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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 湿原に打ち捨てられた遺跡が見えてくる。それは密やかな混沌を(はら)みながら、そこに存在し続けていた。白い石壁は年月の重みを感じさせ、緑色の苔が石の表面を(おお)っていた。


 葦原の間に吹くつめたい風が石壁にしみこみ、石の表面を滑らかにしていく。その構造物は粘り気のある黒い沼に半ば沈んでいて、足元の石畳との境界が曖昧になっていた。


 傾いた建物の入り口に近づくと、建物の構造が明らかになってくる。屋根の一部が抜け落ち、半球状の――鮮やかな紺藍色に染められた頂部が崩壊しているのが確認できた。崩れた箇所からは雨が入り込んでいるのだろう。かつての偉大な建築物が、今では自然と融合し、荒廃という名の美をつくり上げていた。


 石壁に残る彫刻や模様は、風雨に晒され、時の流れと共にその輝きを失っていた。石に刻まれた古代の模様は、この場所がいかに栄え、そして神聖であったのかを物語っているようだった。しかし、その荘厳な芸術もまた、混沌がもたらす死の影に覆われていた。


 入り口のすぐそばには、野蛮な魚人の死骸が横たわっている。背中に矢が刺さり、醜い頭部に刀傷が確認できる。戦いから逃げようとしていたのかもしれない。建物内に一歩足を踏み入れると、死の臭いが辺りに充満していた。〈赤の魚人〉の死骸がそこかしこに横たわり、粗末な武器が転がっているのが見えた。


 カエルと魚の混血を思わせる醜い頭部は痛みに(ゆが)み、硬い(うろこ)に覆われた手足は不自然に折れ曲がっている。野蛮で攻撃的な存在が、今はただの死体と化してしまっている。


 周囲を見回すと、同じような状態の死骸が多く見受けられた。遺跡に残された建築物は、今や死者たちの安息の場に変わり果てていた。つめたい空気が壁を()い、死者たちの怨念が建物全体に漂っているようだ。


 おそらく照月(てるつき)來凪(らな)は、この建物を待ち伏せの場所として効果的に使用したのだろう。ほかの場所よりも呪素(じゅそ)の気配が濃いのは、ここで激しい戦闘が行われたからなのかもしれない。アリエルは豹人の姉妹と手分けして、照月來凪の手掛かりが残されていないか周辺一帯を調べることにした。


 遺跡では魚人の戦士と肉食獣が争っていたが、アリエルたちの存在がすぐに露見することはないだろう。かれらが争っていた場所は遠く、戦闘音すら聞こえてこない。


 上空から遺跡を見ていたリリには、魚人の戦闘部隊が巨大なイノシシに叩き潰される様子がハッキリと確認することができた。かれら魚人は、棒の先端に狩猟用の石器をつけただけの原始的な槍を投げつけたり、遺跡で手に入る錆びた鉄屑で戦いを挑んだりしていたが、それはあまりにも無謀な戦いだった。


 魚人は攻めるたびに数を減らしていくが、それでも敗走することはなかった。果敢に戦いを挑み、そして殺されていった。槍の先端につけた尖頭器がイノシシに突き刺さることがあったが、厚い毛皮によって守られた獣に致命傷を与えるのは難しいようだ。


 ひとりでも呪術師がいれば、この状況を変えるキッカケになったかもしれないが、魚人の部隊に呪術師はいないようだった。


 いや、どこかに隠れて見張っているのかもしれない。リリは巨大な猛禽を旋回させながら近くに魚人が潜んでいないか探す。すると石柱が立ち並ぶ区画に呪素(じゅそ)を身に帯びた魚人が護衛をつけて歩いているのが見えた。


 敵の数は少なく、そして空からの攻撃に油断しているようだった。リリはすぐに巨鳥に指示を出し、呪術師と思われる魚人を襲わせることにした。


 アリエルが崩壊した天井から空を見上げると、巨大な猛禽が翼を広げ、遥か上空から遺跡を見下ろしているのが見えた。その瞳には獰猛な輝きがあり、遠くからでも凶暴で野性的な印象を感じさせた。やがて獲物を見つけたのか、猛禽は急降下を開始し、翼が風を切り裂く音が荒れ果てた遺跡に響き渡る。


 石柱が立ち並ぶ通りを歩いて広場に接近していた魚人たちは、巨大な猛禽の影が地面に迫るのを見て、恐怖にゾクリと身体(からだ)を起こして空を見つめた。しかし巨鳥の接近に気がついた時には、すべてが遅すぎた。死の影と共に迫りくる猛禽の鋭い爪が腹部に突き刺さった瞬間、魚人は己の死がやってきたことを悟った。


