皮を身につけていたが、肌の大部分は露出していて、どこか文明から大きくかけ離れた野性味が感じられる姿だった。男性は長弓を手にしていて、女性は粗末な槍を持っていたが、穂先に磨き上げられた鋼鉄が使用され、不自然で調和の取れていない不思議な感じがした。


 それだけ見事な金属が扱えるのに、どうして裸に近い原始的な格好をしているのだろうか。奇妙な種族に対する興味は尽きなかったが、とにかく彼女たちの目的を知る必要があった。


 女性が乗ったラガルゲが近づいてくる。のしのしと身体を左右に振りながら歩いてくるラガルゲは白い息を吐きだしていたが、暖かそうな厚みのある毛皮を身にまとっていた。けれどアリエルの視線は女性の豊満の乳房に釘付けになっていた。ラガルゲがのしのしと歩くたびに、大きな乳房がゆさゆさ揺れて視線が引きつけられてしまう。


 が、すぐに気を取り直して、彼女の黒曜石じみた黒い眸を見つめた。そこに人間的な表情や意思のようなものは感じられなかった。まるで精巧につくられた人形を目の前にしているような感覚だった。しかしそれは生物であることを示すように(まばた)きをして、舌を鳴らしながらラガルゲを誘導する。


 得体の知れない亜人はアリエルたちのすぐ近くまで来ると、ひとりひとり注意深く観察していく。この地域では獣人種族を珍しくないのか、豹人の姉妹を見ても驚く様子は見せなかった。


「よそ者よ――」

 彼女は落ち着いた口調で言った。

「ここで何をしている?」


 それは部族が使用する共通語だったが、強い(なま)りがあり、聞き取りづらい独特な発音があった。しかし共通語であるのなら問題なく意思疎通が図れるはずだ。ノノは安心してホッと息をついたあと、〈念話〉を使って彼女に話しかけた。


 まずは彼女たちの敵ではないことを丁寧に伝えた。争う気がないことや、仲間を(さが)している途中、偶然この森に〈空間転移〉したのだと説明した。〈転移門〉を使ったことは隠さなかった。


 アリエルのすぐ背後には植物に埋もれた石造りの門があり、周囲には濃い混沌の気配が残されていた。〈転移門〉を使用しなかったと嘘をつくには、あまりにも不自然だったのだ。


 ノノが女性と話している間、毛皮を身にまとった屈強な男は長弓を手にしながら周囲の警戒を続けていた。戦い慣れした戦士なのか隙がなく、いつでも身体能力を強化できるように呪素をまとっていることが分かった。戦士なのに鎧を身につけず軽装なのは、呪術の扱いに長けた戦士でもあるからなのだろう。


 もちろんアリエルたちのことを信用していないのか、時折、不愉快そうに鋭い眼光で睨むこともあった。だがそれは仕方ないことだった。アリエルたちは望まれない訪問者であり、彼らの領域に侵入した得体の知れない存在だったのだ。


 やがてノノが話し終えると、亜人は訛りの強い言葉で照月(てるつき)來凪(らな)と思われる女性と、ふたりの大男を森で見つけて集落に連れて行ったと教えてくれた。やはり彼女たちも〈転移門〉を通ってこの森に迷い込んだのだろう。


 すぐに仲間と合流したいので、その集落に連れて行ってもらえないかと頼むと、彼女は〈念話〉を使い男性と何かを相談する。ふたりの間で呪素の流れが感じられたので、たしかに〈念話〉を使って会話しているようだったが、なにを相談しているのかまでは分からなかった。ふたりは人形のように無表情だったので、顔色をうかがうこともできない。


「ついてこい、案内してやる」

 しばらくして彼女はそう言うと、舌を鳴らしてラガルゲに合図し、また森の奥に向かってのしのしと歩き出した。


 その得体の知れない亜人を信用してもいいのか分からなかったが、なんの手掛かりもなしに見知らぬ森を彷徨(さまよ)うわけにはいかなかった。仲間について質問したのはアリエルたちだったが、彼女が親切心だけで我々を集落に案内してくれる保証もない以上、警戒は続けるべきだと考えた。


 それにしても、ひどく奇妙な種族だ。アリエルは男性の背中を見ながらそう思った。我々が知らない未開の部族というだけでも興味深い存在なのに、自然に呪術を身につけているような未知の種族だった。


 あるいは、古の時代から妖魔として知られた種族なのかもしれない。人よりも精霊に近い種で、混沌の領域を由来とする説もあるが、謎多き種族であることに変わりない。


 白と(くれない)に染められた森を進むと、やがて人の背丈よりも高く、小屋ほどのカサをもつキノコが目につくようになる。白い幹を持つ広葉樹と共生することができているのか、自然に調和し、森全体に豊かな環境をつくりだしていることが分かった。そこには多くの昆虫がいて、枝葉の間を飛び交う小鳥の姿も見られた。


 しかし動物の姿を見ることはなかった。凶暴なイノシシも見られなかったし、草を()むシカの姿も見られない。これほど豊かな森であるにもかかわらず、ドングリを拾い集めるリスの姿すら見られなかったのだ。


 それらの動物を捕食する混沌の化け物が生息しているのだろうか。あれこれと考えながら歩いていると、また奇妙な光景を目にすることになる。


 白い樹木や毒々しいキノコの間に、木の杭に串刺しにされた無数の動物の死骸が目につくようになった。いずれの死骸も腹部を切り裂かれ、内臓を取り出されているようだった。辺りには腐敗臭が漂っていたが、アリエルたちを案内していた亜人は気にすることなく、それらの死骸の間を通って森の奥に進む。


 知らず知らずのうちに何か恐ろしい事態が進行しているのではないか、といった不安感に心が支配されていくなか、亜人の集落を囲む高い壁が見えてくる。防壁は土や石、それに不揃いの木材が使用されていたが、高さがあり堅牢なつくりになっていることが分かる。しかし獣の骨で飾られていて、どこか近寄り難い雰囲気のある場所になっていた。


 アリエルたちが集落に近づくと、どこからともなく灰色がかった肌を持つ不気味な亜人たちが姿を見せるようになる。それはひどく不安にさせられる光景だったが、たしかに集落からは照月來凪のモノだと思われる呪素の気配が感じられた。

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