 血を吐き出すと同時に身体が空高く持ち上げられるのが分かった。爪が肉に食い込み骨を砕く音と共に魚人の悲鳴が響き渡り、遺跡の石畳に大量の血液が飛び散る。そのまま空高く連れていかれ、そして解放された。


 一瞬の浮遊感のあと、魚人は地面に真っ逆さまに落下していく。グシャリと瓦礫(がれき)に叩きつけられ、内臓やら体液が飛び散る。


 呪術師は呆気なく絶命した。だが猛禽は血に飢えた眼差しで次の獲物を探していた。呪術師を護衛していた魚人たちは、槍を手にして勇敢に立ち向かう。しかし、その粗末な武器は巨大な猛禽に対してあまりに無力で、まるで歯が立たなかった。そこに猛禽は容赦なく襲い掛かると、その強力な爪で一瞬にして魚人を捕まえる。


 風をとらえた翼の音が聞こえてくるころには、獲物を捕らえた猛禽が空高く、遺跡の上空を旋回しているのが見えた。鋭い爪で裂かれた魚人の腹部からは内臓が垂れ下がり、ゆらゆらと揺れている。


 痛みと恐怖に満ちた悲鳴が遺跡の上空に響き渡るが、それを気にするものはいない。猛禽はそのまま遺跡の広場に舞い降りると、捕まえた魚人の内臓を(ついば)み始めた。けれど死に満ちた遺跡では、今も魚人と肉食獣が生存をかけた殺し合いに興じていて、そのグロテスクな光景を目にするモノはいなかった。


 さすがに気分が悪くなったのか、リリは猛禽との(つな)がりを断ち、照月來凪の痕跡を見つけ出すことに専念することにした。けれどそこで得られるモノは何もなかった。彼女は魚人の部隊を建物に誘き寄せて、この場所で撃退することができたようだ。しかしその後の行方がつかめなくなってしまう。


 ノノは細心の注意を払いながら、微かな呪素の気配を追って建物を出ると、石柱が立ち並ぶ通りを歩いた。途中、広場で魚人の死骸を啄む巨鳥と遭遇するが、彼女の極彩色に輝く眸に見つめられると、猛禽は大空に向かって飛び上がる。ノノの精神は研ぎ澄まされていて、その身にまとう呪素はあらゆる生物に恐怖を与え怯えさせた。


 やがて彼女は〈転移門〉に近づく。すでに魚人の死骸は喰い散らかされていて、肉食獣の姿は確認できない。ただ腐肉の上を()いずり回る昆虫や羽虫の黒い影をみるだけだった。アリエルとリリはノノの(つや)のある尾が左右に揺れるのを見ながら、彼女のあとをついて歩いていた。


 泥に埋もれる石畳に魚人の足跡が残されている。そのなかに照月來凪と、彼女に付き従う武者たちの足跡があることに気がつく。しかしそれらの足跡は、明らかに〈転移門〉に向かって続いていた。やはり敵部隊を撃退したあと、〈転移門〉を使ってどこか別の遺跡に〈空間転移〉したのだろう。だが……どこに移動したのだろうか?


 豹人の姉妹は、地面から僅かに浮かんだ状態で静止している奇妙な岩を見ながら、〈転移門〉を操作するための石柱に近づく。腕輪を所有するアリエルが近づくと、〈空間転移〉可能な遺跡の位置を示す光の地図が浮かび上がる。ノノは真剣な面持ちで地図を眺め、それからアリエルの腕輪に触れる。


 すると地図の横に古代文字が浮かび上がるのが見えた。光で表現されるソレは〈白冠の民〉の遺跡で見られる文字にも見えたが、それが何を意味するのかは分からなかった。


 ノノが光に向かって手を伸ばすと、野営地の近くにある遺跡が赤く明滅するのが見えた。そこで彼女は何かに気がついたのか、別の文字に触れてみる。すると今度は別の遺跡が赤く発光するのが見えた。


 もしかしたら――とノノは考える。これは門を使って〈空間転移〉した場所を記録したモノではないのだろうか。


 そう考えると、もう他の答えはないように思えた。そしてこの記録を上手(うま)く使えば、消息が途絶えた照月來凪のあとを追えるかもしれない。ノノは極彩色に輝く眸でアリエルを見つめると、ゆっくり考えを言葉にした。

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